2011年9月27日火曜日

開国

わりと最近、
高城剛の本を2冊たてつづけに読んだ。

「私の名前は高城剛。住所不定、職業不明」

「時代を生きる力」

(ともにマガジンハウス)

これらを読みながら、
高城って人は坂本龍馬みたいだなと、
ふと思った。

何か定まった肩書があるわけでもなく、
世界中をふらふらしていて、
だからこの地球の様々な最先端を知っているのだけど、
専門家ではないから、
どこか表層的で胡散臭い。

言いたいことが山のようにあるからなのだろうが、
ひとつの話題でじっとしていないもんだから、
きれいなカタログをパラパラ見せられて、
煙にまかれているようでもある。

世界に冠たる企業や政府との仕事もしているようだが、
どれもがコンサルティングのような内容で具体的「ブツ」がなく、
それゆえどんな話もオブラートに包んだような、
妙な曖昧さがある。

とにかく怪しい。

しかし、
この人が未来の人類や世界のあり方について言っていることは、
きっと本当なんだろうなと思わせる、
不思議な魅力がある。

「政権交代より世代交代すべし」なんて、
素敵な指摘じゃないか。

あのビル・ゲイツが小型原発の開発に手を染めているなんて、
彼に聞かされるまでまったく知らなかった。

ネットの時代にありながら、
彼が語る世界のすう勢は、
島国から見る景色とはずいぶん違う。

軽やかに人の3歩ほど前を歩いている感じ。

そのあたりが、
ぼくの中では坂本龍馬を連想させるのだ。

この国を本当に「開国」させるのは、
彼のような人なのだと。

きっと龍馬ファンからすればケシカランのだろうけど。

肩書なんかにこだわらないって、
格好つけて言っておきながら、
結局人一倍こだわっているのは、
むしろぼくなのかもしれない。

学歴とか権威とか、
関係ねーやってそっぽ向いているのも、
実はそういうものへの嫉妬なのかもしれない。

島国根性丸だしのぼくのような人間を、
ケラケラと笑い飛ばすような、
そんな鳥の視点が、
この人にはある。

遺志

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