2010年6月15日火曜日

初戦













上がったねぇ、
とびきりでかい花火が。

どーせ負けるだろうと思っていたら、
急増1トップの本田が決めたばかりか、
エトー擁するカメルーンを完封してしまった。


前半39分、
1点が入った時点では、
これでカメルーンにエンジンがかかって、
あっという間に逆転されるだろうと読んでいた。

後半になって、
どんどん時間が経過してもまだ、
勝てるとは思わなかった。

でも同時に、
失点しそうな感じもしない。


そうこうしているうちに、
残り時間が10分を切った。

ドイツ大会のオーストラリア戦の悪夢が脳裏に浮かぶ。

そして、
ついにロスタイム。

1点の重みがどんどん増してくる。

勝ち点「3」と「1」の差は天と地。

それでも、
同点は覚悟していた。

でも、
まさか、
このまま勝っちゃうの?

そんな感じのまま、
ついに終了の笛が鳴った。


「勝てば官軍」


これでもう、
だれも岡田Jに文句は言えなくなった。

たとえこの後、
オランダやデンマークに負けたとしても、
大手を振って帰ってこられるだろう。


だからこれは文句ではないのだが、
正直カメルーンには失望した。

アフリカ勢とはいいながら、
眼を見張るようなスピードも、
パワーも感じなかった。

これは、
日本の対策が実ったということなのか、
単にカメルーンが弱かったのか。


ひとつ確かなことは、
日本の選手は冷静だった。

本田が1点を奪った場面でも、
松井からのクロスをピタリと足下に止め、
間髪入れず正確にけり込んだ。

その1点を守りきれたのも、
これまでの数々の苦い経験が生きたのだろう。


結果的にも、
内容的にも、
最高の初戦だった。

それが、
まだ信じられない。


●勝利の輪を写すテレビの映像に、中村俊輔の姿を見つけることができなかった。胸中はいかばかりか●写真は毎日jpから引用です。

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