色とりどりの光が、
頭上で炸裂する。
閃光に少し遅れ、
巨大な破裂音が腹の底に響く。
これを待っていたのだ。
なにわ淀川花火大会を見るのは2年ぶりだ。
2年前、
ぼくは入院中だった病院の10階の窓から、
この花火大会を眺めた。
いつかもう一度、
今度は真下から見てやると、
心に決めていた。
去年は仕事で行けなかった。
だから今年は休日願いを出した。
酒井法子や、
草彅剛や、
少し前だが小室哲哉。
逮捕された芸能人に寛容なのは、
人生の暗転というものを、
少しばかり体験したからかもしれない。
人生は自業自得や他力本願や一蓮托生のないまぜだ。
自分の力ではどうにもならぬことは確かにある。
そう思い知った時から、
他人の過ちを一刀両断できなくなってしまった。
念願の花火を頭上に仰ぎ見ながら、
しかし、
ぼくの心は晴れやかではなかった。
光の芸術を無邪気に楽しめる人間では、
すでにぼくはなくなっていた。
ぼくにとって花火は今や、
自分自身の成り立ちを写しだす走馬灯だ。
多くの失ったものを、
これでもかこれでもかと、
見せつけてくれる。
美しいけどはかなく残酷な芸術。
でもぼくにはそれが必要だ。
たぶんこれからもずっと。
ただただ阿呆のように口を開け、
夜空をあんぐり見上げているうちに、
1時間足らずのショーは終わった。
家路につく大勢の人の中を、
ぼくは無言で歩いた。
●「ほかにすることあるだろー」と、お叱りの声も聞こえてきそうだが、今日はこれが優先ということで●午前中、皮膚科に行ったら「22番目です」と言われた。お盆が近い。病院はどこも大忙しだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