今朝の読売新聞に、
村上春樹の独占インタビューが載っていたのには、
かなり驚いた。
新作「1Q84」について、
1ページのほぼ半分が割かれ、
執筆の動機などを具体的に語っている。
こんな形でこの人が自作に言及したのを、
少なくともぼくは知らない。
「上」となっているから、
少なくともまだ「下」があるわけだ。
一読して、
やはり気にかかるのは、
彼のオウム真理教に対するシンパシーだ。
例えば、
地下鉄サリン事件で8人を殺害した、
林泰男死刑囚についてこう言う。
彼はふとした成り行きでオウムに入って、洗脳を受けて殺人を犯した。(中略)ごく普通の、犯罪者性人格でもない人間がいろんな流れのままに重い罪を犯し、気がついたときにはいつ命が奪われるかわからない死刑囚になっていた――そんな月の裏側に一人取り残されたような恐怖を自分のことのように想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた。それがこの物語の出発点になった。
「月の裏側に一人取り残されたような恐怖」とは、
いかにも彼らしい比喩だが、
その言葉がふさわしいのは、
林死刑囚ではなく、
17年間も冤罪で苦しめられた、
足利事件の元死刑囚の方だろう。
百歩譲って、
「オウム的」な思想を生みだした、
戦後日本について考えるのならばわかる。
それならば、
今読んでいる「ロスジェネはこう生きてきた」にも、
間接的に書かれている。
要するに、
「終わりなき日常」に飽き足らぬ若者が、
「デカイ一発」話に乗っただけだ。
しかしそのことと、
小説の中で「リーダー」(麻原彰晃をモデルにしたカルト教団の教祖)が、
特別な力を持った人間として描くこととは違う。
村上春樹は、
どれだけの裏付けがあってあのように描いたのか?
一体麻原の何を知っているのか?
麻原を「チンケな詐欺師」とはぼくも思わないが、
そこらの市民が勝手に妄想することと、
世界的作家が小説で描くこととは、
意味合いが別次元だ。
さらに千歩譲って、
麻原に何がしかの能力があるのだとしても、
そんなことは、
ぼくたちの社会にとって何の意味もないことだ。
他人の心が読めたり、
念力で物を持ち上げられたとして、
それが一体どうしたというのだ。
「だから」彼を信じ、
「だから」多くの人を「ポア」した人間の罪が、
「だから」免責されるとでもいうのだろうか?
本当に考えなければならない「状況」は、
全く理不尽に殺された被害者、
及びその家族の側ではないのか。
オウム事件は現代社会における「倫理」とはなにかと言う、大きな問題をわれわれに突きつけた。
そうだろうか?
エルサレム賞授賞式で語った、
「壁と卵」の話。
あの卵は、
実はオウムの卵だったのだろうか。
●それを言ったら、ヒトラーにだってユダヤ人抹殺の「理由」はあった●こういうインタビューが載るなら朝日新聞だろうと思っていたけど。それも意外●作家の役割についての発言などは理解できるのだが、どうしてもオウムの件は看過できない。何にそんなに魅せられたのか。
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