2009年7月31日金曜日

過去

夏本番のはずなのに梅雨すら明けず、
かといってこの時間の戸外は、
まるで秋のようにさわやかだ。

またしても変な夏だ。

だけど、
じゃあ一体いつごろの夏が「まともな夏だったのか」と問われれば、
答えに窮してしまう。

「まともな夏」など人それぞれで、
大方は子どものころの一時期の、
ほんの数年の記憶が「まとも」だと思い込んでいるだけではないか。

本当は、
夏の様相など毎年違うのだ。



京都で地球温暖化会議が開かれた1997年12月当時、
環境問題が今ほど大騒ぎになるとは夢想だにしなかった。
「エコは商売にならぬ」というのが、
世界の大方の認識だったと思う。

同じ月、
トヨタがプリウスを発表した。
世界初の量産型ハイブリット車だ。

あれから12年がたち、
そのプリウスの3代目がバカ売れしているらしい。
毎年「変な夏」を繰り返している間に、
世界の潮流は間違いなく「エコ」になり、
何でもかんでも「エコ」に結び付けようと、
企業やマスコミはみな躍起になっている。



「胡蝶の夢」(フランシス・フォード・コッポラ監督)をDVDで。
TUTAYAのオンライン会員にならなければ、
決して見ることもなかっただろう。

自分が蝶になる夢を見たのか、
今の自分が蝶の夢なのか。

荘子の故事からとった題名だが、
原題は「YOUTH WITHOUT YOUTH」(若さなき若さ)。
どう解釈するのかわからないが、
映画を見る限り、
老人の記憶にある若き日の自分ということか。



人にとって「過去」は記憶とイコールで、
今見る昔の映像は、
「過去」そのものではない。

あくまで「今見た過去の映像」だ。

プリウスの成功譚がしばしば語られるが、
歴史は往々にして、
世界の記憶の中にある世界、
「YOUTH WITHOUT YOUTH」だとも言える。

だから過去だけをよすがに、
未来を生きようとすれば、
世界はいつかまた間違える。

その過去は、
世界の記憶に過ぎない。
あらゆる記憶は、
常に変質している。

2009年7月30日木曜日

適当

成人年齢を18歳に引き下げるのが「適当」だと、
法制審議会が報告書をまとめた。
大きな流れは出来たわけで、
実現する日は遠くない。

そもそも20歳からが成人であることの、
合理的な理由はない。
これまでも再三、
18歳に引き下げようという動きはあった。

しかし、
実現可能性が出てきたのには、
それなりの理由があるはずで、
それは知りたい。



「アテネ五輪以降つらいことが多かったが、それで成長できた」

今が佳境の世界水泳で優勝した、
女性スイマーがそんなことを言っていた。

いいこと言うなぁと聞いていたら、
そのスイマーは今20歳とか。
年齢と精神的成熟とは、
あまり関係ないのだろう。



その世界水泳で、
世界新記録と同じぐらい目につくのが、
ヤクルトの巨大なオブジェだ。
なんでヤクルトが?とも思うが、
何でもヤクルトは中国でも広く売られていて、
しかも、
ヤクルトレディもちゃんといるのだそうだ。
(Foresight参考)

そのブランド力は強くて、
新型肺炎が流行したときには、
「ヤクルトを飲めばかからない」という、
噂まで流れたほどだという。

あのオブジェは、
ヤクルトの世界戦略の一環なのであり、
決して「テキトー」な理由で、
置かれているわけではない。


●いかにも「雑感」らしい内容●5代目古今亭志ん生の落語CDを買った。これこそ全くテキトーな買い物だ。今晩はこれを聞いて寝よう。

2009年7月29日水曜日

奉仕

芥川賞の受賞式で、
作家磯崎憲一郎氏はこう語った。

「小説、芸術という大きな肯定的な力に奉仕する存在でありたい」

「奉仕」という言葉の使い方が、
とても新鮮だった。



「奉仕」には「無償の労働」という意味があるけど、
それは単に、
プロではない、
あるいはアマチュアであるということだけではないだろう。

また、
奉仕という言葉には、
宗教的背景がたぶんに含まれていると思うが、
磯崎氏は「小説に奉仕する」のであり、
決して「小説の神に奉仕する」のではない。

小説それ自体の、
可能性の拡大に寄与したいという感じかと思う。
ひいては、
小説を通じて読者たる人間に奉仕することでもある。



アマチュアと言えば、
映画「ボビー・ジョーンズ」で、
その語源がラテン語の「愛」であることを知った。

ボビー・ジョーンズは、
伝説のゴルファーとして有名であるが、
プロにはならなかったのだということは、
ちっとも知らなかった。

初のグランドスラムを達成した1930年、
彼は28歳で現役を引退し、
その後は弁護士業のかたわら、
オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブを設計し、
現在の4大大会のひとつである、
マスターズ・トーナメントを創設した。

プロ化が加速するスポーツに、
奉仕という言葉は馴染まないかもしれないが、
彼などはまさしく、
ゴルフに奉仕した人と言えるだろう。

「球聖」と呼ばれる訳が、
やっとわかった。



そういえば、
先日の情熱大陸で、
ミャンマーの子供たちを無償で治療する医師を紹介していた。

凄い人が行きつく先は、
すべて同じなのだ。

2009年7月28日火曜日

魂胆

出来レースの感がある衆院選。

マニフェストを発表する鳩山由紀夫・民主党代表の顔には、
押さえようとしてもにじみ出る笑み。

そりゃ次期総理大臣だもの。
ニヤケルわな。

その手には、
「政権交代。」と書かれたポスター。

本来文章の最後に置かれるべき「。」が、
単なる名詞の後につけられているのは、
恐らくモーニング娘。など、
最近の風潮を意識しているのだろうが、
図らずも、
国民に媚びる同党の姿勢が現れている。




子ども手当て、
高校の実質無償化、
高速道路無料化。。。

甘心を買おうという魂胆見え見えのお笑い種。

無駄をやめれば17兆円(!)もの財源が出来るという。
「無駄」という言葉が曲者だ。
ある人には無駄でも、
別の人には絶対必要な事物はいくらでもある。

その「無駄」の中には、
弱者救済や、
他国の援助や、
安全対策などが含まれていやしないか?

いざその段になれば化けの皮がはがれ、
撤回や縮小や弁明、
先延ばしや責任転嫁するのではないか?



政権交代が最終目的化しているという意味では、
案外「。」は相応しいのかもしれない。

国民が期待しているのは、
「政権交代、」なのだが。



●対する麻生総理は「65歳以上は働くしか能がない」とおっしゃる。失言と言うが、政治家の失言の大半は「本音」だ。

2009年7月27日月曜日

清算

男と女は同じ人間でありながら、
犬と猫ほどに違う生き物だ。

先日読み終えた、
「IN」(桐野夏生著、集英社)について書こうと、
パラパラめくりながら、
改めてそんなことを想う。



この作品には、
小説内小説として、
「無垢人」という作品が出てくる。

不倫が発覚した作家と妻の、
壮絶な日常を描いた作品だ。

主人公の女性作家「タマキ」は、
この小説の取材を通して、
自身の不倫体験について内省を深める。



冒頭、
タマキが、
元不倫相手だった編集者「青司」と会う場面がある。

未だ、
かつての二人について思い巡らし、
「淫」というタイトルの、
自作にまでしようとするタマキと、
すでに「過去」にしてしまった青司。

再会に興奮を覚える主人公は、
青司に違和感を覚える。

服装に気を遣わなくなり、
煙草も吸わなくなった。

それ以上に、
小説を媒介にして熱く結ばれていたはずの二人の絆が、
消え失せていた。

青司は、
タマキとの関係が破たんしたことで、
同時に文芸への興味も失っていた。


 「俺の仕事と感情は、すべてあなたとのことで失われたよ。もう四十代で全部燃え尽きたんだ。脱け殻なんだよ」
 脱け殻という言葉は、今の青司に相応しいような気がして、タマキは黙った。自分は脱け殻ではないはずだった。まだ、小説を書かねばならない。かつて、青司と昂奮して激論したり、必死だった仕事にまだ囚われていた。が、青司は自身を、燃え尽きた脱け殻だ、と言う。相似形だった青司は、一人でどこかへ行ってしまったのだ。



