夏本番のはずなのに梅雨すら明けず、
かといってこの時間の戸外は、
まるで秋のようにさわやかだ。
またしても変な夏だ。
だけど、
じゃあ一体いつごろの夏が「まともな夏だったのか」と問われれば、
答えに窮してしまう。
「まともな夏」など人それぞれで、
大方は子どものころの一時期の、
ほんの数年の記憶が「まとも」だと思い込んでいるだけではないか。
本当は、
夏の様相など毎年違うのだ。
京都で地球温暖化会議が開かれた1997年12月当時、
環境問題が今ほど大騒ぎになるとは夢想だにしなかった。
「エコは商売にならぬ」というのが、
世界の大方の認識だったと思う。
同じ月、
トヨタがプリウスを発表した。
世界初の量産型ハイブリット車だ。
あれから12年がたち、
そのプリウスの3代目がバカ売れしているらしい。
毎年「変な夏」を繰り返している間に、
世界の潮流は間違いなく「エコ」になり、
何でもかんでも「エコ」に結び付けようと、
企業やマスコミはみな躍起になっている。
「胡蝶の夢」(フランシス・フォード・コッポラ監督)をDVDで。
TUTAYAのオンライン会員にならなければ、
決して見ることもなかっただろう。
自分が蝶になる夢を見たのか、
今の自分が蝶の夢なのか。
荘子の故事からとった題名だが、
原題は「YOUTH WITHOUT YOUTH」(若さなき若さ)。
どう解釈するのかわからないが、
映画を見る限り、
老人の記憶にある若き日の自分ということか。
人にとって「過去」は記憶とイコールで、
今見る昔の映像は、
「過去」そのものではない。
あくまで「今見た過去の映像」だ。
プリウスの成功譚がしばしば語られるが、
歴史は往々にして、
世界の記憶の中にある世界、
「YOUTH WITHOUT YOUTH」だとも言える。
だから過去だけをよすがに、
未来を生きようとすれば、
世界はいつかまた間違える。
その過去は、
世界の記憶に過ぎない。
あらゆる記憶は、
常に変質している。
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