2012年3月14日水曜日

論調















311の報道ステーションSPの最後に、
古館一郎が語った言葉が、
「よくぞ言った」と評判なようなのでYouTubeで拾ってみた。

古館が原発に関して言っているのは、
福島原発第一原発1号機では、
津波に襲われる前に、
地震の揺れで何か深刻な事態が起きていたのではないか、
という疑いを番組で検証しようとしたが出来なかった。

その原因を「原子力ムラ」の圧力であると臭わせ、
それでも番組で検証は続けるし、
もしそれが原因で番組を下ろされても本望だ、
というのである。

本当に1号機にそういう事態が起きていたのか否か、
知りたいところではあるけれど、
最近一番気になっているのは、
「福島第一原発別格論」とでも言うべき論調だ。

「原発」とひとくくりに言うけれど、
建設された年代や地域によって、
構造や安全施設は大きく異なる。

車に例えれば、
昭和30年代のディーゼル車と、
イマドキのハイブリット車の違いみたいなもの。

安全装備にしたって、
昔の車にはABSもエアバックもないけれど、
今の車はそれは必需品だ。

原発に話を戻すと、
福島第一原発は別格に危険な(古い)炉で、
その証拠に、
隣接する福島第二原発ではメルトダウンも起きなかったじゃないか。
あの原発事故は福島第一だから起きたのだと、
特に専門家なんかから聞かれる。

この論調は根本的に間違っていると思う。

個々の原発ごとの危険度は確かに違うだろうけど、
どれだけ安全性を高めても事故は起きうるし、
ひとたび起きた時に国民がこうむる被害を目の当たりにして、
今更口が裂けても「クリーンで安価なエネルギー」とは言えない。

何よりも、
原発を運転する電力会社への信用が失墜してしまったのだ。

失墜。

ゼロである。

信用ゼロの人間が何を言っても、
はいそうですかと一体誰がうなずけようか。

本当に安全だと言い張るなら東京や大阪に作ってみろ。

もう一つ最近の論調に、
脱原発は一時の「感情論」だというのがある。

ぼくは感情論で何が悪いと言いたい。
親が子を守りたいとか、
住民がふるさとを守りたいとか、
そういう感情を押し殺してまで、
原発を優先する道理はないはずだ。

だから古館の言う「原子力ムラ」の人々は、
すべて、
全員、
「運転再開」の「う」の字も口にすべきではない。

でももう「う」どころか、
北海道の泊原発3号機は運転再開しちゃってるし、
大飯原発が再開すれば、
その電気をいやでも使わざるを得ない。

強制的に共犯者にされてしまうのだ。

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