やがてタマキは、
「無垢人」の取材を進めるにつれ、
実話とされているこの作品の深層に気づく。

女性は一度生んだ愛憎を、
決して清算しない。



「無垢人」は島尾敏雄の「死の棘」がベースだ。
夫婦の愛憎の極限を描いた傑作小説を、
ぼくはかつて、
怖れおののきながら、
そして不思議なことに、
救いを求めて読んだ。

「IN」の帯にこう書いてある。

たかが恋愛、と笑う人々は何も知らないのだ。

●宮里藍、米女子ゴルフツアー初優勝。挑戦4年目の快挙だ。しかし岡本綾子は17回勝っている。藍ちゃん、先は長いぞ。

2009年7月26日日曜日

鶴瓶

笑福亭鶴瓶に会ったのは、
中学生の時だ。

会ったというより、
出くわしたという方が近い。

最寄の西宮北口駅を歩いていたぼくらは、
正面から近づいてきた彼に、
「すんませんけど、今何時ですか」と笑顔で尋ねられた。

彼はその時、
たぶん20歳代だったと思うけど、
当時彼のトレードマークだったカーリーヘアーと、
あのダミ声と細目は、
今でも何となく印象に残っている。

まだ売り出し中の若手落語家で、
「つるびん」と呼ばれることも多かった、
彼に会った事が自慢になるのかどうか、
当時のぼくにはよくわからない、
そんなぐらいの存在だった。

その彼が主演する「ディア・ドクター」を、
西宮北口の映画館で観ることになったのも、
何かの縁かもしれない。



でも、
この映画を観ようと思ったのは、
監督の西川美和という人を先日、
NHK「トップランナー」で知ったからというのと、
日経新聞の映画評でとても高い評価だったからだ。

鶴瓶は田舎町の診療所の医師役で、
住民から頼られる「赤ひげ」のような存在だ。

その医師がある日突然失踪する。

映画は失踪までの彼と住民の日常を描きつつ、
失踪の真相を除所に明かしていく。
そのあたりの運び方は、
とても上手いと思った。

最後になって、
実は謎そのものは、
映画の冒頭に近い部分で、
医師本人の口から語られていたということに気づく。



「暗黙の了解」みたいなもので成り立っている、
田舎町の雰囲気や、
その田舎町出身で今は都会に住む女性が、
結果的にその微妙なバランスを破ってしまうという、
これで良かったのかしらねぇみたいな部分、
つまり「後味の悪さ」も、
無理なく表現されていていた。

そういった意味では、
よく出来た映画だとは思った。
でもそれは、
「言いたいことは凄い分かる」というレベルだった。
映画の魔法はぼくにはかからなかった。

あと、
笑える部分がひとつもなかったのも残念だ。
たとえ後味の悪さを描く映画でも、
やっぱりクスッとできる部分がないと、
とりあえず肩がこる。

西川監督は「蛇イチゴ」「ゆれる」に次ぐ3作目。
脚本も手がけている。
小説は直木賞候補にもなった。
新たな才能であることは間違いない。



それにしても、
この映画における鶴瓶の存在感は圧倒的だ。
患者役の八千草薫を相手にして、
一歩も引けをとらないどころか、
謎を抱えた医師を見事に演じていた。

謎を含めたストーリー、
スクリーン上のすべてが、
彼ひとりに支配されていた。



あのカーリーヘアがねぇと、
映画の後味まで、
鶴瓶一色だった。


●中学生だったぼくは「腕時計も持ってないんかいな」と思ったものだ。

2009年7月25日土曜日

魔女

秋田県の田舎町で、
男女の小学生2人が立て続けに遺体で見つかり、
女児の母親が逮捕された事件は、
ぼくが東京への出向から帰った直後に起きたということもあり、
とても強く印象に残っている。

だからだろう、
「橋の上の『殺意』 畠山鈴香はどう裁かれたか」(鎌田慧著、平凡社)を、
一気に読んだ。

著者は有名なルポライターで、
この事件を取り上げたのは、
特に綾香ちゃんの死が、
「殺人」として扱われていることに疑問があったからだ。


これは哀れな「魔女」の裁判にかかわる記録である。


著者はまえがきでこのように言う。
当然、
念頭にあるのは「魔女狩り」「魔女裁判」である。

母親の成育歴や裁判の過程を丁寧に取材。
淡々とした筆致ではあるが、
この種の作品が真に「中立」でありえるはずはなく、
少なくとも、
豪憲君の遺族から見れば噴飯ものと言えなくもない。

綾香ちゃんの死の真相がいかなるものであっても、
豪憲君が殺されたことに変わりはないからで、
「死刑に」という処罰感情はいささかも揺るがないだろう。



ではあるが、
「ルポライター」という言葉が死語になりそうな昨今、
こういう誠実なルポが書かれ、
ちゃんと大手出版社から出ることは重要だ。

何より裁判員制度が始まっている。
短い審理で、
場合によっては、
ぼくらが「死刑」を選択することもあるのだ。

警察の激しい取り調べ、
調書にサインさせるあの手この手。


 密室での取調べには、第三者はいない。取り調べる側は圧倒的な優勢下にある。警察官の調書作成のとき、鈴香は「殺す」との文言に、「殺すというようなこと、そういった言葉は使わないでほしい」と抵抗したという。
 それにたいして、刑事は、「もっと詳しい調書をつくるときに訂正するから」と聞き流し、そのまま訂正しなかった。いまだ自供に重きを置く日本の警察官、検察官にとっては、証拠能力の高い「供述調書」を取るのが主戦場だから、ちょっとした心の隙を巧みに衝いてくる。



本書で出てくるささやかな一例だが、
逮捕されてしまえば、
「容疑者」の呼称など有名無実、
ヘビに睨まれたカエル同然である。
彼らにとって、
自分たちに都合のよい調書を作ることは、
赤子の手をひねるより簡単だ。

心の闇はわからなくても、
心の隙はよく見えるのだろう。

何より、
彼らはそういうことのプロなのだ。



そういうことは、
知っておかねばならない。

裁判員もカエルじゃあ、
やっぱまずいっしょ。


●相当前のことだと思っていたが、2006年4月の事件だ。ちなみに、この裁判は無期懲役が確定ている●久し振りにペンギンさんと会話らしい会話。

2009年7月24日金曜日

地図

地図さえあれば、
どこにでも行ける自信はあるけど、
それは、
地図が「正しい」という条件付きだ。

最近のお洒落な店の地図は、
デザイン優先なのだろう、
東西と南北の縮尺が違ったり、
雑多な道路は省かれていたりして、
役立たずないことが多い。



先日、
堀江のライブハウスへ行った時も、
ネットの地図を見た時点で、
かなり怪しいとにらんでいた。

地下鉄の駅を出るともう夕暮れ。
下手に迷うより、
ここは早めに尋ねてみることにした。

とはいうものの、
そのあたりに詳しい人を見つけるのは、
案外難しい。

都会だと、
明らかにそこに住んでいる人でも、
周辺のことは意外に知らないものだし、
場合によっては思い違いをしていて、
かえって迷う羽目になることもある。

一番確かなのはもちろん交番だが、
ない場合は不動産屋を探す。
少なくとも周辺の詳しい住宅地図はあるからだ。



その時は交番も不動産屋も見当たらず、
通りすがりの若い女性に声をかけた。
いかにも事務員の制服のような格好をしていたし、
会社への届け物のような荷物を持っていたからだ。

