原発への水撒き作戦は、
今のところ予想以上の効果が得られているようだ。
だからといえばそれまでだけど、
自衛隊と東京消防庁の堂々とした会見を見るにつけ、
東電や原子力保安院の会見が、
いかに隠蔽的であるかを痛感させられる。
と、
安堵する間もなく、
今度はホウレンソウと牛乳の被爆問題。
一難去ってまた一難。
政府・民主党は綱渡り、
まさにギリギリのかじ取りをしている。
しかし思うに、
彼らにとっての救いは、
官房長官が仙石から枝野に代わっていたこと。
文字通り「舌足らず」ではあるが、
彼の言葉は、
政治家の持つべき重さと、
真摯に語りかけようとする姿勢が感じられる。
彼が官房長官になったのは、
尖閣ビデオの件で仙石が辞めたからであり、
まったくの偶然だ。
外務大臣だった前原が、
外国人からの献金で地震直前に辞任したのもそう。
人の道は、
何かのきっかけでガラっと変わってしまう。
枝野はこの国難を経て、
政治家として、
人間としてグレードアップするに違いない。
その彼にしても、
言葉使いで気になるのは、
「一定の効果があったものと推察される」に代表される、
「一定」の用法だ。
三省堂大辞話によれば、
一定の意味は「確かにそうと定まっていること」とある。
ところが、
東電や政府が使う「一定」は、
「ある程度」ということであり、
明らかな、
というか意図的な誤用である。
あと、
放射能レベルの説明で、
「今すぐに人体に影響が及ぶものではない」っていうのも、
「じゃ長期間ならどうなの?」って突っ込みたくなる。
被ばく量をすぐにCTスキャンの回数に置き換えるのも、
「CTってそんなに被爆するものなのか」と、
逆効果のような気がしないでもない。
さて、
彼らの戦いは延々と続くが、
ぼくは日曜日、
久々に休ませていただく。
体力、
気力ともに、
一定程度は回復されるだろう。
●今聞いているのはアランフェス協奏曲。これ聞くと、昔からなぜか涙腺が緩む。
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