2011年3月31日木曜日

連帯

日本を人間に例えれば、
地震と津波は外科的障害である。

重傷ではあるが、
適切な治療と時間をかければ、
いずれ傷も癒えよう。

それに比して原発事故は、
内科的障害だ。

日本の心肺機能は大きく損なわれた。

今後、
日常生活に不便はないが、
飛んだり跳ねたりは一生無理、
みたいな宣告を受けたも同然だ。

この病とうまく付き合うしか、
日本の生きていく道はない。

そんな中、
世界各国から、
原発事故に対して物資や人材の提供が続いている。

福島原発を終息させることは、
今や世界的ミッションなのだ。
その成否は、
大げさではなく人類の未来を左右する。

ところで。

被災者に接する時に「頑張って」というのは、
絶対によくないと新聞に載っていたが、
一方で「頑張ろう日本」はよいらしい。

微妙だけど、
「頑張れ東北」よりは、
連帯感は感じられる。

でも、
「頑張ろう日本」って言いながら、
実際には「頑張れ東北」ぐらいにしか思っていない人って、
結構多いのではないかと思う。

ぼくだって、
「頑張れ自分」だけで結構手一杯だ。

テレビを見ていると、
穴が開いたCMの代わりに、
公共広告機構のCMが入っている。
いいこと一杯言っているが、
「不必要なものは買わない」には反対だ。

そんなことしたら日本経済は本当にシュリンクしてしまう。

ぼくは堂々と無駄遣いする。

それがぼくの、
ささやかな「頑張ろう日本」である。

2011年3月30日水曜日

死線

今この地球上に生きている人類の数より、
すでに死んでしまった人類の方がはるかに多く、
よってぼくらは、
まだ死を経験していない少数派なのだ。

と、
以前に書いた。

一方、
毎年1万人近い人が交通事故で死に、
3万人超の人が自殺している。

死は実に身近にあるのだけれど、
ぼくたちは通常、
自分たちが少数派だとか、
次の瞬間には死んでいるかもしれないなどと、
意識はしない。

でも、
たった数時間の間に万単位の人間が、
死んでしまったという現実は、
いやがおうにも、
ぼくらに「生き残った感」を与えた。

ぼくらはまだ、
死線のこちら側にいる。

人はそういう「生き残った感」を得た時、
自分の命を考え直し、
それが大きければ大きいほど、
再生への力は強いものになると思う。

第二次大戦で、
原爆を2発落とされ、
国が焼土と化した時も、
日本人は最大級の「生き残った感」を感じ、
だからこそ、
驚異の戦後復興がなしえたのだ。

今の時代だからきっと、
津波が町を押し流す悲惨な映像は、
「被災者の心の傷に配慮する」などの美名の下、
人々の目の前からどんどん隠されていくだろう。

でも、
それじゃいかんのです。

「復興」と口にする前に、
ぼくらはもっと、
あの悲惨な光景を目に焼き付けなければならんのです。

その焼き付き度が大きければ大きいほど、
「生き残った感」は増し、
ひいては「再生力」となるのだと思う。

もっとも、
「再生力」といってもそれは、
「前と同じように」という事ではない。

今回の地震は、
日本人の暮らしを大きく変えるだろう。

変えなくちゃいかんのです。

少なくとも、
原発を再び作るような国にしては、
絶対にならないのである。

福島原発事故は、
見えにくいけど、
広島と長崎の原爆に匹敵するような非劇だ。

2度と原爆を落とされることがあってはならないのと、
まったく同じ程度に、
再び原発を建てることがあってはならないのである。

それをもし許すようであれば、
ぼくたちは、
今回の地震で亡くなった人に、
顔向けできないだろう。

黙とうも大事だ。

募金も貴重だ。

ボランティアも尊い。

だが、
なによりも、
ノーモア原発である。

●痛い目にあっても気づかなければ、ぼく的には日本国民は「大馬鹿」ということになる●ザックJ対J選抜。うーん?日本人はともかく、外国で見てた人はどう思ったでしょうねぇ?

2011年3月29日火曜日

世情

「金八先生ファイナル」4時間、
録画で見てしまった。

CM飛ばしたけど。

ぼくはこのドラマの熱心な視聴者ではなかったけど、
パート1と2は、
同年代だったこともあって、
何となく見てはいた。

15歳の妊娠とか、
校内暴力で生徒を逮捕とか、
時代を先取りというか、
教育への強烈な問題提起だったと思う。

特にパート2のいわゆる「腐ったミカンの方程式」、
加藤が学校内で手錠をかけられ、
中島みゆきの「世情」が流れるシーンは、
テレビドラマ史上に残る傑作だと、
勝手に思っております。

http://www.youtube.com/watch?v=fOEOiVAD1-o

「ファイナル」ではその加藤が大活躍。

定年を前にした金八先生が、
荒れる生徒・景浦に手を焼いて、
今や建設会社の社長になっている加藤に、
助力を求めに行くシーンでの加藤の台詞が秀逸。

「それはできないな。先生だって、その子には先生がいるじゃないか。“ここがお前の場所なんだ”って。その子は、先生に言ってほしいんだよ。 俺も、そうだった。本当のワルなら、学校には来ないよ。言ってほしいんだよ。金八先生に見放された子に、未来はないよ…」。

「負うた子に教えられ」ってやつですね。

ところで。

今日最寄り駅に行くため、
音楽を聴きながらママチャリをこいでいると、
右側からスッと自転車に乗ったオニイチャンが近づいてきた。

手に紙幣を握り締め。

????

ゆうべの金八先生のこともあって、
一瞬「かつあげ?」と思ったものの、
なら彼が紙幣を持っているのも変な話で、
思い返してみて、
やっと「オレが落としたやつだ」と気づいた。

家を出がけに上着に無造作に突っ込んだ六千円が、
何かのはずみで落ちて、
それをオニイチャンは親切にも、
追いかけて届けてくれたのだ。

以上のようなことを、
0.5秒ぐらいで理解し、
口をついたのは「ありがとう」のたった一言だけ。

そしてぼくは駅へ、
彼はどこかへ去っていった。

「かつあげ」などと、
一瞬でも思った自分が情けない。

教えられました。

●これがまた、「ファイナル」に出てきた景浦に似た、カッコいいオニイチャンだったんだ●福島原発の敷地からプルトニウムが検出されたという。破滅的展開である。

2011年3月28日月曜日

代償

うちの近所のショッピングセンターのある場所は、
昔、
野球場があって、
そこでは定期的に競輪も行われていた。

その頃には、
うちの町内会に競輪協会から、
「迷惑料」としていくばくかの金が配られていて、
それで町内会費は潤い、
町内会旅行などに充てられていた、
というのは母の述懐である。

