何気なく途中から見始めたテレビの映画に、
いつの間にか引き込まれ、
つい最後まで、
ということがよくある。
借りてきたDVDを、
結局見ないまま返却したり、
映画館まで足を運んで落胆したりすることが少なくないだけに、
不思議でしょうがなかったが、
最近TUTAYADISCASで半強制的に月4本見るようになり、
なんとなくその理由が分かってきた。
「期待」と「時間」がポイント。
期待するということは、
もうその時点で力が入っているということ。
映画館はもとよりレンタルでも、
しっかり最初から最後まで観ようと、
力が入る。
その点、
たまたまつけたテレビの映画は、
はなから期待はない訳だし、
時間的にも元々途中からなのだし、
つまらなければいつスイッチを切ってもいい。
DISCASのシステムにもテレビ映画的な面があって、
とりあえず予約しておいたDVDが、
結構ランダムに送られてくるから、
あまり何も考えずにパソコンで少しずつ見る。
分からなくなれば、
後から見返すこともできる。
おまけに、
返却期限というのが基本的にない。
今借りている2枚を送り返さないと、
次が送られてこない仕組みだからだ。
と、
これだけ前ふりをして、
「ディア・ドクター」の西川美和監督による、
前作「ゆれる」が本題だ。
この監督は、
人間心理の複雑さをあぶり出すのが巧みだという評価だが、
本作においてもその一端がうかがえる。
心底は疑っているのに、
疑っていないと信じる。
なぜなら兄弟だから。
兄弟は、
親や配偶者や子供と置き換えてもいい。
もちろん、
こんな「信頼」は本当の「信頼」ではないわけで、
その欺瞞性が、
ある事件をきっかけにして露わになる。
とてもよく出来た作品だと思うけど、
「映画」というものの特性を考えると、
傑作とは言い難い。
なぜなら、
たぶん繰り返し見ないと、
この作品の意図がつかめないからだ。
他のブログの感想にもあったけど、
「後出しじゃんけん」的要素が多く、
「じゃああれは一体何だったの」という疑問が、
一回見ただけでは解消されないのだ。
だから、
普通映画館で一回しか観ない(最近は観れない)客には、
極めて不親切だと言える。
力の入った客が、
とり合えず一回観て分かるというのが、
「映画」への信頼ではないのか。
繰り返すほどに深みが増すというのは歓迎だけど、
一回見ただけでは分からないというのは、
少なくとも商業映画としては失格ではなかろうか。
だから批評家には高い評価でも、
観客には低調というような、
評価の齟齬が生じるのだと思う。
「映画」の一番の醍醐味かつ難しさは、
その一回性にこそあるのだと思う。
その縛りをなしにするなら、
さぞや難解かつ深みのある面白い映画は作れるだろうが、
そんな映画を映画館で見たいだろうか?
一回で分かるけど凡庸な作品と、
繰り返し見ないと意味が分からない作品。
「映画」を名乗れるのはどちらだろう。
●無論、映画慣れしている人の方が一回見ただけでも理解度は高いはずで、そのへん難しいけど。それでも「ゆれる」は、一回では論理的に分からない(分かる人は相当記憶力がよくて再構成能力が高い)。意図的か否か、そのように出来ている。
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