真夏の暑さもやっと一段落してきて、
気がつけば9月はすぐそこ。
読書でしょ。
最近ちっとも本のことを書いていないけど、
決して漫画ばかり読んでるわけじゃあ〜りません。
『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(マーティン・ファクラー著、扶桑新書)
いいね!
ニューヨークタイムズ東京支局長の著者が、
日本の新聞の問題点を鋭く指摘してる。
記者クラブに代表される発表ジャーナリズムは、
著者にはアンビリーバボーなことだろう。
この本では、
発表ジャーナリズムがいかに国民のためになっていないか、
主に東日本大震災の取材体験をもとに率直に語られる。
ぼくがこの著者を好きだなと思ったのは、
被災地入りしてから、
大手マスコミがいないところを探して取材したというスタンスだ。
ジャーナリストってたぶん、
みんなが右を向くならオレは意地でも左、
みたいな人に適していると思うんだけど、
日本のジャーナリズムは残念ながら正反対だ。
世の大勢が右を向くなら報道も右。
他社が上を向くなら自社も上。
世の中と、
他社と横並びをもって尊しとする。
そして著者は言う。
数日待てば発表されることを、
一日先んじて報じても、
そんなのスクープじゃないと。
全く同感の極みである。
でも日本のマスコミはそういうことばかりに血道をあげる。
そうやって発表の少し前に情報を報道できるのは、
自分が取材源と深く親密な関係を築いているからだと、
自己満足するのである。
そしてさらにたちが悪いのは、
先ほど「世の中」と書いたけれど、
そういう世論を形成しているのもまた、
こういう発表ジャーナリズムなのである。
つまり、
日本には本当の意味でのジャーナリズムは、
少なくとも大手と呼ばれる新聞社には存在しない。
朝日だろうが産経だろうが関係ない。
基本、
当局の膨大な発表を峻別して、
体裁よくしているだけの広報。
そう指摘されても仕方ないのである。
もう、
著者のおっしゃる通り、
読んでいて喝采を送った。
今の悲劇的状況は、
ネットで救われるのだろうか?
残念ながら現状ではノーだ。
ネット情報は玉石混淆とよく言われる。
余りにも情報量が多すぎて、
よほどの目利きでない限り、
玉を選り分けることができない。
森の中に隠された真実の小枝は、
発見されないままなのが、
現状である。