2011年9月22日木曜日

生還

きのうの晩、
名取市のホテルでテレビを見ていたら、
「はやぶさ」の生還までのドキュメントをやっていた。

そして一夜明け、
今日は、
ぼくが家に生還できるかどうかが最大の問題となった。

朝起きると、
窓の外はすごい風雨。

すでに仙台空港へ向かう電車はストップ、
タクシーも30分待ちだった。

とはいえ、
ぼくには一つやり残した用事のため、
ホテル近くの市役所へ行き、
ちょっと確認をしてから、
昨日のタクシーの運転手の携帯に電話を入れると、
二つ返事で迎えに来てくれた。

再び被災地に向かいながら、
マイパッドで飛行機の運航状況を確かめると、
ぼくが予約していた最終便が、
早くも欠航となっている。

あわててその場で、
予約がとれる直近の便に変更し、
被災地での用事を切り上げ、
そのまま空港へ向かった。

そして待つこと2時間近く。

やっと現れた飛行機は、
何とプロペラ機!

それでもいい、
一刻も早く飛び立たないと、
台風がどんどん近付いてくる。

そう思っていたら、
そのプロペラ機君、
整備不良で飛べなくなってしまった。

おーまいがっと。

結局、
すでに欠航になった便の一つ前の、
午後5時35分発のジェットに振り替えになった。

夕闇が迫り、
風雨はさらに強まる。

空港のテレビでは、
東京がひどいことになっている状況が報告されている。

すでに東海道新幹線は全面運休。

この飛行機が飛ばなければアウトだ。

そんなギリギリの状況でジェットは現れ、
台風の風のおさまる隙をついて飛び上ってくれた。

仙台から伊丹まで、
ちょうど台風をまたぐようにして、
ぼくは何とか生還を果たした。

被災地をこの目で見るという、
目的からすれば、
旅の達成率は10%にも満たなかったと思う。

費用対効果もずいぶん高かったかもしれない。

でも、
先日の赤松さんのライブの最中に思いつき、
その場でマイパッドで飛行機とホテルを予約し、
強行した今回の旅は、
いろんな意味で印象深かった。

他人に話して聞かせるようなたぐいのエピソードは、
ひょっとしたらこの飛行機話ぐらいかもしれない。

しかし、
旅の醍醐味はたぶん、
他人にはな~んにも面白くない、
地味な空気感や景色だったりするものだと、
久々に思った次第。

さぁ休みは終わり、
仕事にいそしもう。

●その前に元町へ寄りますけどね(笑)●マイパッド、便りになった。ブログの更新、位置の確認、飛行機の予約変更、運行状況、台風の状況、暇つぶしのゲーム、、、ほんと助かった。

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