2009年11月30日月曜日

鼻血

JR元町駅前にはJRAのウィンズ、
つまり場外馬券場がある。

大きな建物で週末はおっさん連中で混雑するのだが、
ぼくは一度も入ったことがない。

そもそも競馬に興味がないので、
馬券は生まれて一度しか買ったことがない。


それでも、
天皇賞とか有馬記念とか、
G1レースになると嫌でも情報が入ってくるし、
今日のジャパンカップも、
ゴルフ中継の合間に見てしまった。

ウォッカという素敵な名前の馬が、
牝馬で初めて勝ったのだが、
このウォッカ嬢、
レース中に鼻血を出したらしい。


興奮すると馬でもそうなんだ、
ぐらいに思っていたら、
それは引退確実の一大事だった。

馬は鼻呼吸しかできないそうで、
競走馬にとって鼻は文字通り生命線。
鼻血といっても実際は肺が出血していることが多いのだそうだ。

また、
競馬に詳しい後輩によると、
馬は元来血圧が高いので、
一度でも鼻血が出ると、
なかなか止められないとか。


へぇー知らなかったと感心しているうちに、
亀田興と内藤の一戦が始まった。

予想以上に亀田の一方的な展開。
内藤の顔は鼻血で染まり、
みるみる腫れて痛々しかった。


同じように鼻血を出しながら、
ウォッカは勝ち内藤は敗れた。

でも、
どちらもこれで本当に引退なのだろうか。

●正直、亀田一家に良い印象はないのだけれど、興毅だけは好感が持てる。一家の負債を一人で返している頑張り屋の長男といった風●横峯さくら逆転賞金女王。彼女のファンの母はお喜び。遼も2位となり、史上最年少賞金王を確実にした。

