本屋に行くといまだに店頭平積み状態の「1Q84」。
マスコミで取り上げられることはさすがに減ったが、
最近、
1、2巻の隣に、
「村上春樹『1Q84』をどう読むか」(河出書房新社)、
が並んでいるのにお気づきだろうか。
他人がどう読もうと関係ないではないか、
と思いつつ、
やっぱり買ってしまたのだが、
なかなか面白かった。
・「リトル・ピープル」とは何者か
・「卵と壁」を超えて
という読書感想文のようなタイトルから、
・相対化される善悪
・「父」からの離脱の方位
なんていう、
何やら難し気なものまで、
33人の書評とひとつの対談が収められている。
短期間によくこれだけ様々な角度で読めて、
しかも書けるものだ。
肯定にせよ否定にせよ、
それだけの関心を集めたわけだ。
中でぼくが一番共感したのは、
「リトル・ピープルよりレワニワを」という、
佐々木敦氏の論考だった。
例えば、
本題とは関係ないが、
村上春樹を評したこのような一文。
実際のところあまり何も考えていない男が、無表情なまま彼女の悩みに耳を傾けていて、とりあえず話の継ぎ穂として「わかるよ」とだけ口にしたら、彼女はその寡黙な一言に隠された多くの想いを勝手に感じ取り、深く感動して彼のことがますます好きになってしまう、というような印象。
この評論家は1964年生まれなのだが、
やっぱり感性が似ているというか、
思考の仕方という意味で、
思わずうなづいた。
さらにしばらく後で、
こう断言する。
村上春樹が現在のごとき巨大な作家になっていったのは、このいわば「錯覚された共感」がエンジンである。
確かに、
村上春樹の文章は、
一見フレンドリーなようでいて、
実はすごい冷徹でリアリスティック、
あるいは病的なほどの警戒心があるように感じることがある。
これまでの作品はしかし、
その「内向き」なベクトルが魅力であった。
そのベクトルがオウムに向かった時に、
こういう反応(作品)になるのだなぁ、
というのが、
今のぼくの感想だ。
書かれている事は明晰で、
文章運びもストーリーも練られている。
登場人物たちはいずれも、
キャラクターは見事に造形されているが、
そこに「人間臭さ」みたいなものを感じないのである。
人の生死や痛みや、
セックスでさえ、
滅菌され消毒され、
現実味を失っているようにぼくには写る。
村上春樹は、
オウム事件の被害者と加害者の双方に取材して、
それぞれ一冊ずつのノンフィクションを書いた。
そして結局、
彼はオウム真理教側に、
より共感しちゃったのだと思う。
●ちなみに「レワニワ」とは、「ポケットの中のレワニワ」(伊井直行著、講談社)からとられている。著者はこちらの小説の方にずっと感動したのだそうだ●静岡の地震で唯一犠牲になった43歳の会社員。平積みにした数千冊の本の下敷きになったとは、想像できない!
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