「プロレスは真剣勝負だ」
などと、
今更言う人はいまい。
そもそも「興業」、
つまり「見世物」だ。
そんなことは皆知っている。
鍛え上げられた体、
磨き抜かれた技があって初めて成り立つ「見世物」だ。
また一方で、
還暦を過ぎたジャイアント馬場が現役でいられたように、
存在そのものが「伝説」と化す場合もある。
そういう雑多な要素も全部飲み込んで、
プロレスは成り立っているし、
であるからこそ、
ファンは自分の雑多な人生を投影し、
カタルシスを覚えるのである。
「レスラー」(ダーレン・アロノフスキー監督)を観た。
初老のプロレスラーを、
ミッキー・ロークが演じ、
昨年のアカデミー主演男優賞に輝いた作品だ。
いくつかの映画評も好意的で、
是非とも見たかっただが、
正直思ったほどではなかった。
もちろん、
ロークの文字通り「捨て身」の演技は、
彼の昔を知る者として、
すさまじい気迫を感じざるを得ない。
ドサ回りを繰り返し、
体がズタズタになってもリングに上がり続けるレスラーの、
リアルな世界が描かれていたとも思う。
残念だったのは、
ストーリーがありきたり、
つまり、
完全に予測の範囲内だったということに尽きる。
この作品が言いたいことはとてもよく分かる。
だが、
観客に「よく分かる」と思われた時点で、
映画としては失敗とは言えまいか。
「分かる」を超えた何かを、
直接胸に伝える魔法が備わってなければ、
映画は成り立たない。
リアルさだけを追うなら、
ドキュメンタリーでいい。
兎にも角にも、
ロークがすべて。
彼抜きでは成立しない映画だ。
●リングで死んだ三沢光晴を思った●相撲も「興業」だ。本来プロレスと似たようなもの。そう考えれば、八百長だなんだと言うこと自体が馬鹿らしくなってくる●ペンギンさん不在●男子高校生が駅で同級生を刺殺。
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