迷惑施設は常に地元に金をばらまく。

競輪場しかり、
下水処理場しかり、
暴力団事務所しかり、
米軍基地しかり。

そして、
原発しかりである。

ぼくがかつて住んでいた福井県。

四季がはっきりとしていて、
日本海の幸に恵まれたかの地は、
本当によい所だった。

ただ、
原発があるという一点を除いて。

電力事業者は、
「絶対安全」という美辞麗句を表では掲げ、
その裏で地元には湯水のごとく金をばらまいていた。

「原発が絶対安全なら東京都に作ればいい」

そういう原発反対論が虚しいのは、
「絶対」などないことは皆知っているからで、
我々は迷惑施設を田舎に押しつけ、
電力という恩恵を受け取ってきた。

福島県や福井県などが、
原発を受け入れざるを得なかったのは、
ただただその地が貧しかったからだ。

欲に目がくらんだというのではなく、
たとえ危険な原発であっても、
それにすがらねば生きていけなかった、
そういう切実な現実があったのだ。

福島原発事故で、
周辺住民は強制的に立ち退かされ、
今後、
再び故郷に戻れるあてはない。

電力という果実だけを受け取ってきた身としては、
やはり、
人間は生きているだけで誰かに迷惑をかけているのだと、
再認識してこうべを垂れるしかない。

「放射線情報」というアプリがある。

日本国民はこれから、
天気予報を見るように放射線情報を気にしながら、
日々暮らしていくのだ。

それは一義的には東電や国の責任ではあるが、
結局は、
迷惑施設を貧しい町に押しつけ、
見て見ぬふりをしてきた、
ぼくら全員が払わねばならない代償なのだ。

●束の間の休息。「ザ・ファイター」を観た。たいして面白くなかった。さぁ、また怒涛の勤務だ。

2011年3月27日日曜日

本望

ぼくが働く会社は、
製品を通じて社会に日々何かを伝えている。

ぼくは製品作りの一部門に所属し、
裏方の仕事をしている。

だから自分の仕事がユーザーに、
どのように受け止められているのか、
実際のところは良くはわからない。

ユーザーの反応、
肉声が直接ぼくの耳に届くことは、
まぁないと言っていい。

ところが今日、
ちょっと珍しい形ではあったが、
数人の「ユーザー」からじかに「良かった」と言ってもらえた。

ある女性は「よくわからないけど、涙が出た」と言った。

ぼくの方こそ涙が出そうになった。

それは、
褒めてくれた仕事が、
まさにぼくが渾身の力を込めたものだったからだ。

自分で会心とは思っていたが、
その製品への思いが、
ちゃんと届いていたんだと知って感激した。

大げさに言えば、
これで会社をいつ辞めてもいいと思った。

本来ぼくの仕事は、
過度に個性を出すというより、
間違いのない無難なものが尊ばれるのだが、
その時の製品には、
ぼくの個人的感情というか、
人生すべてを昇華させたようなところがあって、
普段なら提案段階で99%、
撥ねつけられるような内容であった(と思う)。

だがその時だけは、
たまたま提案が通った。

通ったというより、
誰もかれも忙しくて、
あんまり相手にしてくれてなかったのだ。

実にラッキーだった。

誰からも期待されず、
放置されていたからこそ、
自分のやりたいようにやった。

その半ばヤケクソの情熱が製品という形になった時、
社内の空気を変わった(と思った)。

度肝を抜いてやった(と思った)。

というような「奇跡的」な経緯を経て、
それは結局誰にもケチをつけられることなく、
そのまま製品化された。

入社して22年になるが、
間違いなく個人的に最上で最高の仕事だった。

そして恐らく今後この会社で、
この仕事を自分が超える事はない。

そんな風に言いきれる仕事を、
たった一つではあるが出来たことを幸せに思う。

ちっぽけだけど、
サラリーマンの本望だ。

●怒涛の2週間を経て、やっと日曜日は一息つける●フジテレビの佐々木恭子アナウンサーが鳴尾高校出身って、全然しらなかったー。佐々木恭子自体を知らないのだから当たり前だけどー(笑)

2011年3月26日土曜日

無力

巨大地震から2週間、
家族がみな犠牲になり、
家も流され独りぼっち。

おじいさんの手を引いて避難していた少女が、
迫りくる津波に耐えきれず「ごめん」と言って手を離し、
振り返るとおじいさんの姿が消えていた、、、

連日のおぞましい地獄絵図の報道に、
うんざりしてきたという人が、
少なくとも関西では増えている。

奇跡的救難劇、
避難所で一致団結して頑張る被災者。

そういう一筋の光明みたいな記事が、
望まれているという。

テレビでは生活再建アドバイザーなどという人が、
登場し始めている。

惨状を伝えるというより、
新たな命の誕生とか、
復興に向けた希望を奮い立たせる被災者とか、
そんな報道が今のニーズだという。

たった2週間で、
このありさまである。

伝えられた非劇は全体の1%にも満たないはずだ。

伝えられない事は、
ぼくらにとっては無かったこと。
もちろん想像はできるけど。

もっともっと今は、
むごたらしい地獄絵図を伝えるべきだ。

記憶はいやでも風化する。

少なくとも表舞台からは消え、
徐々に明るい話題、
被災者の笑顔が増えつつある。

記録できるのは今しかないのに。。。

なのに世間の風潮は、
強烈な復元力で「日常」を回復しようとしている。

それも大事ではあるけれど。。。

今はまだ、
すべてを失った被災者の声を、
絶望に打ちのめされた人の涙を、
生き残ったことすら罪悪に感じる人の、
生の声を伝えねばならないと思う。

繰り返すが、
たった2週間である。

この先数十年にわたって続く、
未曾有の大災害を、
もっともっともっともっと伝えねばならない。

などと個人的には思っていても、
かなわぬ道理はないのは悲しい。

無力だ。






















梅田に掲げられた、
朽ちた掲示板(?)を見て、
ふとそう思った。

●業務連絡。土曜日に元町に参上します。

2011年3月25日金曜日

存在

読売新聞の四コマ漫画「コボちゃん」は、
主人公コボに妹ミホが生まれるという、
意外な展開になったことは以前書いた。

そのコボは今春小学校に入学する。

登場人物が成長する四コマ漫画。

6年後には中学生になり、
十数年すれば成人したコボが見られるのだろうか?

