2009年8月13日木曜日

共感

本屋に行くといまだに店頭平積み状態の「1Q84」。
マスコミで取り上げられることはさすがに減ったが、
最近、
1、2巻の隣に、
「村上春樹『1Q84』をどう読むか」(河出書房新社)、
が並んでいるのにお気づきだろうか。

他人がどう読もうと関係ないではないか、
と思いつつ、
やっぱり買ってしまたのだが、
なかなか面白かった。


・「リトル・ピープル」とは何者か
・「卵と壁」を超えて


という読書感想文のようなタイトルから、

・相対化される善悪
・「父」からの離脱の方位


なんていう、
何やら難し気なものまで、
33人の書評とひとつの対談が収められている。

短期間によくこれだけ様々な角度で読めて、
しかも書けるものだ。

肯定にせよ否定にせよ、
それだけの関心を集めたわけだ。



中でぼくが一番共感したのは、
「リトル・ピープルよりレワニワを」という、
佐々木敦氏の論考だった。

例えば、
本題とは関係ないが、
村上春樹を評したこのような一文。

実際のところあまり何も考えていない男が、無表情なまま彼女の悩みに耳を傾けていて、とりあえず話の継ぎ穂として「わかるよ」とだけ口にしたら、彼女はその寡黙な一言に隠された多くの想いを勝手に感じ取り、深く感動して彼のことがますます好きになってしまう、というような印象。


この評論家は1964年生まれなのだが、
やっぱり感性が似ているというか、
思考の仕方という意味で、
思わずうなづいた。

さらにしばらく後で、
こう断言する。

村上春樹が現在のごとき巨大な作家になっていったのは、このいわば「錯覚された共感」がエンジンである。

確かに、
村上春樹の文章は、
一見フレンドリーなようでいて、
実はすごい冷徹でリアリスティック、
あるいは病的なほどの警戒心があるように感じることがある。

これまでの作品はしかし、
その「内向き」なベクトルが魅力であった。
そのベクトルがオウムに向かった時に、
こういう反応(作品)になるのだなぁ、
というのが、
今のぼくの感想だ。



書かれている事は明晰で、
文章運びもストーリーも練られている。

登場人物たちはいずれも、
キャラクターは見事に造形されているが、
そこに「人間臭さ」みたいなものを感じないのである。

人の生死や痛みや、
セックスでさえ、
滅菌され消毒され、
現実味を失っているようにぼくには写る。



村上春樹は、
オウム事件の被害者と加害者の双方に取材して、
それぞれ一冊ずつのノンフィクションを書いた。

そして結局、
彼はオウム真理教側に、
より共感しちゃったのだと思う。



●ちなみに「レワニワ」とは、「ポケットの中のレワニワ」(伊井直行著、講談社)からとられている。著者はこちらの小説の方にずっと感動したのだそうだ●静岡の地震で唯一犠牲になった43歳の会社員。平積みにした数千冊の本の下敷きになったとは、想像できない!

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