彼女は、
ぼくがプリントアウトして持っていた地図を見ると、
少しの間考えていた。
お洒落な地図は、
すべてローマ字表記なのだ。

やがて彼女は幹線道路や地下鉄の駅、
数少ない目印の建物の位置関係を把握し、
店への大体の行き方を教えてくれた。

それだけ分かれば十分。
ある程度行って、
それでもまた聞けばいい。



「ありがとうございます」と言って、
目的の方向へ歩き出した時、
背後から彼女の声がした。


「またよろしくお願いします!」


仕事の口癖が出たのだろうが、
ぼくは余りに可笑しくて、
振り返って突っ込もうかと一瞬考えたが、
それは流石にやめた。

きっと彼女は凄く恥ずかしがっているだろうし、
ここは気づかぬ振りがよかろう。



それに、
またお世話になるかもしれないし。


●彼女の言う通りに行ったら、ちゃんとたどり着けた。

2009年7月23日木曜日

計略

幸福実現党の宣伝カーを、
今日初めて見た。

これまで、
頭の中だけの存在だったこの政党を、
たとえ車とはいえ、
実際に目のあたりにして、
一言で、
酷い違和感を感じた。



この耳新しい政党の母体は、
大川隆法氏率いる「幸福の科学」。

宗教団体と選挙といえば、
オウム真理教や、
漫画「20世紀少年」の友民党を連想して、
吐き気をもよおす人もいるだろう。

しかし、
それら絵空事とは訳が違う。
最近の調査では、
立候補予定者は何と298人!

公明はおろか、
自民や民主をしのぐ数であり、
それだけでも驚異的なことで、
資金力がハンパではないことを証明している。



一体何を企んでいるのか。
党が目指すのは、
こんなことだと大川氏は言う。

この国の政治に一本、精神的主柱を立てたい。これが私のかねてからの願いである。精神的主柱がなければ、国家は漂流し、無告の民は、不幸のどん底へと突き落とされる。この国の国民の未来を照らす光となりたい。暗黒の夜に、不安におののいている世界の人々への、灯台の光となりたい。国を豊かにし、邪悪なるものに負けない、不滅の正義をうち立てたい。人々を真なる幸福の実現へと導いていきたい。この国に生まれ、この時代に生まれてよかったと、人々が心の底から喜べるような世界を創りたい。ユートピア創りの戦いは、まだ始まったばかりである。しかし、この戦いに終わりはない。果てしない未来へ、はるかなる無限遠点を目指して、私たちの戦いは続いていくだろう。

ぼくは宗教を否定しないし、
それで幸せになれる人はなって欲しいとも思う。

にしても「幸福の科学」というのは、
悪い冗談のようなネーミングだし、
この文章は危険だと直感する。

人の幸福など千差万別なのに、
それを科学するなんて。
ましてや「不滅の正義」「ユートピア創り」という表現を、
ぼくは生理的に受け付けない。

馬鹿馬鹿しいと切って捨てるのは容易い。
しかし、
政治に正面切って絡んでくるのだったら、
傍観を決め込むわけにはいかない。
そこいらの泡沫候補とは違うのだ。


知らなかったでは済まされない。


お寒い限りの夏祭り。
そのまんま東知事の出馬騒ぎに代わる、
新たな座興として、
しばし真面目に対峙しよう。


●大川氏自身が総裁として東京ブロック比例1位で出馬するそうだ。それはすなわち、少なくともこの人は当選するということだ●日蝕フィーバーでも書いておきたかったのだが。ちなみにぼくは寝てました。

2009年7月22日水曜日

在庫

企業が抱えた大量の在庫を、
買い叩いて仕入れ、
ネットで売りさばく商売が、
結構流行っているらしい。

今日のテレビ大阪「ガイアの夜明け」で紹介していた。

もちろん、
そのままで売れるなら、
在庫になどならない訳で、
不人気商品を売るには工夫が必要だ。



北海道のある会社は、
足が1本だけ取れたカニっていう、
例の「わけあり」戦略だった。

ところが実際には、
付いている足が1本だけなんてのがあって、
客からのクレーム処理に追われていた。

一方で、
別の女性社員は、
生キャラメルの切れ端を見て、
「いかにもわけありですね」と嬉しそうだった。



大阪の会社の、
31歳という男の社長は、
帽子屋さんが作ったサンダル4000足を、
即決で買い付けた。

「このサンダル可愛いと思う?」と女子社員に尋ねる社長。

自分で判断する気は、
はなからない。

それに対する女子社員の返答が面白かった。



「可愛い子が履けば可愛いいんとちゃいますか」



身も蓋もない返事こそ、
この会社の戦略そのものだった。

帽子屋さんがどうしても売れなかったサンダルを、
コーディネーターに依頼して、
二束三文で買った別の服と合わせ、
プロのモデルに着せ、
プロカメラマンに撮影させて、
ネットにのっけたところ、
あっと言う間に売れ始めたのだ。

同様の「手口」で、
どう考えても秋冬物の皮のベルトを、
この季節にヒットさせていた。

同じ物が売り方次第で、
在庫の山になったり、
人気商品になったりする。

当たった時はさぞ爽快だろう。



ところで、
衆院が解散した。

代議士なんて、
大半が在庫商品みたいなもんだ。

どんな売り方したって、
物は変わりはない。

その手は食わぬと思うが、
ネット通販と違って、
「買わない」という選択肢がない分、
始末に負えない。



税金を使った夏祭りに、
付き合うしかない。


●まず今の時代、あのポスターや掲示板は無駄としか思えぬ。あれだけで全国でいくらの税金がかかるのだろう。

2009年7月21日火曜日

達成

Old fogey almost did it



全英オープンの優勝を逃したワトソンは、
インタビュアーにこう語ったという。

直訳すると「時代遅れがほぼやり遂げた」。

もちろん悔しいに違いないけど、
やせ我慢じゃなくて、
たぶん本心だ。



昨日さんざん嘆いておいてなんだけど、
ぼく自身、
ワトソンの敗戦を目の当たりにした時、
天を仰ぎたくなるような気持ちの中に、
一種の諦念があったことに気づいた。



仕方ない。



そう言えてしまうから、
そう思えてしまうから負けたともいえるが、
それもアリかと受けとめられるのは、
やはり人間としての器の大きさではなかろうか。



やり遂げるといえば、
人類が月に立ってから40年ということで、
メディアがいろいろ特集している。



That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind



「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」

船長だったニール・アームストロングのあまりにも有名な言葉だ。

アポロ11号で月に1番目に立った彼と、
2番目のバズ・オルドリン。

人類史に残る二人のその後は対照的だ。
アームストロングはマスコミを避けるように隠遁生活を送り、
オルドリンは逆に積極的に表舞台に出て、
宇宙開発のPR役を務める。



