2011年3月20日日曜日

一定

原発への水撒き作戦は、
今のところ予想以上の効果が得られているようだ。

だからといえばそれまでだけど、
自衛隊と東京消防庁の堂々とした会見を見るにつけ、
東電や原子力保安院の会見が、
いかに隠蔽的であるかを痛感させられる。

と、
安堵する間もなく、
今度はホウレンソウと牛乳の被爆問題。

一難去ってまた一難。

政府・民主党は綱渡り、
まさにギリギリのかじ取りをしている。

しかし思うに、
彼らにとっての救いは、
官房長官が仙石から枝野に代わっていたこと。

文字通り「舌足らず」ではあるが、
彼の言葉は、
政治家の持つべき重さと、
真摯に語りかけようとする姿勢が感じられる。

彼が官房長官になったのは、
尖閣ビデオの件で仙石が辞めたからであり、
まったくの偶然だ。

外務大臣だった前原が、
外国人からの献金で地震直前に辞任したのもそう。

人の道は、
何かのきっかけでガラっと変わってしまう。

枝野はこの国難を経て、
政治家として、
人間としてグレードアップするに違いない。

その彼にしても、
言葉使いで気になるのは、
「一定の効果があったものと推察される」に代表される、
「一定」の用法だ。

三省堂大辞話によれば、
一定の意味は「確かにそうと定まっていること」とある。

ところが、
東電や政府が使う「一定」は、
「ある程度」ということであり、
明らかな、
というか意図的な誤用である。

あと、
放射能レベルの説明で、
「今すぐに人体に影響が及ぶものではない」っていうのも、
「じゃ長期間ならどうなの?」って突っ込みたくなる。

被ばく量をすぐにCTスキャンの回数に置き換えるのも、
「CTってそんなに被爆するものなのか」と、
逆効果のような気がしないでもない。

さて、
彼らの戦いは延々と続くが、
ぼくは日曜日、
久々に休ませていただく。

体力、
気力ともに、
一定程度は回復されるだろう。

●今聞いているのはアランフェス協奏曲。これ聞くと、昔からなぜか涙腺が緩む。

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