2012年3月4日日曜日

作文

姉から夜メールが来た。

「3日の夕刊、10面に載ってる惣太郎君の作文に涙・・・涙・・・涙です。」

はい、
ここまででわかった人は、
今日はこれ以上読んでいただく必要はありません(笑)

これは読売新聞の夕刊の記事、
というか、
記事で紹介されている作文を読んでの感想です。

東日本大震災の津波で亡くなった、
父親にあてた小学一年生の作文には、
ぼくも胸が熱くなった。

読んでいない人のために転載しよう。

おとうさんへ

ささきそうたろう

おとうさん、ぼくはげんきだよ。
あのとき、すごくおおきなじしんとつなみでこわかったよ。
おうちがながされてかなしかったよ。
おきにいりのおもちゃもあたらしいランドセルも、おとうさんにつくってもらったプラモデルも、ぜんぶなくなってしまったよ。
なきたいことがいっぱいあったけど、ぼく、がまんしてなかなかったよ。
えらいでしょ。ほめてくれるよね、おとうさん。
おとうさん、ぼく、いちねんせいになったよ。おともだちもできたよ。
なつやすみのしゅくだいもおてつだいも、ちゃんとしてるよ。
あさがおもきれいにさいたし、かぶとむしもげんきだよ。
おとうさんのために、おはかもきれいにおそうじしたよ。
よろこんでくれるよね、おとうさん。
おとうさん、ぼく、おとうさんがいないのはすごくさびしいけど、がんばってるよ。
おとうさんがよろこんでくれるように、がんばってるよ。
だからおとうさん、いつもぼくのそばにいてね。
ゆめのなかで、ほめてね。
ぼく、いつでもまってるね。

さて。

あの日から一年まであと一週間となり、
マスコミの報道がまた増えてきた。

きょうのNHKスペシャル「原発事故」は、
人類史上最悪の事故から100時間、
福島県双葉町と浪江町の住人らが、
いかにして放射能から避難したかを、
検証したドキュメントだった。

政府関係者はこぞって、
「東電からの情報が上がってこなかった」と言い、
地元自治体は「国が何も支持してくれなかった」と言い、
東電は黙して語らず。。。

いっつもこのパターン。

東電が悪いのは当然だけど、
当時政権中枢にいた政治家も、
結果責任としては東電と同罪だ。

結果的にこのようなことになって申し訳ないが、
あの情報不足の中ではあれが精一杯だった、
みたいな言い訳は政治家のすべきことではない。

仮にそれが事実であったとしても、
同情の余地なし。

政治家は結果がすべて。

双葉厚生病院で重症患者とともに、
懸命の避難を続けた看護婦さんが、
こんなことを言ってた。

「月日がたてば生活の再建は進むが、同時に、失ったものの大きさにも気づく」

それから、
浪江町の消防団員はこんなことを。

彼は事故当日の夜、
ある地区の様子を見に行って、
助けを求める声を聞きながら、
夜の作業は危険だという「上」の判断で、
翌朝出直すことにした。

ところが、
その翌朝には原発事故で避難命令が出たため、
結果的に見殺しにしてしまったと自分を責めていた。

「(救出できなかったのを)原発事故のせいにしてるけど、そのことを知らなかった前の夜、何で助けに行こうって、もっと強く言わなかったのか」

これが霞ヶ関と現場の温度差だ。

●見逃した方、NHKオンデマンドででもご覧になることをおすすめします。うちにお越しになれば、録画見られます。

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