ロンドン五輪を生中継で見て、
あとでニュースなどを見ると、
違和感を覚えることがある。
確かに試合のダイジェストや結果は、
紛れもなく事実なんだけれど、
生中継の時に感じたハラハラドキドキは、
そこにはない。
試合の本質は、
そのハラハラドキドキにこそ存在するわけで、
そういう視点からすれば、
金か銀か銅か、
はたまた予選落ちかなどという「結果」は、
さして重要ではないように思える。
人々を感動させるのは、
金メダルではなくて、
そこに至る努力や試合での頑張り、
そういったものの全てだ。
結果に至る過程こそが大事。
確かにそれは正しい。
しかし、
である。
とても常識的な世の中、
端的に世渡り的価値観からいけば、
やっぱり結果が大事になってくるから厄介だ。
相手の凡ミスで勝った試合でも勝ちは勝ち。
無茶苦茶善戦しても負けは負け。
何年かたてば、
勝ったか負けたか、
つまり金メダルか否かだけが大事になってくる。
五輪に限らない。
日常生活の中でも、
試験に合格したかどうか、
企画が採用されたのかどうか、
結局、
結果がものをいう場面は非常に多い。
過程が評価されるのは、
せいぜい学生時代までだ。
理想的には過程こそが、
いや過程だけが大事なのだけれど、
現実的にはしばしば結果の方が大事だ。
なでしこ銀について、
「素晴らしい銀。ありがとう」という声が圧倒的だ。
ぼくもそう思う。
でも、
何年か後、
思い出の名場面って番組があったら、
なでしこで紹介される映像は、
W杯優勝であって、
決して五輪銀ではないだろう。
でも、
あらためて強調するけど、
メダルなんて標本箱の蝶みたいなものだ。
それはきれいかもしれないけれど、
蝶であったものであって蝶ではない。
蝶の本質とは、
野山を飛んでいる姿そのものなのだ。
●土曜日の昼頃に元町に参上いたします。あくまで参考までに(笑)