2012年8月11日土曜日

結果

ロンドン五輪を生中継で見て、
あとでニュースなどを見ると、
違和感を覚えることがある。

確かに試合のダイジェストや結果は、
紛れもなく事実なんだけれど、
生中継の時に感じたハラハラドキドキは、
そこにはない。

試合の本質は、
そのハラハラドキドキにこそ存在するわけで、
そういう視点からすれば、
金か銀か銅か、
はたまた予選落ちかなどという「結果」は、
さして重要ではないように思える。

人々を感動させるのは、
金メダルではなくて、
そこに至る努力や試合での頑張り、
そういったものの全てだ。

結果に至る過程こそが大事。

確かにそれは正しい。

しかし、
である。

とても常識的な世の中、
端的に世渡り的価値観からいけば、
やっぱり結果が大事になってくるから厄介だ。

相手の凡ミスで勝った試合でも勝ちは勝ち。
無茶苦茶善戦しても負けは負け。

何年かたてば、
勝ったか負けたか、
つまり金メダルか否かだけが大事になってくる。

五輪に限らない。

日常生活の中でも、
試験に合格したかどうか、
企画が採用されたのかどうか、
結局、
結果がものをいう場面は非常に多い。

過程が評価されるのは、
せいぜい学生時代までだ。

理想的には過程こそが、
いや過程だけが大事なのだけれど、
現実的にはしばしば結果の方が大事だ。

なでしこ銀について、
「素晴らしい銀。ありがとう」という声が圧倒的だ。

ぼくもそう思う。

でも、
何年か後、
思い出の名場面って番組があったら、
なでしこで紹介される映像は、
W杯優勝であって、
決して五輪銀ではないだろう。

でも、
あらためて強調するけど、
メダルなんて標本箱の蝶みたいなものだ。

それはきれいかもしれないけれど、
蝶であったものであって蝶ではない。

蝶の本質とは、
野山を飛んでいる姿そのものなのだ。

●土曜日の昼頃に元町に参上いたします。あくまで参考までに(笑)


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