2009年8月23日日曜日

記録

幼稚園児のころ、
雑種の白い子犬を飼い始めた。
近所の人からもらったはずで「カピー」と名づけた。
名前の由来は忘れた。

カピーは、
子犬の時は本当に可愛らしかったのだが、
大人になると手がつけられない乱暴者になり、
ペット用の鎖では平気で引きちぎられるので、
工事現場なんかで使う正真正銘の鎖で散歩させていた。

ある日、
家の前でぼくが鎖を握っていたら、
カピーは突然猛ダッシュし始め、
ぼくは鎖を握ったまま横倒しになってズルズルと、
家の前の道(当時は舗装されていなかった)を10㍍ほど引きずられた。

たまたま両親がそばにいたので、
暴れん坊カピーはすぐに取り押さえられたが、
ぼくは体のあちこちを擦りむいて大泣き。
でも内心、
鎖を手放さなかった自分が少し誇らしかった。


泣きべそをかくぼくをなだめる母と、
馬鹿力のカピーが映ったその時の写真がアルバムに残っている。
撮ったのは亡父だ。

その時たまたま父がカメラを持っていたのか、
哀れなぼくの姿を記録しとこうと、
急いで家から取ってきたのか知らないが、
わが子の「悲劇」の最中の冷静さに感心する。

まるでタマちゃんのお父さんみたいだ。


100年ほど前のフランスに、
アルベルト・カーンという大富豪がいて、
カメラマンを雇って世界中に派遣し、
膨大な数のカラー写真と映像を撮らせた。

そのドキュメントをBS1でやっている。
「奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界」を見ていると、
二つの大戦を挟んだたかが100年の間に、
どれほど多くの民族や習慣が失われたのかに呆然となる。














これはベトナムの写真なのだが、
そう、
彼が撮らせた多くは、
原初期のカラー写真なのである。
モノクロと違う生々しさが圧倒的だ。


失われゆくものを記録しておくことは、
ただそれだけで価値がある。
とにかく記録されていないことには、
あったことすら認識できない。

そういう意味でぼくは、
あの阪神大震災の時に、
もっと写真やビデオを撮っておくべきだったと反省している。

ファインダーをのぞくと、
人間はかなり厚かましくなれるものだが、
あの時ばかりは、
カメラを向けることをためらった。

ぼくは明らかに間違っていた。
どれだけ不謹慎であろうと、
あの時こそ厚かましくなるべきだった。


と同時に、
泣きべそをかくぼくを撮った親父に、
今では感謝するのである。

●写真はhttp://www.albertkahn.co.uk/index.htmlより●世界陸上。マラソンで日本が団体銅だとか。マラソンの団体というものの意味をどう捉えればいいのか、よくわからないけど、ひょっとすると今大会、日本の唯一のメダルになるかもしれない●久しぶりに住吉でチョコレートパフェを食べた。満足‼

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