2009年8月9日日曜日

再見

色とりどりの光が、
頭上で炸裂する。
閃光に少し遅れ、
巨大な破裂音が腹の底に響く。

これを待っていたのだ。



なにわ淀川花火大会を見るのは2年ぶりだ。
2年前、
ぼくは入院中だった病院の10階の窓から、
この花火大会を眺めた。

いつかもう一度、
今度は真下から見てやると、
心に決めていた。
去年は仕事で行けなかった。
だから今年は休日願いを出した。



酒井法子や、
草彅剛や、
少し前だが小室哲哉。

逮捕された芸能人に寛容なのは、
人生の暗転というものを、
少しばかり体験したからかもしれない。

人生は自業自得や他力本願や一蓮托生のないまぜだ。
自分の力ではどうにもならぬことは確かにある。

そう思い知った時から、
他人の過ちを一刀両断できなくなってしまった。



念願の花火を頭上に仰ぎ見ながら、
しかし、
ぼくの心は晴れやかではなかった。

光の芸術を無邪気に楽しめる人間では、
すでにぼくはなくなっていた。

ぼくにとって花火は今や、
自分自身の成り立ちを写しだす走馬灯だ。
多くの失ったものを、
これでもかこれでもかと、
見せつけてくれる。

美しいけどはかなく残酷な芸術。

でもぼくにはそれが必要だ。
たぶんこれからもずっと。



ただただ阿呆のように口を開け、
夜空をあんぐり見上げているうちに、
1時間足らずのショーは終わった。

家路につく大勢の人の中を、
ぼくは無言で歩いた。


●「ほかにすることあるだろー」と、お叱りの声も聞こえてきそうだが、今日はこれが優先ということで●午前中、皮膚科に行ったら「22番目です」と言われた。お盆が近い。病院はどこも大忙しだ。

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