アトピーに悩まされ、
いじめとヤンキーが跋扈する中学に通い、
高校生になると全身黒ずくめでバンドを追っかけ、
家では親ともめてリストカットを繰り返す。
何とか美大を目指すが、
2浪して諦める。
フリーターとなって人形作家を志すも挫折。
新右翼の構成員だったり、
パンクバンドのボーカルだったり。。。
雨宮処凛(あまみや・かりん)は、
ざっとこんな経歴を持つ、
34歳の女性である。
今は「プレカリアート(不安定と労働者を組み合わせた造語)」、
つまり就職難民やニート、
ワーキング・プアらの代弁者として、
様々な言論活動を行っている。
彼女の書いた「ロスジェネはこう生きてきた」は、
そんな彼女の遍歴を、
世情の移り変わりとともにつづった本だ。
ロスジェネ(ロスト・ジェネレーション)とは、
「高校・大学・短大・専門学校を出た頃に就職氷河期に遭遇した世代」(ウィキペディア)、
という意味で、
朝日新聞が名づけたらしい。
要は、
親が団塊の世代の子供で、
いい大学=いい就職=いい結婚=いい人生
という価値観一色の中を生きてきて、
いざ自分たちが就職する段になって、
バブルははじけ平成大不況。
時代は未曾有の就職難に突入してしまった。
生きる価値観の梯子をはずされたというか、
戦後一番の貧乏くじを引いたというか。
「そりゃないだろう」という怒りや、
切迫する貧困がもたらす焦燥や絶望感は、
バブリー世代のぼくには、
残念ながらリアルではない。
でも、
彼女のこんな一文には、
とても深く共感するのである。
ただひとつ、ロスジェネでよかったね、ということを同世代の人と話すこともある。それは「状況が厳しいからこそ、考えざるを得なかった」ということだ。もしそれなりに景気がよくて、とくに本気で社会や政治のことを考えなくても生きられてしまったら、私は決して現在物を書く仕事についていないだろう。そしてそれは、他の人にも言えるのだ。時代が崩壊する、その崖っぷちにいたからこそ、私たちは本気で考え、時には行動せざるを得なかったし、今もそうしている。「考えなくても生きられる」ことは、実はものすごく恐ろしいことだからだ。
●会社の同期が亡くなった。心室細動だったそうだ。享年47歳。無念。
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