2009年8月1日土曜日

胴元

競馬やパチンコ、
競輪に競艇。

博打には勝ち負けがつきものだが、
ひとつ確実なのは、
胴元は必ず勝つ(儲ける)ということだ。

場を設け、
ルールを決める。

そこに人が集いさえすれば、
個々の人々の勝ち負けより高次のレベルで、
胴元は必ず勝つ。

この鉄則は、
博打に限らない。

宝くじやロトだってそうだし、
もっと広く経済全般においても全く同じである。



「2011年 新聞・テレビ消滅」(佐々木俊尚著、文春新書)は、
マスメディアにおける胴元の転換について書かれている。

それにしても、
「消滅」とは何とも刺激的だが、
本書において2011年という年は、
二重の意味を持つ。

一つは、
テレビの地デジ移行であり、
もう一つは、
アメリカで「新聞消滅元年」とされる2008年を基準に、
3年後の2011年には日本でも同様の事態が訪れるという意味である。



いずれも、
新たな胴元はネットだ。



地デジ化によって「放送と通信の融合」が進み、
テレビの概念そのものが劇的に変わることは、
本書を読まずとも予想できるところだったが、
「まねきTV」などの具体例はとても面白い。

さらに、
米国の新聞が、
どうして軒並み経営危機に至ったのかについての報告は、
知らないことが多かった。

例えば、
新聞において折込チラシの広告費は、
特に販売店の経営において非常に大きなウェイトを占めるが、
すでに日本において、
全国の折込チラシそのものの画像を、
ネットで閲覧できるサービス(http://www.shufoo.net/)あるとは驚きだ。

地域や商品を設定して検索すれば、
どの店が一番安いのかがたちどころに分かる。
それらの安売り品と冷蔵庫の中身を使った、
レシピを紹介するサイトにも連動しているという。

それだけでも凄いと思うが、
これは広告主にとってもメリットがある。
このチラシ画像は拡大することができるのだが、
閲覧した人が、
チラシのどこを拡大したかが把握できるのだ。
配りっぱなしよりは、
広告主として価値があるのは明らかだ。



末節な話で勝手に盛り上がってしまったが、
たかがチラシというなかれ。
広告は新聞社でもテレビ局でも、
経営において決定的に重要な要因である。

少なくともぼくたちは、
「チラシとテレビ欄のためだけに」新聞を取る必要はないわけだ。

テレビにしても新聞にしても、
優秀な取材力や番組制作力はある。
しかし、
これまで存在が圧倒的に優位だったのは、
そのコンテンツを流通させる「手段」をも所有する、
いわば「ニュースの胴元」であったからで、
その座をネットに明け渡すなら、
新聞社もテレビ局も、
ただのコンテンツメーカーに成り下がる。


新聞社やテレビ局が淘汰されるのは、
時代の趨勢なのかもしれないが、
何より本書が問いかけているのは、
そもそも、
ネットの時代に「マスメディア」は成立するのか、
という点だろう。

個人の生活形態や趣向が多様化し、
しかもそれにピンポイントで対応できる環境がが実現した今、
「国民的」ともいうべき共通の土俵はありえないというのが、
著者の立場である。



マスメディアのない世界は怖い。
しかし、
それは不可避であると断ずる著者の主張は、
とても説得力がある。

2011年にマスメディアは消滅しないだろう。
だが、
確かに「消滅元年」にはなるかもしれない。

●そして最後に笑うのはNHKか●ペンギンさんはちょっとやそっとでは動じない。大したものだと思った。

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