緊急地震速報が誤って流れたことに、
「しっかりしてもらわないと困る」みたいに、
市井の人が言っているのをテレビで見て、
あるいは、
謝罪会見をする気象庁の人を見て、
何か変だと思った。
地震を予測するなんてことは、
恐らく天気を予測するより遥かに難しいはずで、
気象庁はそれに挑戦しているのだ。
それを一度間違ったぐらいで苦言を呈し、
また頭を下げなきゃならないなら、
そんな挑戦はやめてしまえばいいのだ。
誤報結構じゃないか。
「おかしなことは何も起こりません」
という期待が「安心」で、
「いろいろあっても大丈夫です」
という期待が「信頼」だと、
社会学者のニコラス・ルーマンが言ったそうだ。
「日本の難題」(宮台真司著)に書いてあるのを読み、
「なるほど」と膝をたたいた。
政治家は「安心」を連呼する。
もちろん「安心」であるに越したことはないが、
そんな訳にはいかないことをぼくらは知っている。
彼らが「安心」と叫べば叫ぶほど、
それは欺瞞にしか聞こえず、
かえってぼくらは「不安」を募らせる。
だから監視カメラや、
地震速報や、
セコムなんてのに、
過度に頼ってしてしまうし、
誤報一つで怒ってしまう。
この国の陥っている問題は、
「安心」以前、
つまり、
(必ず起きるはずの)怖いことが起きても、
助けてくれないという国への不信だ。
その信頼を取り戻すところから始めない限り、
「安心」の連呼はむなしい。
地震に遭っても、
リストラに遭っても、
年をとっても、
この国は大丈夫ですと、
言いきれる包容力がある政治家は、
果たしているのだろうか。
●安心と信頼の違いは、昨日書いた映画「ゆれる」にも通ずるテーマだ●天満「じゃず家」塩本彰(Gt)押領司由紀(P)田代泰之(B)北岡進(Dr)ライブへ。塩本さんは、セッションでいつもお世話になっているのだけど、ライブは初めて。これぞ信頼の演奏‼
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