2012年3月12日月曜日

未来

「もといち」のクリーンアップバッターR1の送別会。

13日に東京へ発つ、
ギリギリのセットアップにもかかわらず、
十数人が甲子園口「ありがた家」に集結した。

某有名テーマパークから独立行政法人へ、
華麗なる転職を果たしたR1には、
なんで?
いつ?
どうやって?
等々、
一通りの質問が浴びせかけられ、
それが一段落すると、
やっぱりいつもの「もといち」で、
わいわいがやがや大繁盛であった。

そこへぼくが持参したのがこの写真。













よく見えないでしょうが、
右下には85'12.27とあるんですよ!

ぼくらの21歳ごろの写真。

大学生だったぼくが年末に帰省して、
「もといち」のメンバーに手当たり次第電話して、
自宅で大宴会を開いた時のお宝映像だ(笑)

この日は確か11人が集まって、
居間の棚にあった親父のウィスキーを7本飲み乾してやった。

もちろんほかにもビールやらワインやら、
焼酎やらがあったので、
一人当たり相当量のアルコールを消費。

宴は翌朝まで続き、
起きてきた親父が、
酔いつぶれて寝ている連中を見て、

「つわものどもが夢のあとか」

と名(迷)ゼリフを残した、
ぼくらの間では語り草となっている出来ごとだ。

ぼくの記憶ではこの写真を撮影したのは、
ドクターGのはずなのだが、、、

とにかくこの写真は受けた。

今やぼくらが当時の親父の年齢になり、
ちょうど二十歳ぐらいの子を持つ親になっております。

うち一人はすでに東京におり、
一人は東北、
一人はイタリア、
一人はアメリカにいます。

こうなるとちょっとした歴史ですね。

だもんだから、
送別会の最後にR1は、
「もといちは宝物だ」と言ってくれました。

普段そういう青春ドラマチックな事言うヤツじゃないのに、
そこまで思ってくれてたのかと、
内心うれし泣きしてました。。。

そんなR1はこれからは、
関東東北方面隊長として頑張ってもらい、
ぼくらは本丸「ありがた家」を死守する。

そしてR1の輝ける未来を祈念し、
この歌を贈ろう。















なんかかんや言って、
この歌はやっぱいいわ。

「自分しか知るはずのない未来へ向かい」
ってところがネ♪

●さて、ぼくはどこに映っているでしょうか?ちょんばれ?

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