以前誰だったか忘れたけど、
世界地図を90度傾けると、
日本はちょうど、
パチンコ台の玉受けみたいな位置にあると言っていた。
世界中で生まれた文化や文明が、
コロコロと各国を伝わり落ちて、
最後に日本に吸い込まれるのだと。
あはは。
確かにそう見える。
日本はつまり、
世界のおこぼれの受け皿というわけだ。
まぁ、
食いっぱぐれはないけど、
一番美味しいとこにもありつけない。
広島・長崎の五輪共催案が、
JOCによって潰された。
曰く、
五輪憲章には1都市開催と定められている。
仮に日本が推薦してもIOCが絶対認めない。
だから駄目だと。
こういう発想を聞いただけで、
体の力が抜けるようだ。
世界で唯一の被爆都市で平和の祭典を。
これほどの大義があるのだから、
憲章を変えさせるぐらいの勢いで勝負すればいいのにと、
ぼくなどは思うのだが。
「日本辺境論」(内田樹著、新潮社新書)を読んでいる。
「和をもって尊しとなす」。
なるほどこの国は、
その成り立ちからして、
辺りをきょろきょろ見渡して、
空気を読んできたのだなぁ。
誰かにルールを決めてもらわないと、
まともに歩くことさえできない、
たまに自分で決めると、
この間の戦争みたいなことになってしまう。
他国のおこぼれで生きている国。
親のおこぼれで総理になれる国。
おこぼれ国家ならばそれらしく、
今後も国際社会で振る舞えばいいし、
東京でもう一度五輪を開きたいなどと大それたことも、
金輪際言わないことだ。
誰かが「いいよ」と言ってくれるまでは。
それが分相応ということになる。
残念ながらぼくもそういう国に生まれ育ち、
たぶん根っこはそういう分際だ。
なのに分不相応なことを願ってしまう。
それがいけないこととは思わぬが。
●と卑下していたら、広島は単独招致を検討するらしい。いいぞ頑張れ。その意気だ。少し力が戻った。
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