2009年6月28日日曜日

美女

「チャーリーズ・エンジェル」が日本で最初に放映されたのは、
小学生だったか中学生だったかと思い調べたら、
先日亡くなったファラ・フォーセット・メジャーズが出ていた第1シリーズは、
1977年10月16日~1978年3月19日と分かった。

「地上最強の美女たち!/チャーリーズ・エンジェル」

そうそう。
13歳から14歳。
中学2年から3年にかけてだ。
日曜日の夜10時半から、
ほとんど欠かさず見たと思う。

ぼくはあの美貌やブロンドのゴージャズな髪型にすっかり参ってしまい、
月刊ロードショーのピンナップを壁に貼っていた(ように思う)。
今回久し振りに当時の映像を見て意外にも、
「お色気美人」というよりは「健康美人」という方が相応しいことがわかった。















感じとしては、
シャロン・ストーンより、
アグネス・ラムに近い(かな?)。

でもあの年頃には、
これぐらいの色気でもぅ十分だったのだ。



彼女の「チャーリーズ・エンジェル」時代は、
わずか1クールで終わった。
その後数本映画にも出演したがパッとせず、
日本での人気は一発芸人並みに短かった。

だから、
彼女のことをリアルタイムで記憶している人は、
恐らく40歳以上だ。

ついでに「エンジェル」の裏番組(水戸黄門における大岡越前)は、
「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」

いやぁ、
すっかり懐かしくなった。



ライアン・オニールとの関係を、
ある新聞は「究極の愛」なんて表現していたが、
その最期を含め、
紆余曲折の62年だったようだ。

それにしても、
清水由貴子の時もそうだったが、
「あの人は今」が死去の報道である場合、
それまですっかり忘れていた自分を、
少し責めたくなるのは何故だろう。



●調べてみると、主にTVドラマで活躍。エミー賞やゴールデングローブ賞にノミネートされたことがあるようだ●ライアン・オニールといえば、去年麻薬で逮捕されたテイタムはどうした?

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