そのオルドリンは先日、
映画「MOON」の宣伝で来日した。

その時「今日は記念すべき日だ」と語った。
それは、
月着陸に関係したことではなく、
彼が断酒して30年目の日だったのである。

彼は月から帰還した後、
「2番目の男」であることなど、
さまざまなストレスから、
アルコール依存症とうつ病になってしまった。

それを克服して今の彼はある。

現在79歳。
断酒して30年の道のりは、
月に立ったプロセスと同じくらい、
彼にとって重要なのだろう。



ワトソンもオルドリンも、
自分が達成したこと、
できなかったこと、
そのすべてを引き受けて歳を重ねている。

その人生の到達点から見れば、
全英に敗れたことや、
月に行ったことなど、
小さなことなのだ。

2009年7月20日月曜日

固唾

これがゴルフなのか。。。



全英オープン最終日、
18番ホールパー4。

トム・ワトソンはこのホール、
パーで行けさえすれば、
ゴルフ史上に残る金字塔を打ち立てるはずだった。



2打でグリーンまで来た。

あと2パットで、
本人、
家族、
関係者、
すべての人の夢がかなうはずだった。

総立ちで出迎えるギャラリーの中には、
泣いている人もいたと思う。

そこで出た強気と弱気。

最後の3パットに、
ゴルフが持つ魔力のすべてが凝縮されていた。



プレーオフになった時点で、
4日間72ホールを戦い抜いた、
還暦間近の伝説のプレーヤーの中の、
何かが切れてしまったのだろう。

今、
戦いの幕が下りようとしている。

勝者と敗者。

長年ゴルフを見てきたけど、
勝負事に避けられぬ非情を、
これほど強く感じた事はない。



かなえてほしい夢だった。

見せてほしい奇跡だった。



つくづく、
ゴルフは人生だ。


●この大会は「ワトソンが優勝を逃した大会」として長く記憶されるだろう●ちょうど18番ホールあたりで、わが家のあたりは大変な雷鳴が鳴り響いていた●「チェンジリング」(クリント・イーストウッド監督)をDVDで。恐るべき実話だ。

2009年7月19日日曜日

飄々

ゴルフは、
選手同士の勝負である上に、
自分の心と、
何より自然を相手に闘うスポーツだ。

100人を超す選手が、
数人ずつ順番にスタートするのだから、
最初から最後まで、
同じ1番ホールでも数時間の差がある。

だから、
同じコースであっても、
同条件という訳にはいかない。

突然の風や雨もそうだが、
日中と夕刻では芝生もわずかながら成長し、
特にグリーンでは、
そのコンマ数ミリの違いが、
バッティングのタッチの差となってくる。



しかし、
そういうすべての「不公平」を自明のものとして引き受け、
選手はスコアを争う。

300ヤードを超えるドライバーも、
1センチのパットも、
1打は1打だ。

その1打が、
人生を変えるほどに決定的な意味を持つこともある。

だからゴルフはどんな競技よりも、
人生にたとえられやすいし、
特に、
自然条件の移り変わりが激しいリンクスの戦いでは、
その趣が強くなる。



全英オープン3日目を終わって、
トム・ワトソンが単独首位に立った。
かつてジャク・ニクラウスに次ぐ、
「新帝王」の称号を欲しいままにした伝説の男が、
59歳にしてこの位置にいること自体驚異であり、
また、
ゴルフの奥深さを象徴している。

今回と同じターンベリーというコースで、
彼が優勝したのは32年前だそうだ。



タイガーや石川遼を飲み込んだコースを、
飄々とプレーするかつての新帝王。

テレビは、
32年前の古びた映像と、
ライブ中継を交互に映し出す。

ぼくの頭の中は、
伝説と現実が交錯して、
時間の感覚が狂うような、
不思議で満たされた。


●人生で一番大切なのは「他人に迷惑をかけないことではないか」という話を人前でしていたら、知らないうちに時間がたちすぎて、他の人の話す時間を減らすという、迷惑をかけてしまった●映画「ごくせん」を母と観に行った。その話はまたいずれ。

2009年7月18日土曜日

予選

英国特有のリンクスコースは、
さすがにもう、
甘い顔はしてくれなかった。

全英ゴルフ2日目は、
突風や大雨に見舞われ、
石川遼はスコアを大きく崩し、
予選通過もならなかった。



いい予感より悪い予感が当たるのは、
いい方は、
単なる楽観的見通しに過ぎないのに対して、
悪い方は、
経験に基づく直感だからだ。

30年もTV観戦してくれば、
このコースで風が吹いたら石川がどうなるかぐらい、
察しはついた。

ただ、
予選は何とか通ると思っていた。



誤算があったとすれば、
同組のタイガーが予選落ちしたことだ。
彼が本来のタイガーであれば、
石川の潜在力が引き出されて、
あそこまでスコアを崩さずに済んだかもしれない。

牙をむいた自然の中で、
二人はまるでシンクロするように失速し、
最後まで這い上がることできなかった。

ぼくには共倒れに見えた。



しかし石川は、
タイガーと回ったこの二日間の、
一挙手一投足、
一打一打を心に刻み、
技術的にも精神的にも、
確実に強くなっただろう。

かけがえのない経験を糧に、
明日はもっと強くなる。

今の彼の進化速度は、
目を見張るものがある。

予選突破どころか、
タイガーと優勝争いする日も近いだろう。



いい予感だが。


●自然は怖い。北海道・大雪山系の遭難の犠牲者は10人になった。ガイドも登山者も、いずれもベテランだったという。ベテランでも想像できぬほどの、自然の猛威が襲ったということだろう●ペンギンさんと立ち話。お互い忙しくて何より。

2009年7月17日金曜日

天賦

やはり奴はタダものではなかった。



石川遼。

初の全英オープン出場で、
しかもタイガーと同組。

特別に異常な状況で、
あそこまで普段通りのゴルフができるとは。

昨日「強烈な努力」という言葉を紹介したが、
石川を見ていると、
努力では培われない、
SOMETHINGが備わっているように思える。

あえて言えば、
周囲の全てを味方につけてしまう天賦の才。



2アンダー。

今日タイガーよりスコアが良かったからといって、
石川がタイガーに勝ったわけでも、
実力で並んだわけでもない。

このコースは風が吹けば様相を一変する。
怖れを知らぬからこそ出来たともいえる。

でも、
そんなこと全てを割り引いでも、
今日の彼のプレーは、
日本ゴルフ史に残る。

何といっても17歳の彼は、
攻めきったことで自分自身に勝ったのだし、
それは歴戦の勇者でも、
なかなか出来ることじゃあない。



真に快挙である。



これから彼は、
最低でも30年はプロとして戦っていくだろう。

怖れを知って、
不振にあえぐ時が来たとしても、
彼を応援し続けよう。


ISHIKAWA RYO


彼は今日、
世界にその名を轟かせた。

●「明日はもっとアグレッシブに」。ラウンドを終えた若武者の頼もしい感想だ。

2009年7月16日木曜日

切符

昼ごろ起きて階下に降りると、
たなかりかさんの「Colors」が届いていた。

彼女の初メジャーCDだ。

初めて彼女の歌を聞いてから、
かれこれ5年ぐらいにはなる。

決して熱心なファンではなかったが、
年月を経てこうして結果を出した彼女を思うと、
やはり嬉しい気持ちになる。



そうしていたら夕方、
磯崎憲一郎氏が芥川賞受賞のニュース。

年齢がほぼ同じで、
同じ会社員(三井物産とは知らなかったが)であることもあり、
デビュー作「肝心の子供」から注目してきた。

受賞作「終の住処」は、
新潮掲載号を買って読んだ。

受賞インタビューで自身が述べているように、
「時間」がこの人のテーマで、
デビュー作から文章の密度はどんどん増し、
表現したいことの焦点が絞りこまれてきている感じがしていた。

