2009年12月26日土曜日

相応

以前誰だったか忘れたけど、
世界地図を90度傾けると、
日本はちょうど、
パチンコ台の玉受けみたいな位置にあると言っていた。

世界中で生まれた文化や文明が、
コロコロと各国を伝わり落ちて、
最後に日本に吸い込まれるのだと。

あはは。

確かにそう見える。

日本はつまり、
世界のおこぼれの受け皿というわけだ。

まぁ、
食いっぱぐれはないけど、
一番美味しいとこにもありつけない。


広島・長崎の五輪共催案が、
JOCによって潰された。

曰く、
五輪憲章には1都市開催と定められている。
仮に日本が推薦してもIOCが絶対認めない。
だから駄目だと。

こういう発想を聞いただけで、
体の力が抜けるようだ。

世界で唯一の被爆都市で平和の祭典を。

これほどの大義があるのだから、
憲章を変えさせるぐらいの勢いで勝負すればいいのにと、
ぼくなどは思うのだが。


「日本辺境論」(内田樹著、新潮社新書)を読んでいる。

「和をもって尊しとなす」。

なるほどこの国は、
その成り立ちからして、
辺りをきょろきょろ見渡して、
空気を読んできたのだなぁ。

誰かにルールを決めてもらわないと、
まともに歩くことさえできない、

たまに自分で決めると、
この間の戦争みたいなことになってしまう。

他国のおこぼれで生きている国。
親のおこぼれで総理になれる国。


おこぼれ国家ならばそれらしく、
今後も国際社会で振る舞えばいいし、
東京でもう一度五輪を開きたいなどと大それたことも、
金輪際言わないことだ。

誰かが「いいよ」と言ってくれるまでは。

それが分相応ということになる。


残念ながらぼくもそういう国に生まれ育ち、
たぶん根っこはそういう分際だ。

なのに分不相応なことを願ってしまう。

それがいけないこととは思わぬが。

●と卑下していたら、広島は単独招致を検討するらしい。いいぞ頑張れ。その意気だ。少し力が戻った。

0 件のコメント:

コメントを投稿

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...