心臓移植を受けた元FBI心理分析官が、
連続殺人の謎に挑むという、
「ブラッド・ワーク」(クリント・イーストウッド監督)をDVDで観た。
推理サスペンスなのでネタばれは避けるけど、
移植された心臓が誰のものだったのかという「興味」は、
この映画の主人公に限らないだろう。
臓器移植の普及と「脳死」は今や切り離せない。
何をもって人の死とするのか。
その線引きは人為的なもので、
たとえ心臓が停止したって、
その人の全細胞が死滅したわけではない。
死んでも髪や爪は伸びる。
古代エジプト人が、
埋葬してなお蘇りを信じたのは、
実はまっとうな心理なのかもしれない。
「世界は分けてもわからない」(福岡伸一著、講談社現代新書)では、
脳死に対して「脳始」という概念を紹介している。
受精卵が脳波を出すまで分化するのに、
30週ぐらいかかるのだそうだ。
脳死を人の死、
つまり人間でないとするならば、
受精後30週未満の脳始以前もまた、
人間ではないという考え方も成り立つ。
脳死が臓器移植と切り離せないように、
脳始が医療と切り離せない時代が、
決してこないとは言えないのである。
脳死の発生率は大人で1%とも言われるけど、
脳始はすべての人が経験するのだ。
●ちょっとした予定の狂いで、今週は元町に行けそうにない。残念だなぁ(笑)
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