その間に、
おじいさんやおばあさんが亡くなったり、
コボの両親が離婚したりしたらどうしよう、、、

など、
くだらぬ事が気になってウィキると、
作者はミホが3歳になるぐらいまで、
年齢を動かすそうだ。

何か中途半端。

残念なような、
でも安心したような。

そうそう、
本題なんだけど、
コボちゃんって、
地震があった翌日も、
ちゃんと載ってて驚いた。

未曾有の大災害を伝えるど派手紙面の片隅、
普段は左上なのが左下に移動していたが、
そこだけは、
いつもどおりのコボちゃんだった。

あれはどういう意図なのかしらん。

読売に限らず、
新聞の四コマ漫画は作者が病気にでもならない限り、
絶対に休まない。

一瞬「不謹慎」な気もしたのだけど、
大混乱する社会の中で、
唯一そこだけ、
かろうじて守られている「日常」という風にも感じられた。

普段大して気にもとめない四コマ漫画だけど、
ああいう時って、
それが「ある」という事そのものが大きな意味を持つ。

この先どんなに驚天動地な出来事があっても、
心の片隅に四コマ漫画を。

社会の中の四コマ漫画に。

大したこと何にもしなくても、
そこにいることが重要な、
そういう人間になりたいなぁ。

●巨大地震から2週間が経過した●高校時代からの友人が「ブログ千回おめでとう」メールをくれた。彼は関東に住んでいて、今回の地震の際は9階にあるオフィスにいて、大そう揺れたと追記してあった。「たぶん一生忘れないだろう」とも。


2011年3月24日木曜日

諾諾

野菜にミルクに海水に続いて、
ついに水道水までが放射能汚染、、、

しかも、
水道水については、
福島原発から200キロも離れた東京である。

風向きや天候など要因は様々らしい。

汚染レベルも、
今のところ成人に大きな影響はないというが、
何といっても世界のTOKIOの水道水である。

無計画停電に次いで、
関東のイライラは募るばかりだろう。

そして原発ではまたしても、
黒煙がもうもうと上がりだした。

そんな中で選抜高校野球が始まった。

がんばろう日本

真剣にプレーする高校生の姿はすがすがしいが、
阪神大震災の年の大会と感触が違うのは、
やっぱり原発の問題が現在進行形だからだ。

地震による被害は、
犠牲者の数が増えることはあるにせよ、
それは当局が分かっていないだけで、
ある意味すでに「確定」している。

しかし原発本体、
そして放射能汚染による被害は拡大の一途で、
確定はおろか、
どこまで拡大するのかも庶民にはまったく見えない。

今回の地震と津波と原発事故について、
日本人の対応が冷静だと、
海外マスコミで称賛されているらしいが、
その一つの原因は、
ぼくらが実態を知らされていないからという側面が、
少なからずあるように思う。

先日書いた「遺体」の映像もそうだが、
被災地では「略奪」とはいかないまでも、
「火事場泥棒」のような行為が発生しているようだ。

しかし、
そんな輩を逮捕したとかの話は聞かない。

東京の水道水にしても、
常識で考えれば福島と東京の間、
というか、
福島から半径200キロエリアは、
すべて汚染の恐れが高いと思うのだが、
それらの場所での調査結果はまだ発表されていない。

マスコミにしても、
テレビはNHKしか見ていないのだが、
インタビューに応じる人の声は、
やけに冷静なものが多い。

それに例えば、
被災直後の原発を上空から撮影した映像が、
10日以上たって公開されるなんて、
こんな「事後報告」に、
ぼくらはもっと怒るべきではないのか?

放射能による人体への被害が、
すぐには現れないのをいいことに、
国や原子力業界が情報操作しているとしか思えん。

ぼくらにしても、
無味無臭で無色で無音な放射能というものに、
少々鈍感過ぎる。

太平洋を挟んだ向こう側の国民までが、
わがことのように不安がっているのに、
おひざ元のこの列島で、
どうしてぼくらはここまで冷静でいられるのだろう。

これは美徳だろうか?

最悪を認識しつつ、
最善を祈っているならそうだが、
「知らない」ということを知らないまま楽観しているなら、
それは単なる愚鈍だろう。

極端な例だが、
ズルズルと「なし崩し的」に負け戦になだれこんだ、
第二次世界大戦の時と、
ある意味通じるものがあるではなかろうか?

「何ら問題なし」
「まだ大丈夫」

そんな「大本営発表」に唯々諾々としている、
そんなことでいいのだろうか、、、

●イタリアからのアクセスが増えている。ぶーまん、達者でな~

2011年3月23日水曜日

千日

さて、
今日で正真正銘、
このブログを始めて千日目だ。

毎夜毎夜よくも、
ネタに迷い迷い、
グダグダ書いたもんだ。

「1年」とか、
「ひと月」とかのボリュームは、
体に何となく染み付いているけど、
「千日」って、
ぼくにとって初めて意識する量で、
経ってみれば「こんなものか」って感じ。

そりゃもっともな話で、
日記をつけている人なら、
千回どころか一万回だって、
続けている限り当然のように到達する数字だ。

昨日、
「みなさんとの約束」と書いたけど、
その「約束」っていう言葉の感触は、
スガシカオの「約束」に近いように感じる。


雲と雲の切れ間から
差し込んだ光の筋
その透きとおったオレンジが
空と街をつないでいる

一人ぼっちは じっとしてさえいれば
それなりの朝は訪れた
でも 君と二人ぼっち
キズつけあうときの音
胸が破裂しそうにイタイ

望んだこと 何もかもを
欲しいと思うもの すべてを
もしも ぼくら 手にしたとしてだ
それを'幸せ'っていうの?

わかりあえない この思いが
消えてしまいそうな 願いが
きっと ぼくと 君をつなぐ
約束になっていくって
気がするんだ

目が覺めたら いろんなこと
良くなってないかな、とか思う
たぶん 君もそんな風に
眠る夜があるのかな...

あこがれ·プライド·嫉妬
いつも理想って 誰かのユメのよせ集め
'何も失いたくない!'
'何も汚されたくない!'
でも それじゃ すすめない

悲しいって泣いて ばっかいても
孤独ばっかり 歌っていても
ずっと ぼくら この場所から
拔け出せないと思うんだ

バカにされそうな ガムシャラが
あきらめなかった 気持ちが
いつか 今日と 明日をつなぐ
約束になっていくって
気がするんだ

明日 どうしてる?
明後日 どうしてる??
しあさって どうしてる???
今日と明日 無限にくりかえす繰り返し
つなげてく つないでいく
(僕の気持ち-君の気持ち)≒どれくらいの氣持ち?
あの光のように ぼくらを
つなげてくれ つないでくれ
胸が破裂しそうにイタイ

望んだこと 何もかもを
欲しいと思うもの すべてを
もしも ぼくら 手にしたとしてだ
それを'幸せ'っていうの?
わかりあえない この思いが
消えてしまいそうな 願いが
きっと ぼくと 君をつなぐ
約束になっていくって
気がするんだ


だから千回とか千日とか、
区切りの数字には、
実のところ大した意味はない。

何かを達成するんじゃなくて、
何かになろうとし続けることの、
そのモチベーションの継続が、
あなたとの約束で、
ひいては二人の信頼につながるんだと、
そんな気がするんだ。。。

