阪神が今年のドラフト1位指名した、
法政大学の二神一人投手のモットーは、
「年中夢求」だそうだ。
「年中無休」に引っ掛けた駄洒落だが、
なかなかうまいこと言うもんだ。
夢という言葉は「眠目(いめ)」、
つまり寝ている時に見る夢から来ているらしくて、
「将来の希望」という意味で使われるようになったのは、
比較的新しいという。
最近よく夢を見る。
というか、
見た夢を覚えていることが多い。
それはいつも眠りの覚めぎわ、
つまり最後に見ていた夢だ。
夢の中で、
自分は結構ヤバイ状況におかれているのだけど、
「でもこれって夢じゃないの?」と考え始める自分がいて、
次第に夢の中で起きていることが、
論理的におかしいことを検討しだす。
最後には「だってここはぼくのベッドの上じゃないか」と思い、
そのころにはほとんど覚醒していて、
最後に目を開けて「ほらやっぱり夢だろ」となる。
焦っている自分と、
冷静に「まてよ」と思う自分が、
同じ頭の中で同居している事態は、
我ながら興味深い。
夢中の人は我を忘れているが、
夢の覚め際って、
自分を客観的に眺める究極の状態ではないか。
スポーツ選手が「ソーン」と呼ぶ状態や、
ステージ上の歌手や役者が、
自分自身を上から眺めているような状態というのは、
そういうことなのかもしれない。
臨死体験にも似たような話があったな。
そういう風に、
いつも夢の覚め際のような感じをもてたら、
それは人生の極意かもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