30歳になった時、
自分が「人生」という丘の頂上に立った気がした。
足元から遥かに続く景色が、
はっきりとは言わないまでも、
ある程度見えて、
「あぁぼくの一生はこんなもんか」と、
焦った記憶がある。
生きていたって、どうせなにも変わらない。エスパーじゃなくても、だいたいこれからどの程度のことが、世の中や自分の身に起こるのかもわかっている。「将来、将来!」なんていくら力説してみてもムダだ。あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って、4年間ブラブラ遊んだあとどこかの会社に入社して、男なら20歳代後半で結婚して翌年に子どもをつくって、何回か異動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死ぬ。どうせこの程度のものだ。しかも絶望的なことに、これがもっとも安心できる理想的な人生なんだ。
唐突だがこれは、
「完全自殺マニュアル」(鶴見済著、太田出版)の前書きの一部で、
「ロスジェネはこう生きてきた」からの孫引きだ。
その筋(どの筋か知らんが)では、
「20世紀のバイブル」とさえ言われているらしい。
色々物議を醸したから、
この本の存在は知っていたけど、
これまでなぜか、
立ち読みすらしたことがなかった。
30歳になった時のぼくの心境と、
大差ないなと思う。
言い方を替えれば、
誰だって大人なら、
この程度の絶望感は「織り込み済み」だ。
「バイブル」とは笑わせるぜ。
生きてみて分かったことがある。
あの時、
丘の上から見えた景色は、
実は蜃気楼だった。
「現実」には、
若いころには想像さえできなかった、
魑魅魍魎がウヨウヨいる。
望まなくたって波乱万丈が待っている。
自殺なんかしなくても、
いつ殺されるかわからない世界だ。
ヨットに乗らなくても、
雪山に登らなくても、
サラリーマンやってたって、
人生は結構冒険はできる。
そしてだんだん思えてくるのだ。
生は過去。
死は未来。
ぼくは、
生と死の間の、
現在にしかいない。
●リストカット少女だった雨宮処凛だって、今の自分は、想像だにしていなかったはずだ。生きてこそである●村上春樹のインタビュー「下」が今朝の読売新聞に載っていた。完全に肩透かしをくった。
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