半年に一作、
原稿用紙100枚ほどの短編を書き、
一昨年の文藝賞、
昨年の芥川賞候補、
そして今回の受賞。

まさに計画通り登頂に成功したという感じだろう。



もちろん、
メジャーデビューしていない素敵な歌手は一杯いるし、
芥川賞をとっていない優れた小説家も大勢いる。

でも、
彼らが「切符」を手に入れたことは間違いない。

他人よりより早く、
より遠くまで行ける切符。

それがないと「中」へ入れない切符。



先日のクローズアップ現代で、
このあいだ亡くなった囲碁の藤沢秀行名誉棋聖を取り上げていた。

入院中の病院で亡くなる寸前、
筆を手にした藤沢氏は、
一気にこの五文字を書いたという。


強烈な努力


おととし死んだ親父の姿を見て、
今際の際の人間は普通、
鉛筆一本持てないほど衰弱するものだと知っているだけに、
藤沢氏の、
余りに力強い筆致に驚嘆した。


強烈な努力


それなくしては、
切符を手にすることはできない。


強烈な努力


何と激烈な遺言か。


●実際の文字を載せようと探し回ったが見つからず、挙句の果てにNHKオンデマンドの会員になってしまった。30分のクローズアップ現代が210円とは高すぎないか?●石川遼の全英挑戦。初日はタイガーと回るという。世界中が彼らに注目する●イチローがオバマにサインをもらって喜んだ。逆だろ、普通は。いや、やっぱオバマか?

2009年7月15日水曜日

伝説

「キマグレン」というデュオのことは、
見た目がまるでチャゲアスだけど、
歌は大して上手くない(言える筋合いではないが)、
ぐらいにしか思ってなかった。

はっきり言って、
全く興味がなかったのだが、
トップランナーの録画を見て、
彼らの履歴を少し理解した。


二人が幼馴染で、
逗子に海の家兼ライブハウス(音霊=おとだま、というらしい)を作り、
5年頑張ってきたこと。

KUREIという、
ぼくがチャゲに似ているなと思ってきた人の方の父親が、
なかなか「トンデモ」な人で、
(といっても具体的に何をしている人か知らないが)
とにかくKUREI少年が「タスマニアデビルすごい」と言っただけで、
タスマニアに留学させてしまったということ。



そもそも「キマグレン」という奇妙な名だが、
番組でKUREIが説明するには、
二人で音霊に出演するにあたって、
相方のISEKI(顎の下に一本線のヒゲの方)が、
ソロユニットで使っていた「キマグレ」を、
パソコンでブッキング表に入力する際、
KUREIが誤って最後にNを2回押してしまったのが、
そのままユニット名になった、
ということで、
ウィキペディアにもそう載っている。

司会の箭内道彦はかなり怪しがっていたが、
ぼくもこの説明には首をひねった。
誤って「N」を2回押さないだろ、
普通。


まぁ何にせよ、
今となってはそれが「通説」である。

だいたい「伝説」というのはそんなもんで、
マイケルも死んでしまった以上、
幼児虐待疑惑や整形地獄の話なんかは、
だんだん人々の記憶から消え、
あと50年もすれば、
「キング・オブ・ポップ」の華々しいビデオや賛辞だけが残るのだろう。

いずれにせよ、
キマグレンの二人より、
KUREIの父親に興味を抱かされた。



父親といえば、
ロシアを一代でヨーロッパ列強に仲間入りさせた、
ピョートル一世は、
息子のアレクセイを後継ぎにしたかったのに、
思うように育たず、
しまいには自分が息子に追い落とされるのではないかと思い、
結局殺してしまうことになったという。

それが邪推だったのかどうか、
そんなことも今は藪の中。


伝説なんて、
「本当はこうだった」説ではなくて、
「本当にこうであったと人々が信じる」説だ。



いずれも今晩、
消化試合のように、
まさしく気まぐれで見た録画の話。

それでも一番の収穫は、
キマグレンのKUREIが言っていた一言。


「信じる者と書いて儲かる」


やっぱりこの二人、
気まぐれなんかじゃない。



●天満「じゃず家」セッション。今日は自己満足すらできなかった。反省●自民党の古賀選対委員長が辞任。都議選の責任をとったということらしい。「そのまんま爆弾」の小爆発か。

2009年7月14日火曜日

人生

NHKの「SONGS」に、
アリスが出ていた。

懐かしいのはもちろんなのだが、
彼ら3人の背後に、
当時ファンだったであろう、
おじさんとおばさんで埋め尽くされていたのには、
いささかげんなりした。

たぶんぼくと同世代だ。



小学校高学年から、
中学生ぐらいにかけて、
彼らの歌が立て続けにヒットして、
よく歌ったもんだ。

同じころ、
好きだったのが「風」というデュオ。
アリスを見ていたら、
なぜかこの歌を思い出した。


ささやかなこの人生


花びらが散ったあとの
桜がとても冷たくされるように
誰にも心の片隅に
見せたくはないものがあるよね

だけど人を愛したら
誰でも心の扉を閉め忘れては
傷つきそして傷つけて
ひき返す事のできない人生に気がつく

やさしかった恋人達よ
振り返るのはやめよう
時の流れを背中で感じて
夕焼けに涙すればいい


誰かを愛したその日には
例えばちっぽけな絵はがきにも心が動き
愛を無くしたその日には
街角の歌にもふと足を止めたりする

風よ季節の訪れを
告げたら寂しい人の心に吹け
そして巡る季節よ
その愛を拾って終りの無い物語を作れ

やさしかった恋人達よ
ささやかなこの人生を
喜びとか悲しみとかの
言葉で決めてほしくはない




大人びた歌詞だなぁと、
今更ながら思う。
1975年発売のこの楽曲は、
伊勢正三24歳ごろの作品だ。

そして、
その本当の意味もわからぬまま、
大声で歌ってた11歳のぼく。



いや本当は、
伊勢正三もぼくも、
そのころすでに、
「ささやかな人生」って言葉に、
何かを予感したのだろうか。



●置き手紙、なごり雪、22歳の別れ、あの唄はもう歌わないのですか。。。いやいや●ドキュメンタリ宣言を見て、石川遼の母が41歳だと知った。別に驚きゃしないけど、ぼくのささやかな人生は、息子のまま終わり、父になることはないのだと改めて思った●総選挙は8月30日に。8日は回避されたのは良かったのだが、おかげで夏休みが半分ぐらい吹き飛びそうだ●紀伊国屋に行って、今度こそ桐野夏生「IN」を買った。別の棚に、磯崎憲一郎「終の住処」が並んでいた。予言するが、間違いなく芥川賞を取るだろう。

2009年7月13日月曜日

注釈

競泳男子200㍍背泳ぎで、
アメリカのピアソルという選手が、
1分53秒08という記録をマークした。

堂々の世界新記録であるが、
日本記録には及ばなかった。

なぜこんな「ねじれ」が起きたのか。



日本記録は、
先日入江陵介が出した1分52秒86。

ところが、
この時入江が着ていた水着を、
国際水連が認可しなかった。

なら日本記録も取り消しかと思いきや、
こちらは日本水連が公認してしまった。
日本水連は注釈つきで、
今後も入江の記録を日本記録とする方針らしい。



スピード社の高速水着登場以後、
まるでプールの長さが変わってしまったかのように、
一流選手は、
「泳げば新記録」みたいな状態が続いている。

ルールや用具規則の改正で、
様々な競技がこれまで大なり小なり影響を受けてきたが、
これほど劇的な例をぼくは知らない。

「まるでドーピング」と言いたくもなる。



昔、
陸上の記録は手動のストップウォッチで計測していた。
それが機械式になってからしばらく、
記録は伸び悩んだ。

特に100㍍が顕著だった。

確か手動の方が、
スタートしてからストップウォッチを押すまでに、
0.1秒ほどのタイムラグがあって、
その分、
選手にとっては記録が「かさ上げ」されていたんだったと記憶している。
0.1秒といえば、
約1㍍の差だ。