2011年3月22日火曜日

千回

189+365+365+31+28+22=1000

何度も確認したから間違いない(たぶん)。

遂にこのブログも千回に達した。

来る日も来る日も千日間、
駄文を書き連ねてきたということだ。

それができたのは、
今これを読んでくれている、
みなさんのお陰です。

ありがとう。

脇目をふることのない日々だった。

「JazzVocal」を名乗り、
それに恥じぬ歌を歌えるようになりたいと、
ずっと心に誓い、
精進を続けてきた。

歌について直接話題にすることは、
ほとんどなかったけど、
紛れもない事実である。

このブログを書くことは、
ぼくにとって一日の終わりであり始まりであり、
たとえ下らぬ内容であっても、
「書く」という行為そのものが、
自分が何者で何を目指して生きているのか、
自身で自身を確認する作業だった。

何よりも、
生きているということの証だった。

ぼくは生きている

そのことだけを伝えるために、
続けてきたようにすら思う。

だから、
一日も欠かさないことだけにはこだわった。

うっかり公開を忘れたことが2度あったが、
「書く」ことは間違いなく毎日続けた。

泣きたくなるように辛い日、
泥のように疲れた日、
悔しさにもだえそうな日、
思考停止状態の日、、、

どんな日も、
歯を食いしばって絶対に休まなかった。

たかが3年足らずではあるが、
ささやかな自負である。

いい歌を歌えるようになること。

毎日ブログを更新すること。

読者のみなさんとぼくとの、
この二つの約束は、
絶対に守ります。

●と書き終わり、第1回の6月8日を見直したら、何とこの日は2回書いている‼つまり千回ではあるが、千日は正確には明日だった。でも、もう書いちゃったから、多少手直ししてアップします。千日についてはまた、明日~(笑)

2011年3月21日月曜日

端緒

昼ごろに起きると、
姉夫婦が来ていた。

話題は当然のことながら地震になったのだが、
阪神大震災の当時、
阪神間はグチャグチャなのに、
大阪に出てみると全然普通で、
すごい違和感を感じたという点で、
意見が一致した。

その時テレビではNHKのど自慢をやっていた。
八代亜紀が泣きながら歌っていた。

それから、
近所の映画館に「SP革命篇」を一人で観に行った。

映画館の入っているショッピングモールは人であふれ、
映画館もほぼ満席。

映画は、
テロリストに占拠された国会で、
SP4人が奮闘するという話。

今の状況だと、
こんな荒唐無稽な話も、
妙にリアリティがある。

前作「SP野望篇」よりスケールが大きく、
ある意味ちょっと「映画らしく」なっていた。

主演の岡田准一のアクションがまた、
地味にカッコよかった。

帰宅して、
地震発生以来の新聞を読み返した。

当初の、
地震と津波のパニック的扱いから、
数日後には原発問題が紙面の多くを占め、
それ少し落ち着くと、
今度は救出話や避難所の苦労などに移り、
今は、
相変わらず綱渡り的な原発がメーンだが、
ようやく始まった物資供給や被災者の県外脱出等々、
少しずつではあるが、
何がしかの均衡を取り戻そうという雰囲気が出てきている。

阪神大震災でさえ、
16年たった今でも、
その爪痕は町の記憶として残っているわけだから、
今回の地震だって、
今後数十年にわたるであろう復興の、
ほんの端緒にすぎない。

でも、
たとえひとかけらずつでも、
毎日の営みを通して、
何かが直され、
癒されていくだろう。

それができるのは、
生き残っているぼくらと、
これから生まれてくる子どもたちだけだ。

そんなことを思いながら、
焦らず腐らずたゆまず、
再び仕事場に戻る。。。



















●NHKがニュースの間に「ケルン・コンサート」を流している。いい選曲だけど、ぼくはやっぱ仕事モードは「アキレス最後の戦い」で行きます。

2011年3月20日日曜日

一定

原発への水撒き作戦は、
今のところ予想以上の効果が得られているようだ。

だからといえばそれまでだけど、
自衛隊と東京消防庁の堂々とした会見を見るにつけ、
東電や原子力保安院の会見が、
いかに隠蔽的であるかを痛感させられる。

と、
安堵する間もなく、
今度はホウレンソウと牛乳の被爆問題。

一難去ってまた一難。

政府・民主党は綱渡り、
まさにギリギリのかじ取りをしている。

しかし思うに、
彼らにとっての救いは、
官房長官が仙石から枝野に代わっていたこと。

文字通り「舌足らず」ではあるが、
彼の言葉は、
政治家の持つべき重さと、
真摯に語りかけようとする姿勢が感じられる。

彼が官房長官になったのは、
尖閣ビデオの件で仙石が辞めたからであり、
まったくの偶然だ。

外務大臣だった前原が、
外国人からの献金で地震直前に辞任したのもそう。

人の道は、
何かのきっかけでガラっと変わってしまう。

枝野はこの国難を経て、
政治家として、
人間としてグレードアップするに違いない。

その彼にしても、
言葉使いで気になるのは、
「一定の効果があったものと推察される」に代表される、
「一定」の用法だ。

三省堂大辞話によれば、
一定の意味は「確かにそうと定まっていること」とある。

ところが、
東電や政府が使う「一定」は、
「ある程度」ということであり、
明らかな、
というか意図的な誤用である。

あと、
放射能レベルの説明で、
「今すぐに人体に影響が及ぶものではない」っていうのも、
「じゃ長期間ならどうなの?」って突っ込みたくなる。

被ばく量をすぐにCTスキャンの回数に置き換えるのも、
「CTってそんなに被爆するものなのか」と、
逆効果のような気がしないでもない。

さて、
彼らの戦いは延々と続くが、
ぼくは日曜日、
久々に休ませていただく。

体力、
気力ともに、
一定程度は回復されるだろう。

●今聞いているのはアランフェス協奏曲。これ聞くと、昔からなぜか涙腺が緩む。

2011年3月19日土曜日

符合

大阪駅の改札口を出て「あっ」と思った。

















ディズニーシーの広告がない。

きっとだれかが指摘したのだろう。
次の広告と交換されたのではなく、
慌てて取り外されたのに違いない。

ひょっとして、
2日前の当ブログ(配慮)の読者?

