競馬やパチンコ、
競輪に競艇。
博打には勝ち負けがつきものだが、
ひとつ確実なのは、
胴元は必ず勝つ(儲ける)ということだ。
場を設け、
ルールを決める。
そこに人が集いさえすれば、
個々の人々の勝ち負けより高次のレベルで、
胴元は必ず勝つ。
この鉄則は、
博打に限らない。
宝くじやロトだってそうだし、
もっと広く経済全般においても全く同じである。
「2011年 新聞・テレビ消滅」(佐々木俊尚著、文春新書)は、
マスメディアにおける胴元の転換について書かれている。
それにしても、
「消滅」とは何とも刺激的だが、
本書において2011年という年は、
二重の意味を持つ。
一つは、
テレビの地デジ移行であり、
もう一つは、
アメリカで「新聞消滅元年」とされる2008年を基準に、
3年後の2011年には日本でも同様の事態が訪れるという意味である。
いずれも、
新たな胴元はネットだ。
地デジ化によって「放送と通信の融合」が進み、
テレビの概念そのものが劇的に変わることは、
本書を読まずとも予想できるところだったが、
「まねきTV」などの具体例はとても面白い。
さらに、
米国の新聞が、
どうして軒並み経営危機に至ったのかについての報告は、
知らないことが多かった。
例えば、
新聞において折込チラシの広告費は、
特に販売店の経営において非常に大きなウェイトを占めるが、
すでに日本において、
全国の折込チラシそのものの画像を、
ネットで閲覧できるサービス(http://www.shufoo.net/)あるとは驚きだ。
地域や商品を設定して検索すれば、
どの店が一番安いのかがたちどころに分かる。
それらの安売り品と冷蔵庫の中身を使った、
レシピを紹介するサイトにも連動しているという。
それだけでも凄いと思うが、
これは広告主にとってもメリットがある。
このチラシ画像は拡大することができるのだが、
閲覧した人が、
チラシのどこを拡大したかが把握できるのだ。
配りっぱなしよりは、
広告主として価値があるのは明らかだ。
末節な話で勝手に盛り上がってしまったが、
たかがチラシというなかれ。
広告は新聞社でもテレビ局でも、
経営において決定的に重要な要因である。
少なくともぼくたちは、
「チラシとテレビ欄のためだけに」新聞を取る必要はないわけだ。
テレビにしても新聞にしても、
優秀な取材力や番組制作力はある。
しかし、
これまで存在が圧倒的に優位だったのは、
そのコンテンツを流通させる「手段」をも所有する、
いわば「ニュースの胴元」であったからで、
その座をネットに明け渡すなら、
新聞社もテレビ局も、
ただのコンテンツメーカーに成り下がる。
新聞社やテレビ局が淘汰されるのは、
時代の趨勢なのかもしれないが、
何より本書が問いかけているのは、
そもそも、
ネットの時代に「マスメディア」は成立するのか、
という点だろう。
個人の生活形態や趣向が多様化し、
しかもそれにピンポイントで対応できる環境がが実現した今、
「国民的」ともいうべき共通の土俵はありえないというのが、
著者の立場である。
マスメディアのない世界は怖い。
しかし、
それは不可避であると断ずる著者の主張は、
とても説得力がある。
2011年にマスメディアは消滅しないだろう。
だが、
確かに「消滅元年」にはなるかもしれない。
●そして最後に笑うのはNHKか●ペンギンさんはちょっとやそっとでは動じない。大したものだと思った。
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