2009年8月7日金曜日

消息

酒井法子のような有名芸能人が、
人に知られずに母子心中など、
できるわけがないな、
と考えていたら、
大原麗子が遺体で見つかった。

自宅ベッドで、
死後2週間たっていたそうだ。
62歳。
紛れもない孤独死である。



サントリーレッドの一連のCMは、
かれこれもう四半世紀前の作品だが、
今もって真に傑作であると同時に、
彼女でなきゃ、
絶対に成り立たなかったと思う。

早速YouTubeにアップされていたのは、
1984年の「電話編」だった。



男とけんかした女(大原麗子)が、
和服を着て電話機を枕に寝ている。

男からの電話を待っているのだ。

そこへベルが鳴る。

女の口から咄嗟に出たのは、

「あら生きてたの」

という心にもない言葉。

受話器の向こうの相手は何も言わず、
ガチャンと切ってしまう。

再びあてどない電話待つ女。

そこへまたベルが鳴る。

そしてあの決めゼリフ。


すこし愛して、ながく愛して。


あの声、
あの表情。

世の男性は無条件降伏したものだ。
ぼくは東京の安下宿で、
酒の味をおぼえ始めたころだった。
レッドは飲まなかったけど。



女優として、
最大のヒットがCMというのは、
寂しい事かもしれないが、
たった30秒で人の心を虜にしたという意味では、
誰よりも大女優だったといえるかもしれない。



それにしても、
彼女の死を知って初めて聞く彼女の言葉が、
「あら生きてたの」とは!


●かのCM制作陣には監督市川昆、コピー糸井重里、音楽服部克久の名が並ぶ●ギラン・バレー症候群という難病を患っていたなんて全然知らなかった●のりピーの長男が都内で無事が確認された。ちなみに人の体内から薬物が完全に排出されるには、少なくとも3、4日はかかるという●裁判員裁判で初の判決。殺人罪で懲役15年。

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