であれば感謝します。

ぼくなんか、
文句だけここで言って、
実行はしなかったんだから。

というわけで巨大地震から一週間が過ぎた。

ついに死者数が6900人を超え、
阪神大震災を上回った。

その数はどんどん上積みされている。

そういえば、
阪神も今回の巨大地震も、
発生時間は46分だ。

そして原発には、
消防車やヘリから必死の水撒き作業が行われているが、
こちらも一向に見通しが立たない。

一方で、
高校野球は予定通り23日から開催されることが決まり、
プロ野球も今のところ、
セリーグは25日の開幕を目指している。

甲子園といえば、
1年生部員ばかりで出場する、
岡山の創志学園の選手の多くは、
阪神大震災の年に生まれたそうだ。

テレビも通常放送に切り替わりつつある。

触れた振り子を戻すように、
人々の「日常」への欲求は高まっている。

ではあるが、
被災者の悲しみは、
むしろ始まったばかりだろう。

報道によると、
これまでの犠牲者の死因は9割が溺死だそうだ。

津波の犠牲者が多いとは思っていたが、、、

そんな一週間を興味深い視点で振り返った映像がある。
×が示す震源の位置の推移に注目して欲しい。

http://www.youtube.com/watch?v=totP-TObCsc

いかがだろう。

●来週の勤務ダイヤが配られた。見ただけで疲れた。

2011年3月18日金曜日

余力

泊まり勤務でヘロヘロになりながら、
梅田を歩いていると、
銀行の外貨両替コーナーに、
やたら人が多い。

遂に70円台だものなぁ。

今ドルを買っておけば、
いずれまた80円台に戻れば、
「濡れ手に粟」となる。

ま、
そういう人を責める気はない。

東北で続く過酷な状況も、
原発の暴走も、
無計画停電に振り回される東京も日本だが、
普通に出勤や通学して、
夜は暖かい家で団欒の時を過ごす、
そんな光景もまた今の日本である。

気持ちはともかく、
日本中が東北や関東のようになっては、
もう本当に日本沈没なのだ。

梅田の賑わいは、
言いかえれば「日本の余力」だともいえる。

もう明日(正確には今日)で1週間だ。

あっという間だった。

結構仕事したなぁ。

ということで、
いわゆる「自分へのご褒美」として、
我が財布の余力でイヤホンを買った。

これまでのお気に入りが、
またプラグの付け根で断線してしまったのだ。










左がこれまでので、
右が新しいの。

これまでのは音がよくてコンパクトで、
とても気に入っていた。

修理にも出すけど、
1年もたたないうちに2度も断線しているようでは、、、

新しいのは、
無骨な作りだけど、
断線の心配はない(と思う)。

これで気分一新、
また当分仕事にまい進するが、
果たしてぼくに余力は残っているのか?


●無骨といえば、東北の人ってやっぱり我慢強いなぁ●業務連絡。久々元町に行きます(笑)

2011年3月17日木曜日

配慮

















通勤でJR大阪駅で下車し、
改札を出た途端、
目に飛び込んでくる光景だ。

ディズニーシーの開業10周年を祝うポスターだ。

大海原を背景に、
ミッキーやドナルドが描かれている。
楽しげにウェイクボードでもしているようだ。

このポスター、
確か今回の巨大地震の翌日ぐらいから張り出されているのだが、
どうにも気持ち悪くていけない。

ちょっとは配慮しろよ。

配慮といえば、
マスメディアで遺体が映されなくなったのは、
いつごろからだっただろう。

16年前の阪神大震災の時にはすでに、
テレビや新聞で遺体が映し出されることはなかった。
そして今回の巨大地震でも、
1万人を超える犠牲者が出ているはずなのに、
メディアはその惨状を報じてはいるが、
たった一人の遺体の姿も映さない。

その報道規制ぶりは徹底している。

しかし、
それは一体だれへの配慮なのだろう?

犠牲者や遺族に対してだろうか。
あるいは、
視聴者に対してだろうか?

無闇に遺体を映せと言いたいわけではない。

無残な遺体を見たいわけではない。

が、
目を背けていたいからこそ、
逆に目に焼き付けておかねばならないようにも思う。

膨大な死者の数と悲惨な現場と、
生き残った人の悲しむ姿が連日あふれかえる中、
犠牲者の姿だけがまったく隠してしまうというのは、
かえって不自然で、
不気味でさえある。

●最近出勤時に聞いているのがこれ→http://www.youtube.com/watch?v=l-hq6jMoDJ4

2011年3月16日水曜日

天罰

東北で被災したお年寄りが、
「この地震は、現代人への天罰じゃ」
とつぶやいたならわかる。

しかしそれが、
大東京のトップの発言だとなると、
意味合いが全く違ってくる。

放言癖で知られる石原都知事も、
今回ばかりはさすがに謝った。

しっかし天罰ってねぇ。

隕石で恐竜が全滅したのも天罰かね。

この地震と津波は、
あくまで自然現象である。

だからあえて言うなら、
原発の件も含め、
自然現象が大災害になったのは、
突き詰めれば人間の備えの甘さ、
いわば「人災」である。

石原知事の発言が問題なのは、
備えを万全にしておく責務がある、
首長という立場の人が、
自分の責任を転嫁しているように思われるからである。

同じようなことが別にもあった。

原発トラブルや無計画停電に業を煮やした菅首相が、
東京電力に怒鳴りこんだというのだ。

一瞬、
胸のすくような出来ごとに思えたが、
これもまたおかしい。

そもそも、
原子力政策を進め、
業界をこれほどの隠蔽体質にしたのは政府である。

首相が東電に文句を言うのは、
お門違いなのである。

それに、
今回の一件は、
つまるところ、
政府が危機管理能力を欠いているということを、
図らずも露呈したのであり、
政府の対応が後手後手に回っているのも、
むべからぬところだと、
納得させる結果となった。

迅速で正確な情報を把握できぬ政府など、
だれが信頼できるだろう。

石原知事にせよ、
菅首相にせよ、
お粗末な首長には、
いずれ自身に「天罰」が下るだろう。

2011年3月15日火曜日

去来

















東日本巨大地震を伝える読売新聞のグラフ面。

見開き紙面の約半分を占める巨大な写真が秀逸だ。

荒涼とした大地にたたずむ男女。
男の目線は遠くにあり、
まぶたは泣き腫らしたようにも見える。

女は傍らの地面を見つめる。
体は脱力し、
今にも崩れ落ちそうだ。

二人は互いに手を握り合って、
かろうじて立っている。

キャプションにはこうある。

8ケ月の長男と両親がいた家があったと思われる場所に立ちすくす夫婦。3人は行方不明だという(宮城県名取市、13日午後2時41分)

あぁ

二人の足元の荒涼と見えた大地には、
住宅が立ち並び、
乳飲み子と両親らが暮らす町だったのだ。

その平凡で幸せであったであろう日常を、
津波は、
たった30分で跡形なく奪い去った。

そう

家財道具や思い出の写真どころか、
瓦礫や焼けた柱や瓦すら残さず、
この二人の生活を根こそぎ消してしまったのだ。

遠くを見渡しても、
生活の痕跡はどこにもない。

一枚の写真が、
何千行の文章より雄弁に伝えるものがある。

動画のリアルさはないけど、
見る側の想像力をかきたてる。

二人の心に去来する思いは。。。

そして、
紙面には二文字だけ見出しがある。

命よ

命よ、
何とかけがえなく、
そして儚いものよ。

どこへ行ったのか。

どうか、
どこかにあってくれ。

そして再びこの手に戻ってきてくれ。

この光景が、
夢か幻だと言ってくれ。。。

この紙面が言いたいことは、
そういうことだ。

●こういう写真って、遠慮して撮りにくいものだと思う。でも、だからこそ撮らねばならないのだ。この写真は、望遠レンズではなく、普通のレンズで接近して撮られている。よくぞ撮ったと、カメラマン魂に敬服する●福島第一原発がいよいよ危ない。今(午前2時20分)、2号機の炉心が「空だき」状態になっているという。このままの状態が続けばメルトダウンは不可避だ。本当の本当に深刻な事態だ。世界が固唾を飲んで見守っている。

