親しく話しをしたことはないけど、
よく知っている人が、
今年に入って亡くなっていたことを、
今日知った。
寿命というには早い死を知って思ったのは、
3.11の直後に書いたのと同じようなことだ。
生き残った者の責任。
あれから1年がたつけれど、
今でもまざまざとあの日のことは思い出せる、
出勤前のテレビで見た津波の映像。
出勤途中の地下街で、
にこやかに歩く人たちに、
「知っているのか」と叫びたかった気持ち。
「万」単位の無辜の民が一時に失われた事実。
あの時、
ぼくはこんな風に書いた。
読みかえさなくても書けるし、
今も全く同じ思いだ。
地震は人災ではない。
でも天災でもない。
自然現象だ。
自然現象を災害にするのは、
常に人間の備えの至らなさによるもので、
そういう意味で震災は人災だ。
原発災害においてはいわんやおやである。
ぼくは今回の福島原発事故ほど、
国に裏切られたという思いを持ったことはない。
きっとこの前の戦争に破れた時も、
みんな思ったはずだ。
「国に騙された」
にもかかわらず、
またもや国の嘘と、
アメリカ製の原発という「武器」で、
日本は負けた。
これを糧にしなければ、
本当にぼくらはただの阿呆だろ。
橋下徹に言わせれば、
そういう国民にしたのは「憲法九条」が悪いらしい。
彼に言わせれば、
自分さえよければいいという思想の根源が、
憲法九条なのだそうだ。
仏作って魂入れずと俗に言う。
九条はいわば仏。
魂を入れぬまま、
今や九条は利己的精神の象徴にされようとしている。
3.11。
立ち止まって、
振り返って、
生き残った者の責任を考える日だ。
●甲子園口「キャラバン」にてパティさんのライブ。住吉帰りに寄りました。3曲も歌わせてもらいました。「ノリノリですね」とパティさん。確かに調子に乗ってるかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