2010年11月26日金曜日

入院

小学校2年生の時、
やっかいな病気になって、
須磨の高台にある病院に4ヶ月間入院した。

「こども病院」っていう名前の通り、
入院患者は子どもばかり。

一部屋四つのベッドがあって、
ぼくは(たぶん)南西の角だった。

完全看護で、
親との面会は週に2回。

そのベッドはぼくだけの「城」だった。

枕元にラジオをセットして、
ベッドのパイプにイヤホンのコードを巻きつけて、
横になるとちょうど左耳のところにイヤホンの先端がくるように、
場所を調節した。

足元には背もたれの角度を調節できるハンドルがついていて、
ぼくはそれを使ってほんの少し、
たぶん三度ぐらい傾けて寝るのが好きだった。

毛布とシーツをピンと張って、
ちょうどホテルのベッドのように、
マットレスの下に織り込んで、
そのままの状態で隙間に体を滑りこませて、
圧迫感を感じながら寝るのが好きだった。

ナースステーションは「遊び場」。
カルテを空気圧で送る「エアシューター」が好きだった。

カルテを入れたカプセルに、
ダイヤルをカチカチ回して行き先をセットし、
ボタンを押すとシューターの奥の方から、
空気がシューってやってくるのが聞こえて、
タイミングを見計らってパイプにカプセルを投げ入れると、
シュッと吸いこまれていった。

悪戯が大好きで、
車いすに入院している別の子どもを載せて、
病棟中を駆け回り、
看護婦さんに怒られた。

罰として、
注射をされた。

子ども心に、
一体何の注射だと思ってアンプルを見ると、
「蒸留水」と書かれていた、、、

いやいや、
長々と。

SIONの「12号室」(http://www.youtube.com/watch?v=XthvTgblizU)を聞いてたら、
思い出しちゃってね。

彼女と話したその日から ほんの少しづつだけど
誰かの問いに答えたり 誰かに話しかけれるようになった
何人かの友達もできて やっとそこの暮らしに
やっとそこの暮らしに慣れてきた 3か月目の朝突然言われた
ここにいても君の場合はなんにもならない 君も家に帰りたいだろう

みんなとは違うと言われ ここに入ってきて
そして やっとやっとここに慣れたのに ここも違うらしい
4時間電車に乗って 元いた教室に戻った
懐かしいはずのクラスの顔、顔 みんなよその国の人に見えた
今日からまた仲間ですと 先生は俺を紹介した

なんか気持ち、
わかるんだよなぁ。。。

●しかし、たとえ蒸留水とはいえ、今だったら大問題になるだろう。もちろん、看護婦さんは大問題ではなく、そういう世の中が大問題なのであるが。

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