一時は、
世界記録一覧に、
「※は手動式計時」みたいな注釈がついていた。
今、
世界記録の10傑はすべて機械式計時だから、
もうこんな注釈は必要なくなったけど。



でもこの例と今回の水着騒動とは、
根本的に問題の所在が違う。

「スピード以前」と「以後」に分かれるような、
ややこしい状態は早く脱して欲しいし、
そのためには、
全員同じ水着を義務付けるか、
裸で泳いでもらうしかない。



スポーツの良さは、
注釈なんか必要のない潔さだ。

注釈だらけの人生を送る人間にとっては、
なおさらである。



●都議選、自公が予想通り大敗。なのに14日解散説が急浮上してきた。すると投開票は8月8日が有力になる。そ、それだけはやめてくれー。その日は○○○○があるのだ!公明、反対せよ。

2009年7月12日日曜日

繁殖

我が家の前には、
幅2㍍ほどの用水路があって、
今はコンクリートできっちり固められ、
きれいに整備されたが、
子どものころは「どぶ川」だった。

水量は今よりずっと多く、
藻が一杯生えていて、
ドジョウやメダカのほかに、
アメリカザリガニがいた。

道路を挟んだ向こうには、
阪急電車の線路があり、
今は頑丈な鉄柵も、
そのころは恐らく枕木を再利用した、
黒い木が突き刺してあるだけで、
周囲にはセイタカアワダチソウが繁茂していた。

この植物は枯れると、
茎が固く枝のようになり、
絶好の遊び道具だった。


アメリカザリガニとセイタカアワダチソウ


どちらも、
ぼくの子どものころの思い出と、
切っても切れないものだ。

同時に、
どちらもアメリカ大陸からやってきた、
外来種である。


フランス料理のエスカルゴになる欧州原産のカタツムリが、大阪府内の団地内で大量に繁殖していることが、滋賀県立琵琶湖博物館などの調査でわかった。国内での報告例はないが、このカタツムリは繁殖力が強く、海外では農作物に大きな被害を出している。住民らは12日、日本自然保護協会の協力で観察会を開き、駆除に乗り出す。(asahi.com)


フランス料理では重宝される食材も、
ここでは完全に厄介者扱いだ。
ぼくが子どもだったら、
絶対捕まえて食べてみたいと思うだろう。

それにしても、
エスカルゴの養殖は、
世界的にも難しいらしいのに、
不思議な話だ。

ま、
生命力とはそんなものかもしれない。



セイタカアワダチソウは、
他の植物の成長を抑制する物質を出すという。
縄張り争いをしているわけだ。

ギリシャ語の「互いに」と、
「一方が他方に障害を与える」という言葉を合成して、
アレロパシー(他感作用)というそうだ。

ところがこのアレロパシーが、
自らに作用することがあるらしい。
最近、
セイタカアワダチソウがめっきり減ったのは、
そういうことも一因だという。


自分が出した毒で、
自らを痛めつける。



これぞ自業自得。


●「MR.BRAIN」終了。とびとびに見たが、綾瀬はるかだけが突出して光っていた。

2009年7月11日土曜日

偽善

桐野夏生の「IN」を買おうかと思い、
紀伊国屋に入ったのだが、
雑誌売り場で文學界に目が止まった。

「1Q84」の書評に興味があったからなのだが、
買ってみると、
巻頭の松尾スズキ作「老人賭博」が抜群に面白かった。


邦画撮影現場のドタバタを、
ユーモラスに描いた作品で、
架空の登場人物に、
つい実在の役者をあてはめ(例えばベテラン俳優「小関」は大滝秀治)、
電車の中で思わず吹き出しそうになった。

相手役の女優は、
グラビアアイドルとして売り出し中の、
「いしかわ海」という設定で、
こちらも、
実在の女優が何人か頭に浮かんだ。



海は、
ひょんな成り行きで、
24歳の主人公「ボク」に、
自分は「偽善」に興味があると告白する。



 B級アイドル仲間に、自分の不幸を語る人間が何人もいることに気づいた海は、彼女たちにインタビューをしてまわった。すると、過去、家族や恋人に虐待を受けている人間があまりにも多いことがわかった。なぜ人は人に暴力をふるうのか。それを知るため海は、歴史を独学で勉強したという。その結果、世の中の暴力の歴史は悪というより、それをふるうものの「独善」に基づいていると海は確信した。海自身、親に虐待を受けずっと性悪説で生きてきたので、その歴史にショックを受けた。性悪だからこそ自分は善を意識して生きなければと思ってきたのに、善そのものが、それほどにこの世に不幸をもたらしているなんて。それなら、せめて独善より偽善の方が遥かに扱いやすく罪がないという結論にいたったと海はいうのだ。いろんなことを考えて人は生きているのだなあ、というのが、地獄の労働と喧嘩三昧の日々の中、考えることを放棄してしまったボクの虚ろな感想だ。



独善より偽善の方が罪がない。


全然笑えるところではないのだが、
ある意味一番印象的だった。
とても笑える小説だけど、
本質は間違いなくここにある。



●著者はかつて「クワイエットルームへようこそ」で芥川賞候補になったが、本作は直木賞かもしれない●肝心の「1Q84」の書評は、まだ、どれも解析途中という感じで、手探り感がありあり●元町から堀江まで、よく移動した一日●そのせいだろう、年に数回しか会うことのない知人2人に、別々の場所で偶然出会った。うち一人のT君はこのブログを毎朝読んでくれているという。ありがとう●ペンギンさんに久しぶりにお目にかかれた●マイケル・ジャクソンの緊急特集をNHKで。1時間の大半は、PV流すだけで終わった。肩透かし。

2009年7月10日金曜日

手間

たまたまTVをつけたら、
NHK「今日の料理」だった。

シーフードカレー

講師のシェフが、
「プロの味を家庭用にアレンジした」
という触れ込みだったが、
とんでもなかった。


玉ねぎを炒めるのに1時間

小麦粉を炒めるのに1時間

炒めた玉ねぎと小麦粉を合わせてさらに30分炒めて。。。


材料に珍しいものはなく、
特に技術がいるわけでもないが、
何せ手間がかかる。

全然見る気などなかったのだが、
その手間のかかりさ加減が面白くて、
見入ってしまった。

試食したアシスタントの女性は、
当然のことながら味を絶賛していた。
あれだけ手間をかけて美味しくなかったら、
抗議殺到ものだろう。



それとは全然関係ないのだが、
以前録画していたビデオで、
「BOME」という原型師を知った。

「フィギュア」という、
アニメキャラを立体化するプロで、
その世界では有名らしい。

現代美術家の村上隆のフィギュアが、
16億円で売れたというニュースがあったが、
あれを一緒に作った人というので、
へぇーと思った。

そのBOMEの創作過程を紹介していたが、
こちらもまた、
手間をかけまくっていた。

何より、
2次元のアニメや漫画を、
3次元化するということの創造性に、
初めて気付かされた。

原画はもとより、
ロダンの彫刻なんかも参考にしながら、
一体の原型を作るのに1日13時間、
4か月かかりっきり。

髪の毛の着色だけで6色を重ていた。

この原型から作られたキットが、
3万5000円(?)とかするのに、
飛ぶように売れているのにも驚いた。



プロっていうのは、
技術やこだわりもさることながら、
手間を惜しまない、
また惜しまなくていい時間がある人なのだなと、
上記2人を見て納得した次第。


たかがひと手間、
されどひと手間。


●あのカレーを作ってみようかと一瞬思った●米韓両政府が大規模ハッカーの攻撃を受けたとニュースで。母にコンピューターウイルス知ってるかと聞くと「パソコンのバイ菌やろ」と一言●ロト6は全滅でした。でも面白いな。