2011年3月14日月曜日

未知

これこそ「未曾有」だ。

犠牲者は数万人、
いやそれ以上に及ぶかもしれない。

わからない。

全貌がまったく見えない。

行方不明者をカウントする人さえいない、
町そのものが流されてしまったところもあるという。

マグニチュード9。

阪神大震災クラスを超える惨状が、
東北の太平洋岸の、
至るところで起きたということだ。

その阪神大震災さえ、
その時にはぼくは現場にいなかった。

体験者でさえ、
あの津波の怖さは想像できないと口をそろえる。

同じ列島での出来ごとなのに、
感触は地球の裏側ほども遠い。

いや、
阪神を尺度にすると、
かえって自分をミスリードするかもしれない。

これから起きることは、
何もかもこの国が初めて体験する未知の領域だ。

きっとアメリカなんかは、
軍事衛星を使って、
おおよその被害者は把握しているだろう。

そして日本という国が陥る、
かつてない試練をも「試算」してるかもしれない。

ここを儲け時と、
すでに動いている連中も世界中にウヨウヨいるだろう。

屋根の上で漂流している人が、
まだいるかもしれない。

それは今の日本の姿と同じだ。

この国は今、
帰る港の見えない海原を漂う、
小さな木片のようなものだ。

無防備の状態で、
この地球にさらされている。

その日本で、
被災者と同じように、
ぼくらも試されているのだと思う。

●異常に集中して仕事した。もう腑抜けだ●枝野官房長官が「今から節電せよ」と言っている。テレビもPCも切って、もう寝よう。

2011年3月13日日曜日

原発

福島原発の炉心が溶融していると聞いて、
原発のことを昔少しかじった覚えのあるぼくは、
「こりゃ爆発する」と直感した。

それからしばらくして、
ほら来た「ドーンという音と白い煙」。
http://www.youtube.com/watch?v=DHfR_wybvw0

原子炉が水蒸気爆発したのだ。

そうに違いない。

よくてスリーマイル、
悪ければチェルノブイリ並み、
いや人類最悪の原発事故かと踏んだ。

ところが枝野官房長官の会見では、
爆発の訳は想像とは違った。

炉心が爆発したのではなく、
原子炉建屋内にたまった水素と酸素が爆発的に反応して、
建屋の外壁だけが吹っ飛んだんだそうだ。

原子炉格納容器は無傷との説明。

本当かなぁ?
だって原子炉建屋って、
ミサイルで狙われても大丈夫というほど、
恐らく国内で最も頑丈に作られている建築物で、
それが吹っ飛んで中身が無傷って、
そんなことあるのかねぇ。

そんなんじゃ、
間違いなく北朝鮮の標的にされる。

ここで、
いささかの経験則で言えば、
原発関係者ってすぐ嘘を吐く。

もっとも彼らに言わせると、
それは嘘ではなく、
「そこまで説明する必要がないと思った」とか言うんだけど。

とにかく原発に関する当局の説明は、
鵜呑みにするのは危険だ。

もし本当に信用して欲しいなら、
建屋の写真一枚じゃなく、
現場の状況をネットを使って生中継するぐらいしなきゃ。

さて、
地震の全容が次第に分かってきているが、
話しを総合すると、
犠牲者は1万人を超す気配。

地震、
津波、
原発、、、

ゆうべからの仕事で、
頭がクラクラしながら帰宅すると、
母が臨戦態勢で出迎えてくれた。












さすが、
第二次世界大戦と阪神大震災を、
生き抜いてきただけのことはある。

あなたは何があっても大丈夫だ。

●ちなみに明治三陸沖地震での死者・行方不明者は計2万2000人だそうだ●避難所からのニュースで「被災者のみなさんに、ご飯と刺身が配られています」って言ってて、不謹慎にも「それ食べたい」と思った●緊急地震速報にが頻発して、ちょっと麻痺してきた。

2011年3月12日土曜日

津波

のほほんと出勤支度をしていた耳に、
「あ、今揺れてますね」という、
ラジオからの声が聞こえた。

大阪は揺れてるのに、
こっちは全然やな。

そう思っていたところ、
「東北地方で震度7、大津波」の速報。

げっ。

大阪の地震は「おこぼれ」か。

阪神大震災の時もそうだった。

福井で少し揺れて、
テレビをつけたら「本丸」は阪神間だった。

んなことを思いながらしばしテレビに釘付けになり、
遅刻ぎりぎりまで粘って家を出た。

でも、
出勤の街はいつもと変わらず。

電車は定時運行し、
地下街では人々が普通通り歩いている。

この人たちは、
地震のことを知っているのか。

そのころには、
すでにあまたの人が命を落としていた。

津波の破壊力。

燃え盛る家々が、
根こそぎ押し流される。

瓦礫やトラックや何やかやと一緒くたに、
数十家の家屋が、
波間に漂う木っ端のように漂い流されていく。

ガスタンクが、
リビアの空爆の写真より豪快に炎を上げ、
あちらこちらで火の手が上がる。

これじゃ映画だ。

現実だと認識できない。

あの家や車の中に人がいるかもしれない、
という当たり前の想像力が働かない。

この違和感は「阪神」の時以上かもしれない。

津波だ。

何もかもを根こそぎ流しさる。

港の中で渦を巻く。

人々の笑顔や日常を一瞬で舐め奪い、
そ知らぬ顔で海へ消えていく化け物。。。

とんでもないことが、
ついに起きてしまった。

●週末のチョコパも危うい。

2011年3月11日金曜日

落胆

ipadでお気に入りのゲーム、
インフィニティブレードがアップグレードされた。

すでにレベル「42」に達していて、
少々飽きが入っていたぼくには、
待ちに待った朗報。

さっそくダウンロードしたのだが、
これがどうにも上手く動かない。

どうやっても駄目。

で仕方なく、
再度一からインストールする羽目になった。

当然、
レベルは「1」に逆戻り。

あ、
あんまりな展開。

久し振りにハマったゲームで、
「42」まで行くのにどれだけ時間を費やしたことか。
それが元の木阿弥になって、
もぅ、
「オレの努力を返せーっ」ていう気分だ。

機械に八つ当たりしも仕方ないのだが。

弱っちくなったレベル1の仮想「ぼく」を見て、
別な意味でやる気なくしそうだ。

とほほ。。。

●業務連絡。今週は元町に行けそうもありません。土曜日チョコパを食べることにします(笑)

