2009年11月6日金曜日

安堵










この誇らしげな松井秀の表情はどうだろう。

Wシリーズ第6戦、
DHで出場した彼は2ランホームランを含む6打点をたたき出し、
ヤンキースを9年ぶりの優勝に導くとともに、
日本人で初めてMVPに輝いた。


苦節何年という言葉があるが、
巨人からヤンキースに移籍して以来の7年は、
彼にとってまさに苦節の日々だったと思う。

甲子園での5打席連続敬遠に始まって、
ミスターがクジを引き当て巨人入り。
順風満帆、
不動の4番に成長しての大リーグ行きは、
本人にとって夢への一歩であると同時に、
日本球界に背を向けることに対して断腸の思いで一杯だったはずだ。

だから彼はWBCも辞退し、
ただひたすらWシリーズ優勝だけにかけてきたのだと思う。

それだけが、
日本の野球ファンに対して、
彼が出来る感謝の表し方だったはずだ。


そしてヤンキースは、
その最短距離にあるはずのチームだった。

なのに皮肉なことに彼が入団して以来、
チームは優勝を逃し続ける。

その間、
彼は選手生命の終わりともいえる手首の骨折があり、
今や満身創痍で守備にもつかせてもらえず、
DHとして黙々とバットを振り続けた。


契約最終年の今年、
チームはやっとの思いで2度目のWシリーズ切符を手に入れ、
そしてその大舞台で松井は、
これ以上ないという活躍で悲願を達成した。

イチローの偉業には「スゲエ」と天才ぶりに驚かされるが、
今回の松井は「よかった」としみじみ安堵させられるものがある。


そしてこの言葉を再び思いだすのだ。

夢をもつかぎり 努力するかぎり 夢は遠くない

まさに松井のためにあるような言葉だし、
こういう言葉や松井の姿が日本人にこだまして、
また新たな夢が紡ぎだされるに違いない。


ありがとう松井。

君は日本人の誇りだ。


●これで晴れて日本球界に復帰して、まさか阪神に入ったりしないだろうな‼●巨人は終盤の奇跡的追い上げでついに王手●いろんな意味で今日は良いことが続いた。

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