2009年7月9日木曜日

長寿

免疫抑制剤などに使われる、
「ラパマイシン」という薬を、
実験用マウスに与えたところ、
寿命がオスで28%、
メスだと38%伸びたという。

アメリカの研究チームの発見だ。

細胞の成長や代謝を制御する、
「TOR」という酵素の働きを抑えるためらしい。

副作用の有無などは、
まだまだこれからの研究だが、
ネズミという哺乳類で効果が確認されたことは、
人間にも応用可能であることを示す。

ざっと3割寿命が延びるとすれば、
日本人なら100歳は当たり前ということになる。



先日、
巨人の最高齢OBが始球式をして、
その前川八郎さんという97歳のおじいさんが、
「いい冥土の土産ができた」と話していた。

きっとそのぐらいの年齢になれば、
ごく自然にそう思えるのだろうなぁと想像したが、
こんな長寿薬がもし実用化されたら、
97歳は「まだまだ若い」ということになる。

そういえば先日、
昼間のNHKの番組に、
おなじみ日野原重明博士が出ていて、
その多忙ぶりに驚いた。

この人は98歳。
長寿薬が実現したら、
日本中に日野原博士みたいなお年寄りが、
一杯走り回るのだろう。



ぼくは。。。

駄目。
絶対駄目。

60歳でもきっと怪しい。

第一、
そう思わないと、
毎日頑張れない。



しかし、
日野原さんはいいことを言っている。


年齢は勝ち負けではありません。謙虚に、そして存分に味わえばよいのです


参りました。

さすが年の功。

2009年7月8日水曜日

紅蓮

パチンコ店にガソリンをぶちまけ火を放ち、
4人を殺した男の名が「素直」とは、
何ともやるせないが、
この事件は、
裁判員制度で下される初の「死刑」判決になるかもしれない。



なぜこんな事件を起こしたのか。
取り調べでも裁判でも、
男の「動機」探しが行われるだろうが、
分かりっこないし、
分かる必要もない。

「心の闇」という言葉は、
手あかがついて好きではないが、
人の意識について冷静に考えれば、
確かにそこは「闇」だと言える。

凶悪犯だけではなく、
人の心はすべて「闇」なのだということを、
ぼくはほとんど確信している。



ただ、
人生に絶望したのなら、
一人自殺すればよいものを、
他人を道連れにしようとする心理は、
ある程度解明できるかもしれない。

男は放火後、
しばらくの間、
紅蓮の炎を上げる店を見ていたという。
放火犯の典型的な行動だ。

その間、
男が覚えたであろうカタルシスを想像すると、
早く死刑にすればよいとも言えまい。



男の心中は今、
後悔より満足感の方が勝っているのではないか。
数人の人生を絶ち切った自分に酔っているかもしれない。

そんな思いを男にさせたまま、
死刑にしてはいけない。
殺してしまっては、
男はもう何も感じることはないのだ。

「死」を超えた紅蓮の苦しみを与えなければならない。

それは何だろう。

正気を保ったまま、
1分1秒でも長く苦しませる方法は。

どこにも逃げ場のない、
永遠の痛みは。

男に心底「殺してくれ」と懇願させ、
それでも尚生かし続けるには。



殺して終わりでは、
知恵がなさすぎるではないか。


●通勤途中の宝くじ売り場で、生まれて初めて「ロト6」を買ってみた。

2009年7月7日火曜日

犠牲

人間なんて、
「野性に理性の皮を被せただけ」
という昨日の表現は、
われながら的を得ていると思う。

体の構造的な問題から、
心のありようまで、
人間の99.9%、
あるいはそれ以上は、
チンパンジー並みなのではなかろうか。

もちろん、
薄皮一枚の理性こそが、
大切なのだが。



「リスクにあなたは騙される」(ダン・ガードナー著、早川書房)

よほど自分は理性的だと思っている人でも、
この本を読めば、
理性など本当に薄皮一枚だと認識するだろう。

この本には、
人間がいかに「恐怖」によって理性が狂わされるか、
ということが具体的に書かれているのだが、
特に冒頭のエピソードは興味深い。

あの9.11テロの後、
アメリカでは約1年間、
飛行機の利用者が激減した。

車にシフトしたのである。

その結果どうなったか。

交通事故による死者が増えたのだ。

研究によると、
約1600人が、
飛行機から車にシフトしたために死んだという。
この数は、
同時テロの死者の半数を上回る。

要は飛行機に比べ、
車は非常に危険な乗り物なのである。



しかしあのテロの映像を見て、
飛行機を敬遠したくなる気持ちは、
誰にでも共通するだろう。

頭では「飛行機は安全」と分かっていても、
野性、
つまりこの本によれば「腹」の判断は違う。

腹の判断はより原初的ではあるが強烈で、
しばしば頭より高次にある。
頭は腹の下した判断を正当化しようと、
もっともらしい理由をねつ造しさえもする。



そうした知見もさることながら、
このエピソードで考えさせられたのは、
死ななくてもよかった1600人である。

彼らは、
直接テロで死んだわけではないが、
ある意味テロの犠牲者でもある。

本人は知る由もなかったわけだが。

世界中の人に悼まれることもなく、
日常の、
ありきたりな交通事故の犠牲者として、
新聞に名前が載ることもなかった。

遺族にとっては、
どちらも同じ悲劇なのに。



日本では、
交通事故の年間死者数が1万人を切って久しい。

一方、
自殺者は3万人を超えたままだ。

そして今日も、
何十人もの人が自殺する。

何の犠牲かもわからずに。

2009年7月6日月曜日

表情

茂みに何かがいる。

身の危険を察知した動物は、
とりあえず牙をむき、
唸り声を出して威嚇する。

でも、
茂みから出てきたのが仲間だったら、
牙をむいた顔を緩める。
相手に敵意はないことを示すためだ。

それが笑顔の起源なのだそうだ。

キムタクが「MR.BRAIN」で言っていたから、
たぶん間違いないのだろう。

人間には今も、
「野性」が色濃く残っている。
というより、
人間なんて、
「野性に理性の皮を被せただけ」というべきかもしれない。



男子プロテニスのロジャー・フェデラーが、
ウィンブルドン男子単を制した。

決勝戦の相手アンディ・ロディックは、
この試合大健闘、
フェデラーから2ゲームを奪って2セットを取ったが、
タイブレークで2セットを失った。

最後の最後、
唯一落したゲームが、
勝敗を決する第5セット第30ゲームだった。



フェデラーはグランドスラム大会15勝目。
ついにサンプラスを抜いて、
史上最強のテニス選手となった。

ボルグ
サンプラス
フェデラー

歴史的3選手に共通するのが、
「無表情」ということだ。
チャンスでもピンチでも、
喜怒哀楽をほとんど表わさない。



表情に出すということは、
相手に自分の内面をさらけ出すことだ。
勝負事では手の内をさらさないという意味で、
無表情は大切かもしれない。

しかし、
それ以上に大事な点は、
「野性」の部分である表情は、
理性にまで影響を与えるという事だ。

よく言われるように、
悲しいから泣くのではなく、
泣くから悲しいのだ。

悔しい顔をするから悔しくなる。

今日の試合に関する限り、
フェデラーとロディックの差は、
そのあたりにもあったように思う。



自分の中の野性を飼い慣らす。

いや待てよ、
でもそれじゃぁ、
自分の中に、
動物園を作るということか?