2011年3月10日木曜日

笑顔

夕方自転車で外出したら、
外の風は身を切るように寒かった。

3月って春のイメージだけど、
結構寒い日の方が多いんだよね。

毎年、
3月になると、
「明日は暖かい」とか、
「来週になると寒さも和らぎ」とか、
天気予報は言いながら、
日中は暖かくても夜は冷え込んだり、
真冬に逆戻りしたような寒さだったり。

結局、
安心して冬物をしまえるのは、
やっぱ4月になってからになるのである。

帰宅して、
フト暮れゆく空を見上げると、
澄み切った空気の向こうに月がスマイル。



●空港のトラブルに怒る乗客をなだめるため、あの彼女が一曲歌ったという、嘘のような映像→http://www.youtube.com/watch?v=ohBojjL5dDM

2011年3月9日水曜日

義務

テレビの地デジ化がいよいよ迫ってきたが、
追い打ちをかけるように、
「火災報知機の義務化」がやってくる。

ぼくの住む市では、
来年6月までに設置しなければならないそうだ。

ちなみに、
設置場所は市区町村によって違うらしくて、
うちの場合は「就寝場所、台所、階段」となっている。

ということは、
母と二人暮らしのうちの場合、
計4か所につけなければならない。

これすべて消防法の改正によるものなのだが、
ぼく的にはヒジョーに気持ち悪い。

シートベルトの義務化の時にも思ったけど、
そこまで国に心配してもらわなくても結構だ、
というのがぼくの基本手スタンス。

総務庁消防庁が発表した「平成16年における火災の状況」によれば、死者1,009人のうち逃げ遅れによる死者が633人(62.7%)に達しており、住宅火災の死者の6割以上が、「逃げ遅れ」によるものであることがわかります。


そりゃ火災報知機を義務化すれば、
救われる命は出るだろう。

でも、
633人の命を救うために、
全世帯に1個以上の火災報知機を義務化することが、
果たして妥当なのだろうか?

家が火事にならないように注意すること、
そして火災で死なないようにするのは、
あくまで個人の責任であって、
国に「義務化」される筋合いではないのではなかろうか。

こういう場合いつも思うのだが、
「善」が大義名分であると、
なかなか声高に反対しづらいところで、
そこが気持ち悪さの最大の原因だと思う。

しっかしな~んか最近の世の中って、
「あなたのため」っていいながら、
義務ばっか増えてません?

自殺者年間3万人超。

人の生きる権利さえ満足に守れないくせに。

さて、
次は何が義務化されるでしょう。。。

●火災報知機をつけなくても、今のところ罰則はないけど、いずれ罰則がつくようになるに決まってる。

2011年3月8日火曜日

初見

















最近引っ越した知人宅を訪ねるため、
行ったことも通り過ぎたこともない、
地下鉄の駅で降りた。

右も左もわからぬ土地。

昔なら絶対に迷っていたと思うのだが、
今は相手の住所を入力したipad片手に、
自分の現在位置を確認しながら、
それでも少々迷いつつ、
予定より数分遅れただけで無事に到着した。

「道に迷う」ということがなくなったことは、
単純に嬉しいことだが、
反面少し寂しい気もする。

相手宅、
といってもマンションだが、
それにしたって、
事前に外観ばかりか、
不動産情報を見れば、
間取りまでわかってしまって、
初めて訪れる高揚感は薄れた。

その分、
人生の道に迷っておりますが、
などと余計なことを書いてしまう。

とはいえ、
初めての土地は、
見る景色すべてが新鮮で、
ついカメラに手が伸びる。

今日は雨交じりだったので、
ほとんど撮れなかったけど、
これから、
この新しい土地を、
通う度に撮ってみようかと思う。

●写真は、途中で見つけた、今にも壊れそうなトタンの小屋です●たまたまこんな写真なのであって、知人の住まいは大都会です。念のため。

2011年3月7日月曜日

投稿

ラジオを聞いていたら、
DJが、
自分の友人がケーキ屋をオープンしたと言った。

「それわりと近所やん」って耳は反応したのだが、
店名を聞き逃してしまい、
もう一度話題にするかなと期待していたが、
その気配もない。

となると余計に知りたくなるのが人情ってもの。

そこで思いついたのが、
BBSへの投稿だった。

この歳まで、
ラジオにリクエスト葉書すら出したことなかったけど、
試しに書きこんでみた。

どうせスルーされるかと思いきや、
放送での回答こそなかったもののが、
BBSの方でDJ自ら店名はもちろん、
住所や電話番号、
ケーキの特徴まで書きこんでくれた。

いやぁ、
便利な世の中になったもんすねぇ。

今まで聞くだけだったラジオの、
そのDJが一気に身近な人、
というか応援したい人になった。

●近々行って、感想をまた書きこんでみようと思う。



2011年3月6日日曜日

杜撰

京大の入試投稿事件の展開は、
まさに「事実は小説より奇なり」。

携帯の契約者が母親ということで、
一時は「オカンも共犯か」と妄想したが、
どうやら受験生の「単独犯行」の模様だ。

机の下に携帯を隠し、
左手でブラインドタッチしてたなんて。

いわば最も原始的。

この事件を知って、
だれもが真っ先に想像して、
でも、
「いくらなんでもそりゃ無理でしょ」って、
一蹴したはずの手口じゃなかろうか。

だから複数犯説だのスキャン説だの、
「一体どうしたらこんなことが可能なのか」って、
みんなの関心が一気に高まったのだ。

蓋を開けてみればコレである。

人々の想像を逆の意味で超えていた。

いや、
本当に想像を超えていたのは、
京大の試験監督のずさんさだろう。

座席がどこであろうと、
こんな単純な手口を身落とすんなら、
監督なんてしてないに等しい。

携帯やら電子辞書やらでカンニングしてるヤツ、
ほかにいくらでもいるんじゃないかって、
思われても仕方がなかろう。

そりゃ、
受験生すべてを容疑者のように見て、
試験に集中できないほどガチガチに監視するのも、
いかがなもんかとは思うが、
監視がそんなに「ザル」なら、
出来心を起こすヤツがいたって、
仕方がないと思うのである。

受験生はみな切羽詰まっているのだから。

2011年3月5日土曜日

連写

ようこそ白黒写真の館へ。






いやね、
デジカメ買い替えたもんで、
元町ツアーの最中にパチパチ試し撮りしました。

きょうのは全部ガチ、
加工やトリミングなし。

やーっぱ、
モノクロいいわ~(笑)

●わが「同志」パティさんのライブを聞きに甲子園口「CARAVAN」へ。キュートなルックスと妖艶ヴォイスを堪能しました。ぼくも頑張ります。

2011年3月4日金曜日

瞬時

出勤のため梅田の地下街を歩いていたら、
目の前に財布らしきものが落ちている。

落とされたばかりなのか、
大勢の人が生き買う中、
ポツンとその財布だけが、
通路の真ん中に置かれているようにあって、
しかも誰も気づいていない。

咄嗟に拾い上げると、
水色でファスナーのついた、
やっぱりどう見ても財布。

しかも、
かなり分厚い。

と、
手にとってから、
どうしたものかと考えた。

交番に届けると、
いろいろ状況説明しなきゃならんし、
会社に遅れる。

第一、
このへんに交番あったっけ?

