2009年8月12日水曜日

変質

受精卵から始まる細胞の分化が不可逆的なように、
人間もまた人生を不可逆的に生きる。

昨日のあなたと今日のあなたは違うし、
1秒前のぼくと今のぼくは違う。

この文章を読んでいるあなたは、
今こうして書いている今のぼくの考えを、
つまりぼくの「過去」を読んでいる。
あなたが読んでいる時のぼくは、
この文章の中にはいない。

人生は一方通行で、
決してリセットすることはできない。

当たり前のことだ。



しかし、
芥川賞をとった磯崎憲一郎氏が次のように語るのは、
この自明なことをさらに深く捉えているように思う。



誤解を恐れず正直にいえば、「もう、芥川賞受賞以前ではないのだなあ」ということなのだ。無名時代に帰りたいとか、大きな賞を頂いてしまって本当にこれから小説家としてやっていけるのか?という不安な気持ちは自分でも拍子抜けするほど感じておらず、生活のペースも周囲の人たちとの接し方も、何ら変わるところはないのだが、しかし、つい半月程前の、芥川賞受賞以前の私というのは、私自身でありながらもはや私ではない、どう足掻(あが)いても触れることすらできない、遥(はる)かな遠い存在になってしまった。過去というのはどうしてこんなにも堅固で、悠然とそびえ立って、堂々としているのだろう。だが過去のこの遥かさ、侵しがたさこそが、私にとっては大きな希望なのだ。私の書く小説もまた、その希望の上に成り立っている。(asahi.com)



人生はやりなおせない。
だからこそ生きられるとはいえまいか。

もし過去をなかった事にできるとしたら、
過去がそのように不安定なものだとしたら、
恐らく人は怖くて前を向けないだろう。

たとえ暗闇であっても前を向いて歩ける(歩くしかない)ということは、
それはつまり勇気であり希望だ。

過去には戻れないという絶望が、
つまり勇気と希望の源泉なのである。



そしてそれとは別に、
磯崎氏にとって芥川賞がそうであるような、
人生の分節点みたいなものは確かにある。

それは、
考え方とか、
職業とか、
他人からの見られ方とか、
そういった表面的なものではなく、
その人の内面において、
決定的な変質をもたらす。



個体としては同じ人物であっても、
変質してしまった人間にとっては、
世界もまた変質する。

変質者(笑)は、
変質世界を、
勇気と希望だけを携えて歩く。



●豪雨に地震。何もない日って、あるわけはないけど、最近ありすぎ。

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