何だか嫌だな。


●いつもウィンブルドンの決勝になると、期末試験勉強をしながら見ていた日々を思い出す●天満「じゃず家」のセッションに。今月から第一日曜日にも行われることになった。

2009年7月5日日曜日

捨身

「プロレスは真剣勝負だ」
などと、
今更言う人はいまい。

そもそも「興業」、
つまり「見世物」だ。
そんなことは皆知っている。

鍛え上げられた体、
磨き抜かれた技があって初めて成り立つ「見世物」だ。

また一方で、
還暦を過ぎたジャイアント馬場が現役でいられたように、
存在そのものが「伝説」と化す場合もある。

そういう雑多な要素も全部飲み込んで、
プロレスは成り立っているし、
であるからこそ、
ファンは自分の雑多な人生を投影し、
カタルシスを覚えるのである。



「レスラー」(ダーレン・アロノフスキー監督)を観た。

初老のプロレスラーを、
ミッキー・ロークが演じ、
昨年のアカデミー主演男優賞に輝いた作品だ。

いくつかの映画評も好意的で、
是非とも見たかっただが、
正直思ったほどではなかった。

もちろん、
ロークの文字通り「捨て身」の演技は、
彼の昔を知る者として、
すさまじい気迫を感じざるを得ない。

ドサ回りを繰り返し、
体がズタズタになってもリングに上がり続けるレスラーの、
リアルな世界が描かれていたとも思う。



残念だったのは、
ストーリーがありきたり、
つまり、
完全に予測の範囲内だったということに尽きる。

この作品が言いたいことはとてもよく分かる。
だが、
観客に「よく分かる」と思われた時点で、
映画としては失敗とは言えまいか。

「分かる」を超えた何かを、
直接胸に伝える魔法が備わってなければ、
映画は成り立たない。

リアルさだけを追うなら、
ドキュメンタリーでいい。



兎にも角にも、
ロークがすべて。

彼抜きでは成立しない映画だ。


●リングで死んだ三沢光晴を思った●相撲も「興業」だ。本来プロレスと似たようなもの。そう考えれば、八百長だなんだと言うこと自体が馬鹿らしくなってくる●ペンギンさん不在●男子高校生が駅で同級生を刺殺。

2009年7月4日土曜日

解禁

自転車の三人乗りが、
専用の自転車なら認められるようになったが、
どうにも変な話だ。



幼子を自転車の前後に乗せている母親は、
今でも一杯いるし、
中にはさらに背中に一人おぶっている「猛者」もいる。

その割にそういった親子の事故の話は、
寡聞にして聞かない。
3人が一度に亡くなるような悲惨な事故って、
どれほどあるのだろうか?

それに、
専用の自転車がそれほど安全なのだろうか。
仮に車がぶつかってきたら、
どんな自転車だって、
ひとたまりもあるまい。



そもそも、
バイクのヘルメットや
自動車のシートベルトや、
自転車の二人(三人)乗りなんて、
法律で規制される筋合いのものじゃない、
というのがぼくの持論だ。

これらの行為は、
そりゃ当人には危険かもしれないけど、
リスクはその当人だけが背負うわけで、
自己責任の領域だ。



「おまえは自分の安全を考えないのか」って、
親や教師にしかられるならともかく、
公権力に介入されたくはない。

少なくとも、
親子の3人乗りを解禁するなら、
大人の2人乗りなど、
「いわんやおや」だろう。



このままだと、
自転車に乗る人すべてに、
ヘルメット着用を義務化しよう、
そんな声が早晩出てくるだろう。

2009年7月3日金曜日

野生

マイケル・ジャクソンの遺言状が公開された。

資産550円には格別の驚きはないが、
その遺言状にマイケルがサインしたのが、
2002年7月、
つまり彼が42歳の時だったことには、
少し悲しくなった。

どうやら基金を設立したのを機に、
ということらしいが、
今のぼくより若い年齢で、
自分の死後のことまで考えていたわけだ。

彼の年譜を見ると、
その年の11月に、
彼は自分の幼子をホテルの窓から宙づりにするという、
例の奇行を起こしている。



彼の死について、
ビートたけしは先週末のテレビで、
意味深長な発言をしていた。


「ライオンは凶暴だけど、檻に入れると魅力がなくなるんだよね」


マイケルのような人物の行動に、
法律や道徳や倫理感を安易にあてはめてはいけない、
そういう意味だと理解した。



ちなみに、
ぼくは子どものころから、
動物園というのがあまり好きではなかった。

アフリカのサバンナや、
南極の氷原や、
ブラジルの密林や、
大海原で、
ある日突然生け捕りにされ、
連れてこられた動物たちを見ていると、
やっぱり少し悲しくなる。

聖人君子を気取る気はない。

世界中にそういう施設があっても、
仕方ないとは思う。

でも、
ちょっと多すぎるのではないか?

日本動物園水族館協会に加盟している施設だけでも、
約160か所だという。
非加盟施設もあるだろうから、
実数はもっと多いはずだ。



野生をはく奪された動物は、
世界中だとどれくらいになるのか。

檻の中のライオンは、
サバンナの夢を見るのだろうか。


●都会のカラスの方がよほど野生だ●グリーン・ピースよ。捕鯨反対より、動物園反対だろう。

2009年7月2日木曜日

返信

「ごめんなさい」という文字も

「ごめんね」という声も

今の僕には届かない



あの頃の僕は死にました

この手で僕が殺したのです



語りかけた言葉も

傾けた耳も

考えた頭も

触れた指も

注いだ眼差しも

今はもうどこにもありません



どうか記憶に蓋をして

そっとしておいてください



残忍

冷酷

非情



自分の亡骸を背負い

僕は歩く

2009年7月1日水曜日

順位

先週の「桑田佳祐の音楽寅さん」を録画で見た。

タイトルはずばり、
「寅さんに歌ってほしい21世紀BESTSONG」。

この10年間に世に出た歌の中から、
桑田が気に入ったという曲を歌っていた。


1. TREE CLIMBERS(木村カエラ)
2. 千の風になって(秋川雅史)
3. 抱いてセニョリータ(山下智久)
4. Flavor of love(宇多田ヒカル)
5. 旅立ちの唄(Mr.Children)
6. そばにいるね(青山テルマfeat.SoulJa)
7. 愛のままで(秋元順子)
8. 君にBUMP(ケツメイシ)
9. テルーの唄(手嶌葵)
10.マツケンサンバ(松平健)
11.世界はそれを愛と呼ぶんだぜ(サンボマスター)
12.Everything(MISIA)
13.キセキ(Greeeen)
14.SAKURA(いきものがかり)
15.閃光少女(東京事変)
16.Life is...(平井堅)
17.地上の星(中島みゆき)
18.タイガー&ドラゴン(クレイジーケンバンド)
19.アシンメトリー(スガシカオ)
20.ワダツミの木(元ちとせ)



「21世紀」と言いながら、
12位と17位は、
2000年発表の曲であるのはご愛敬として、
1位の木村カエラは驚いた。

実は彼女のことは、
CMぐらいでしかよく知らない。
桑田好みなんだね。



知らないと言えば、
9位に至っては、
歌も歌手も全然知らなかった。

「てしまあおい」さん22歳。

YouTubeで聞いてみた。

そういえばこの歌、
聞いたことあるある。

そっか、
「ゲド戦記」の挿入歌か。

観てないし。

歌声がとっても素直でした。



それにしても、
興味深い選曲だ。


●「テルーの唄」の作詞は「ゲド戦記」の宮崎吾朗監督であるが、萩原朔太郎の「こころ」という詩を参考にしたとのこと●久々天満「じゃず家」セッションへ。とちっても慌てない度胸だけはついてきたように思う。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...