2009年11月29日日曜日

一口

15回目となる神戸ルミナリエの試験点灯があって、
その新聞記事で27歳の男性が、

「小学校6年生から今までいろいろあった」

みたいなコメントをしていて、
胸にズキンと来るものがあった。


当時仕事の関係もあって、
被災地の小学校にはよく行った。

あのころ校庭を駆け回っていた男の子が、
今や30歳を目前にしたおっさんになっているのだ。

一口に15回といっても、
年代の切り取り方で随分印象は変わる。


震災のあった1995年の年末、
第一回の時点ですでに大人になっていたぼくとしては、
毎年大して代わり映えしないように思えるルミナリエ。

一時は風前の灯かと思われたけど、
ここまで続いたら、
ひょっとしたら風物として定着したのかもしれない。

子どものころに親に連れてきてもらい、
思春期に恋人と訪れ、
大人になってわが子に見せる。

15回という数字には、
それほどの重みがあるのだナ。


ところで、
亀田興と内藤のボクシング世界戦が今夜行われる。

世間では、
「辰吉VS薬師寺以来の盛り上がり」
なんて宣伝している。

ちなみにあの一戦が行われたのは1994年12月4日。

そう、
15年前の出来事だ。

●そのひと月後に震災は起きたわけだ。

2009年11月28日土曜日

単独

ペンギンさんが走ってきた。

手に「THIS IS IT」の半券を握りしめて。

先週ぼくが勧めたら、
その翌日一人で観に行ったのだそうだ。

「よかったー」と感激の様子で、
紹介者としてぼくも嬉しかった。


ところが、
ペンギンさんの喜びは映画だけではなかった。

映画館に一人で行ったのは、
生まれて初めてなのだとか。



世は「お一人さま」の時代である。

数多ある娯楽の中で、
映画鑑賞ほど一人に向いているものはないと、
そう言っていいと思うのだが、
世間では喫茶店にさえ一人で行けないという人が、
今でもいる。

特に女性に多い。

ペンギンさんもどうやらそのクチだったようだ。


何事も「初」とか、
「単独」がつく行為は特筆される。

ペンギンさんにとっては「初」でしかも「単独」。

画期的な事件だったのだ。


初めての一人旅。

初めての一人暮らし。

初めての一人舞台。。。


一人や孤独が平気なぼくではあるが、
初めての時のことは、
どれも鮮烈な記憶として残っている。

嬉々として喜ぶペンギンさんを見ながら、
人生に一度きりの、
そうした「単独」の初体験を、
ぼくはあと幾つ残してあるだろうと、
少し羨ましく思った。


●毎日新聞が共同通信と業務提携。単独では生き残れないようだ。新聞業界大再編時代の幕開けだ。

2009年11月27日金曜日

主導

ぼくが通っていた中学校には毎年秋、
各クラスや部活動単位で日ごろの活動の成果を見せる、
「学習発表会」というのがあった。

3年生の時に文化委員長だったぼくは、
「学習発表会」というのは堅苦しいから、
何とか「文化祭」に変えようとしたのだが、
教師の猛反対に合った。

いろいろやりあった記憶はもうなくなったけど、
結局「文化発表会」とすることで落ち着いた。

結局看板の掛け替えに過ぎなかったかもしれない。

ぼくは対等に交渉していたつもりだったけど、
結局教師が主導権を握っていたのかもしれないと、
今になってみて思う。


ところで「必殺仕分け人」の活躍が連日続いているが、
結局これって財務省の言いなりじゃないの?
とみなが気付き始めている。

これまでだって、
各省庁からの予算要求がまずあって、
それを積み上げたらすごい金額になるから、
財務省で査定してきた。

「仕分け」ってつまりこの「査定」のことで、
役人がやっていたことを、
シナリオ付きで公開しているようなものだ。

これを役人主導ではなく政治主導だというのは、
まったく馬鹿げている。


本当に政治主導にしていなら、
今回の90兆円の概算要求を(仮に)60兆円に減らしなさいと、
そう財務省に指示すればいいのである。

減らす算段は財務省の賢い人がすればいい。
もし出来ないというのなら、
その人は「無能」あるいは「不適格」ということで、
別の人に代わってもらう。

と、
本来ならこうあるべきだろう。
本来役人の仕事にまで政治家が首を突っ込んで、
こまごましたことに振り回されていては、
肝心の国にかじ取りがおろそかになる。


鳩山首相の故人献金問題も少し炎が見え始めた。
マニフェストも額面通りとはいかぬようだ。



鳩山政権に早くも正念場が訪れようとしている。


●歯の詰め物がとれ、久し振りに歯医者さんに行った●昼ごろ、わが家の前の線路でまた人がはねられた。母が警察の聞き込みを受けていた。

2009年11月26日木曜日

耳栓

最近街中で音楽を聴くときに愛用しているのは、
Ultimate Ears 700というイヤホンだ。






これより高価で、
かつ良い音がするイヤホンはあるけど、
とにかく抜群に小さい。

ちょっと見ただの耳栓にしか見えない。
実際耳栓のように遮音性は高く、
音楽をかけてなくても、
周囲の音がほとんど聞こえなくなる。

だから喧騒の中にいても、
驚くような音質が鼓膜にじかに手渡されるようで、
それは従来にない感覚だ。


ところで、
今日の読売新聞夕刊で、
作家の藤原智美氏のコラム「SPICE」で、
「THIS IS IT」に触れていた。

この映画を見た感想として、
とても共感できる内容だった。

中でも印象に残るのは、耳にはめた音声モニターについての発言だ。
 「自分の生の声を聞きながら歌うように育てられてきたから、慣れてないんだ。まるで拳を耳に突っ込まれたような気になる」


そうそう、
マイケルはそう言っていた。
「拳を耳に突っ込まれた」というのは言い得て妙。

最近はたいていの歌手があのイヤホンを耳にしているけど、
マイケルは初体験だったのか。


それにしても氏が観た時、
映画が終わると会場に拍手が起きたといい、
この映画を紹介してくれた同僚の時も同じだったというが、
ぼくが観たときにはそんなことはなかった。

そんな「お約束」があるなんてちっとも知らなかった。

気配もなかったのだが。

いつの間にか、

世間に対しても耳栓をしているのだろうか?

