今この地球上に生きている人類の数より、
すでに死んでしまった人類の方がはるかに多く、
よってぼくらは、
まだ死を経験していない少数派なのだ。
と、
以前に書いた。
一方、
毎年1万人近い人が交通事故で死に、
3万人超の人が自殺している。
死は実に身近にあるのだけれど、
ぼくたちは通常、
自分たちが少数派だとか、
次の瞬間には死んでいるかもしれないなどと、
意識はしない。
でも、
たった数時間の間に万単位の人間が、
死んでしまったという現実は、
いやがおうにも、
ぼくらに「生き残った感」を与えた。
ぼくらはまだ、
死線のこちら側にいる。
人はそういう「生き残った感」を得た時、
自分の命を考え直し、
それが大きければ大きいほど、
再生への力は強いものになると思う。
第二次大戦で、
原爆を2発落とされ、
国が焼土と化した時も、
日本人は最大級の「生き残った感」を感じ、
だからこそ、
驚異の戦後復興がなしえたのだ。
今の時代だからきっと、
津波が町を押し流す悲惨な映像は、
「被災者の心の傷に配慮する」などの美名の下、
人々の目の前からどんどん隠されていくだろう。
でも、
それじゃいかんのです。
「復興」と口にする前に、
ぼくらはもっと、
あの悲惨な光景を目に焼き付けなければならんのです。
その焼き付き度が大きければ大きいほど、
「生き残った感」は増し、
ひいては「再生力」となるのだと思う。
もっとも、
「再生力」といってもそれは、
「前と同じように」という事ではない。
今回の地震は、
日本人の暮らしを大きく変えるだろう。
変えなくちゃいかんのです。
少なくとも、
原発を再び作るような国にしては、
絶対にならないのである。
福島原発事故は、
見えにくいけど、
広島と長崎の原爆に匹敵するような非劇だ。
2度と原爆を落とされることがあってはならないのと、
まったく同じ程度に、
再び原発を建てることがあってはならないのである。
それをもし許すようであれば、
ぼくたちは、
今回の地震で亡くなった人に、
顔向けできないだろう。
黙とうも大事だ。
募金も貴重だ。
ボランティアも尊い。
だが、
なによりも、
ノーモア原発である。
●痛い目にあっても気づかなければ、ぼく的には日本国民は「大馬鹿」ということになる●ザックJ対J選抜。うーん?日本人はともかく、外国で見てた人はどう思ったでしょうねぇ?
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