2009年8月27日木曜日

安心

緊急地震速報が誤って流れたことに、
「しっかりしてもらわないと困る」みたいに、
市井の人が言っているのをテレビで見て、
あるいは、
謝罪会見をする気象庁の人を見て、
何か変だと思った。

地震を予測するなんてことは、
恐らく天気を予測するより遥かに難しいはずで、
気象庁はそれに挑戦しているのだ。

それを一度間違ったぐらいで苦言を呈し、
また頭を下げなきゃならないなら、
そんな挑戦はやめてしまえばいいのだ。

誤報結構じゃないか。



「おかしなことは何も起こりません」
という期待が「安心」で、
「いろいろあっても大丈夫です」
という期待が「信頼」だと、
社会学者のニコラス・ルーマンが言ったそうだ。

「日本の難題」(宮台真司著)に書いてあるのを読み、
「なるほど」と膝をたたいた。


政治家は「安心」を連呼する。
もちろん「安心」であるに越したことはないが、
そんな訳にはいかないことをぼくらは知っている。

彼らが「安心」と叫べば叫ぶほど、
それは欺瞞にしか聞こえず、
かえってぼくらは「不安」を募らせる。

だから監視カメラや、
地震速報や、
セコムなんてのに、
過度に頼ってしてしまうし、
誤報一つで怒ってしまう。



この国の陥っている問題は、
「安心」以前、
つまり、
(必ず起きるはずの)怖いことが起きても、
助けてくれないという国への不信だ。

その信頼を取り戻すところから始めない限り、
「安心」の連呼はむなしい。

地震に遭っても、
リストラに遭っても、
年をとっても、
この国は大丈夫ですと、
言いきれる包容力がある政治家は、
果たしているのだろうか。


●安心と信頼の違いは、昨日書いた映画「ゆれる」にも通ずるテーマだ●天満「じゃず家」塩本彰(Gt)押領司由紀(P)田代泰之(B)北岡進(Dr)ライブへ。塩本さんは、セッションでいつもお世話になっているのだけど、ライブは初めて。これぞ信頼の演奏‼

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