近所の売店に預けようとも考えたが、
何となく断られそうな気がした。

かといって、
もう一度通路に置くのは論外、、、

数秒考えた挙げ句、
すぐそばのコインロッカーの上に置いた。

こうしとけば、
目立つから盗まれることはないだろうし、
持ち主が探しに戻ってきても気づきやすいだろう。

そう納得して、
しばらく歩いたら、
曽根崎警察が目に入った。

しまった。

こんなに近所にあったじゃないか。

しかし今更引き返したら、
尚の事会社に遅れるし。

盗まれやしないよ。

みんないい人ばかりだよ。

そう自分に言い聞かせながら、
どんどん歩みを進めた。

でも正直、
あの瞬時の判断は誤りだった。

道に落ちている手袋とは訳が違ったのだ。

何といっても財布。

せめて売店の人に頼んで、
交番に届けてもらうべきだった。

落とし主に無事戻っていればいいのだけれど、、、

●携帯の名刺リーダー機能を使えば、入試問題がすぐにテキスト化できると、専門家の指摘があって、会社の後輩が試したら、なんとものの見事にできた。でも、たぶんブラインドタッチで打ったのだと思う。ぼくの見立てでは、試験監督がそれほどずさんだったのだ。被害者づらしてる京大に腹が立つ。カンニングで逮捕されるか、普通●業務連絡。後ほど元町に参上いたします。

2011年3月3日木曜日

静観

ipad2の全世界プレゼンというやつを、
午前3時からのネット生中継で見た。

簡単に言えば、
薄く、
軽く、
速く、
カメラが付いて動画機能を強化したと。

厚みが3分の2になるというのは驚いたが、
重量は1.5ポンドから1.3ポンドと微減。

技術的には驚異的な進化なのだろうが、
ぼく的にはこれは残念。

動画にも興味ないし、
今回は買わずに済みそう。

そう、
ホッとしているのである。

もし重量が半分にでもなっていたら、
またもや衝動買いの虫がウズウズするところだった。

当分は、
このいささか思い初代ipadに働いてもらおう。

よかったね、
指紋と汚れだらけのマイパッド君。














しっかし、
こう矢継ぎ早に新製品が発売され、
それに食らいつく人がいるという現状は、
正常ではない。

きっとまた、
マスコミがバーっと取りあげ、
予約の行列が出来るのだろう。

この感じ、
バブルの頃とよく似ていると思う。

●FM802で夕方、素敵な歌声が耳をとらえて離さない。調べたらこれだった。http://www.youtube.com/watch?v=jvYUfwMBCrU。スローに、ね。

2011年3月2日水曜日

吃音

「寒の戻り」ってんですか、
小春気分が吹っ飛ぶ寒さ。

今日はじゃず家のセッションに行くぞっ、
っていう決意はあっさりしぼみ、
とはいえ折角の休日、
何か面白そうなことはないかと探して、
結局これにした。














アカデミー賞効果ってヤツですか。

獲ってなければたぶん「ヒアアフター」にしただろう。

近所の映画館では今日から公開だったようで、
何と特別料金1000円‼

ということもあってか、
平日の夕方にも関わらず、
映画館に滑り込んだ時には、
客席は8割ほど埋まってた。

ひょんなことから英国王になった男が、
実は吃音で、
人前で話すのが大の苦手という、
嘘のような実話。

でも、
見終わった感想を率直に言えば、
面白くない事はない、、、

退屈で眠くなるってことはなかったけど、
期待して行ってたら、
きっとがっかりしただろう。

基本、
吃音が重要なテーマだけに、
英語が理解できないのは大きなハンデだった。

英国王が「Fuck」とか「Shit」と連呼する「おかしみ」が、
実感として湧きあがってこない。

それとは別に、
本作もやっぱり「実話モノ」にありがちな、
「あれもこれも」の罠に落ちていると思った。

ストーリーは単純だし、
各エピソードも言いたいことは分かる。

でも、
どのエピソードも深堀できておらず、
感情移入が十分できない。

だから最大の見せ場であるはずの、
最後のスピーチの場面も、
グッと盛り上がらない。

ぼくだけに限らず、
周囲のみなが淡々と見終わって、
静々席を立っていた(ように思う)。

その顔には一様に、
「まぁこんなものか」と書かれていた(ように思う)。

●こんだけ書いておいてなんですが、もしこれから見るなら「ジョージ6世」だけはウィキって読んどくといいですよ~(笑)●FM802でふいに流れたこの曲(http://www.youtube.com/watch?v=GLmlkUXO9vU)。あぁ~名曲。

2011年3月1日火曜日

痛快

昨日の続きで、
「痛快」っていえば、
昨日の東京マラソンも相当なものだった。

埼玉県職員の「市民ランナー」が3位ってんだもの、
走ることで飯食ってる「実業団」の諸君は、
さぞやショックだっただろう。

まぁ、
「市民ランナー」といっても、
彼は箱根駅伝でも走った筋金入りで、
しかも前回は4位だったというのだから、
「3位」はフロックではなかった。

音楽の世界だって、
プロより上手いアマチュアは、
いくらでもいると思うし。

そういえば以前、
とあるアマチュアのオペラ歌手について、
友人のプロのピアニストに、
「プロとしてどう思う?」って尋ねたら、
「プロとかアマとかに意味はない」みたいに、
軽くあしらわれたことがあったなぁ。

それは確かにそうだ。

しか~しだ。

やっぱ、
実業団の諸君が市民ランナーに負けちゃいかんだろ。

京大入試の投稿事件にひっかければ、
実業団システムの根幹にかかわる問題だもの。

そういえば、
大相撲の八百長といい、
何かと根幹を揺るがす事件が相次いでいて、
なかなか興味深い。

まぁ、
マラソンの方は、
八百長がなかったからこその出来事だったのであるが、、、

民主化するアラブだって、
世界情勢を根幹から揺るがす出来事だ。

次元は様々だけど、
結局、
根幹が腐ってるってことが、
もはや覆い隠せないってことかもね。



机上の散乱ぶりを撮ろうとしたのだが、
画面にすると散乱というより錯乱しており、
大半を黒く覆い隠してみた。

こちらも既に腐っているのかも(笑)

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...