でも、
もしぼくがその「お約束」を知っていて、
あの状況で一人拍手する勇気があっただろうか。


勇気の問題じゃないけど。

2009年11月25日水曜日

偏狂

昨夜のマイケル追悼番組を見て知ったことなのだが、
マドンナが自分のライブで行った、
マイケル追悼コーナーでマイケル役をやったダンサーは、
日本人の「ケント・モリ」という24歳の人だそうだ。

それだけならいざしらず、
実は彼はマイケルのコンサートのバックダンサーに応募して、
1番で合格していたというのだ。

ところがその時点で彼は既にマドンナと契約しており、
マドンナ側が契約解除をどうしても認めず、
彼の夢はかなわなかったのだという。

彼がマイケル役で踊ったというのも、
そういった経緯があったれば
で、
当然彼の略歴を知ろうとしたのだけれど、
ネットではよく分からない。
ひょっとしたら業こそだった。


一人の日本人ダンサーをマイケルとマドンナが取り合った、
という格好だったわけだ。
界では有名なのかもしれないが。

ともあれ、
彼はこの一件で一躍ぼくなんかでも知る有名人になった。


先日スポーツ報知に秋元康のインタビューが載っていて、
スターになるかならないかは究極「運」だと言っていた。

もしマドンナとの契約解除がうまくいっていたら、
彼は「THIS IS IT」には出れただろうが、
あくまでバックダンサーの一人。

結果的に彼が有名になったのは、
マドンナが彼を手放さなかったからであり、
マイケルが死んでしまったからである。

そう考えれば秋元氏の言うことももっともだと思う。


しかしそれはあくまで「スター」のレベルの話。

「大スター」や「スーパースター」となると、
桁外れの才能と努力が必要だということもまた、
マイケルの映画や番組を見ていて思う。

マイケルは15分のレコーディングのために、
発声練習を3時間したという。

踊りにしても、
世界の一流ダンサーの中で、
ただ一人別次元にいることは、
素人であってもだれでもひと目見てわかる。

そこに「完璧主義」と一言で片付けられない、
何か恐ろしいほどのものを感じる。


「妥協を一切も許さない」という言い方も違う。

運もねじ伏せるようとするかのような、
ある種偏執狂的な何か。


数学の難題に取り組んだ天才たちが、
何人も精神的に病んでいったという話を先日書いた。

そういうのに近いかもしれない。

2009年11月24日火曜日

克服

立花隆氏がガンだったと、
今日のNスペを見るまで知らなかった。

多発性の膀胱がんがわかったのが2年前だという。

以来、
立花氏らしく文献を読みあさり、
最先端の研究者に直接会い、
ガンという病の謎に迫ろうとした。

番組はその2年間の軌跡であった。


その結果、
立花氏が出した結論は、
自分が生きている間にガンが医学的に克服されることはない、
という、
衝撃的なものだった。

それは、
ガンというものの発生原理が、
人間という生物がここまで進化できたことと、
ほとんど不可分であるという認識からきている。

人間の細胞の根幹をなす幹細胞とがん細胞が酷似している、
その一点だけでも、
ガン細胞だけを根絶することが、
原理的にいかに困難かということが分かる。

ガンの生命力は人間の生命力と同じなのだ。
ガンの生命力を断つことは、
人間の生命力を断つことに等しいのである。


で、
ここからが立花氏の真骨頂だと思うのだが、
そのように根治不能なガンであるなら、
抗がん剤治療で苦しみながら長生きしてもしょうがないと、
そう割り切ってしまったのだ。

