2011年3月27日日曜日

本望

ぼくが働く会社は、
製品を通じて社会に日々何かを伝えている。

ぼくは製品作りの一部門に所属し、
裏方の仕事をしている。

だから自分の仕事がユーザーに、
どのように受け止められているのか、
実際のところは良くはわからない。

ユーザーの反応、
肉声が直接ぼくの耳に届くことは、
まぁないと言っていい。

ところが今日、
ちょっと珍しい形ではあったが、
数人の「ユーザー」からじかに「良かった」と言ってもらえた。

ある女性は「よくわからないけど、涙が出た」と言った。

ぼくの方こそ涙が出そうになった。

それは、
褒めてくれた仕事が、
まさにぼくが渾身の力を込めたものだったからだ。

自分で会心とは思っていたが、
その製品への思いが、
ちゃんと届いていたんだと知って感激した。

大げさに言えば、
これで会社をいつ辞めてもいいと思った。

本来ぼくの仕事は、
過度に個性を出すというより、
間違いのない無難なものが尊ばれるのだが、
その時の製品には、
ぼくの個人的感情というか、
人生すべてを昇華させたようなところがあって、
普段なら提案段階で99%、
撥ねつけられるような内容であった(と思う)。

だがその時だけは、
たまたま提案が通った。

通ったというより、
誰もかれも忙しくて、
あんまり相手にしてくれてなかったのだ。

実にラッキーだった。

誰からも期待されず、
放置されていたからこそ、
自分のやりたいようにやった。

その半ばヤケクソの情熱が製品という形になった時、
社内の空気を変わった(と思った)。

度肝を抜いてやった(と思った)。

というような「奇跡的」な経緯を経て、
それは結局誰にもケチをつけられることなく、
そのまま製品化された。

入社して22年になるが、
間違いなく個人的に最上で最高の仕事だった。

そして恐らく今後この会社で、
この仕事を自分が超える事はない。

そんな風に言いきれる仕事を、
たった一つではあるが出来たことを幸せに思う。

ちっぽけだけど、
サラリーマンの本望だ。

●怒涛の2週間を経て、やっと日曜日は一息つける●フジテレビの佐々木恭子アナウンサーが鳴尾高校出身って、全然しらなかったー。佐々木恭子自体を知らないのだから当たり前だけどー(笑)

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