2012年8月23日木曜日

銃撃

シリアで銃撃に遭って死んじゃった、
戦場ジャーナリスト山本美香さん。

ずっと命がけで紛争地帯の取材をしてきて、
平和な世界の実現を望んできたであろうに、
そのメッセージは、
彼女の取材そのものというより、
自分の死によって最も広く知られるようになってしまったのは、
はなはだ不本意なことだったかもしれない。

冒険家と同じように、
彼女は死を覚悟してなどなく、
無事に帰ってきてこそのジャーナリストだという意識を、
非常に強く持っていたようだ。

命知らずではなく、
でも、
命がけで取材を続けてきた彼女に、
心からの尊敬の念を抱きながら、
それでもやはり矛盾を感じてしまうのは、
彼女を死ぬまで駆り立て続けた、
紛争地帯の取材という行為だ。

彼女は世界の平和を願っていた。

それは真実だろう。

でも、
世界の紛争地帯でたくましく生きる人々に、
彼女が大いなる魅力を感じていたのもまた事実だと思う。

日本はしばしば平和ボケしていると言われる。

彼女を含め世界の紛争の最前線を知っている人には、
平和ボケした日本人は、
取材対象として魅力がなかったかもしれない。

でも彼女が望む平和が実現したら、
人間はこうやって平和ボケするのである。

それがぼくの言う矛盾である。

彼女は志半ばで死んだ。

でも平和ボケした日本では、
志など持っている人じたいが少数で、
ましてや志を成し遂げて死ぬ人など、
ごくごく少数に違いない。

彼女が銃撃される直前まで撮影していたという、
ビデオを見た。

女性や赤ん坊が暮らしている、
あの市街地で、
よもや銃撃戦が起きようとは、
ぼくには想像できなかったし、
彼女らにも予想外だったからこそ、
撃たれてしまったのだろう。

今のシリアには、
戦場ジャーナリストの常識でさえ通じない、
異常な状態になっているということだ。

そんな現実の世界の、
あの町で暮らす人々、
それを取材する彼女。

何と生き生きしていることか。

本当に皮肉なことなんだけど。

●ぱっと見てそう思ったので「痩せた?」ってたずねたら、すんごい喜ばれた。思っても見なかったリアクションだったので驚いた(笑)。頑張って下さい。





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