2012年8月30日木曜日

玉石

真夏の暑さもやっと一段落してきて、
気がつけば9月はすぐそこ。

読書でしょ。

最近ちっとも本のことを書いていないけど、
決して漫画ばかり読んでるわけじゃあ〜りません。

『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(マーティン・ファクラー著、扶桑新書)

いいね!

ニューヨークタイムズ東京支局長の著者が、
日本の新聞の問題点を鋭く指摘してる。

記者クラブに代表される発表ジャーナリズムは、
著者にはアンビリーバボーなことだろう。

この本では、
発表ジャーナリズムがいかに国民のためになっていないか、
主に東日本大震災の取材体験をもとに率直に語られる。

ぼくがこの著者を好きだなと思ったのは、
被災地入りしてから、
大手マスコミがいないところを探して取材したというスタンスだ。

ジャーナリストってたぶん、
みんなが右を向くならオレは意地でも左、
みたいな人に適していると思うんだけど、
日本のジャーナリズムは残念ながら正反対だ。

世の大勢が右を向くなら報道も右。
他社が上を向くなら自社も上。

世の中と、
他社と横並びをもって尊しとする。

そして著者は言う。

数日待てば発表されることを、
一日先んじて報じても、
そんなのスクープじゃないと。

全く同感の極みである。

でも日本のマスコミはそういうことばかりに血道をあげる。

そうやって発表の少し前に情報を報道できるのは、
自分が取材源と深く親密な関係を築いているからだと、
自己満足するのである。

そしてさらにたちが悪いのは、
先ほど「世の中」と書いたけれど、
そういう世論を形成しているのもまた、
こういう発表ジャーナリズムなのである。

つまり、
日本には本当の意味でのジャーナリズムは、
少なくとも大手と呼ばれる新聞社には存在しない。

朝日だろうが産経だろうが関係ない。

基本、
当局の膨大な発表を峻別して、
体裁よくしているだけの広報。

そう指摘されても仕方ないのである。

もう、
著者のおっしゃる通り、
読んでいて喝采を送った。

今の悲劇的状況は、
ネットで救われるのだろうか?

残念ながら現状ではノーだ。

ネット情報は玉石混淆とよく言われる。

余りにも情報量が多すぎて、
よほどの目利きでない限り、
玉を選り分けることができない。

森の中に隠された真実の小枝は、
発見されないままなのが、
現状である。



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