だから、
再発しても抗がん剤治療は受けないと、
そのように宣言していた。


ある意味、
現在治療中の患者さんには残酷な内容だ。

いわば「その治療は無意味です」と言われたようなもの。
自ら患者である立花氏でなければ、
NHKは抗議の嵐だっただろう。

立花氏自身、
そう決断するまでは、
藁にもすがる思いで調べたはずだ。

最後は末期ガン患者のいるホスピスまで取材していた。

ガンで死ぬ人という、
そこまで取材を極めて立花氏は言う。

ジタバタしないことがガンを克服するということ

ズシンと重い言葉だ。

●調べたら昨年4月の文芸春秋で告白していたそうだ。我ながら情けない●SMAP特別編でマイケルの特集。ライオネル・リッチーがマイケルの地声は低いと話していたのが興味深かった。

2009年11月23日月曜日

滅亡

絶叫マシンが好きだ。

長島スパーランドや富士急ハイランド。

国内のジェットコースターのめぼしい奴は、
たいてい一度は乗っていると思う。

でも、
一番怖いと思ったのは、
今はもうないけど、
阪神パークの「ジェットスターⅡ」だ。


それはともかく、
「2012」(ローランド・エメリッヒ監督)を観てきた。

休日とあって、
シネコンの中でも広いほうの437席はほぼ埋まっていた。

この監督の作品に、
感動とか物語の巧みさなんて、
始めから求めていない。

「インディペンデンス・デイ」
「デイ・アフター・トゥモロー」

この人は、
何を撮りたいかではなく、
何が撮れるのかという思考回路で映画を作っている。


そういう意味で「2012」は、
期待通り、
いや期待以上の出来だった。

要するに現代版「ノアの方舟」話であるが、
地球が崩壊する様子を、
VFX(特撮を最近ではこういうらしい)で、
これほどリアルに見せることができるとは。

茫然自失の158分。

現実は想像を超えるのが世の常だけど、
これほどの映像を見てしまうと、
今後どんな災害が起きても「既視感」を抱くかもしれない。


帰り際、
一緒に行った母が「主人公は何があっても助かるな」と、
妙に納得した様子。

そうだ。

ぼくらはご都合主義で助かる主人公ではない。

それを考えると、
爽快感が少し減った。

●見るなら映画館で。どうせなら3Dで作ればよかったのに●にしても人間って、どうしてこんなに滅亡話が好きなのかな●帰宅してBShiを見ていたら、月に基地を作る計画のドキュメントになり、いつか本当に月に移住する日がくるのではないかと思った。

2009年11月22日日曜日

歌姫

BS2でちあきなおみの特集を2時間もやっていたので、
ついつい見てしまったが大正解だった。

次々流れるライブ映像を見ながら、
「あぁ、歌がうまい」としみじみ感じ入った。


番組中、
NHKらしく茂木健一郎が出てきた。

「喝采」が流行ったのが小学校高学年の時で、
それ以来全然聞かなかったのだけど、
数年前たまたまラジオで聞いて驚いた。
年を取らないとわからないよさってあるんですね。


さすが茂木先生。
同年代だけに全く同感だ。


歌謡曲だけでなく、
演歌やシャンソン、
ポルトガル民謡「ファド」まで歌いこなす抜群のセンス。

他人の曲でも彼女が歌うと、
まるで最初から彼女の歌だったように聞こえる。

ある意味、
美空ひばりを超えているかもしれない。


その数時間後、
同じBS2に中森明菜が登場。
カバー曲ばかり歌うライブをやっていた。

彼女も彼女なりに凄い人ではあるが、
ちあきなおみの後番組というのは、
ちと具合が悪かった。


1978年に俳優の郷鍈治と結婚したが、1992年に死別。郷が荼毘に付されるとき、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。郷の死去以降は一切の芸能活動を停止。引退宣言もないまま現在まで、公の場所にも全く姿を現していない。

ウィキペディアの記述であるが、
こういう情念こそ、
ちあきなおみの歌を支えているものだったのだろう。

すでに還暦を過ぎている。

歌姫の再降臨は、
残念ながらありえないだろう。


●「喝采」は1972年のレコード大賞受賞曲。前年は尾崎紀世彦「また逢う日まで」、翌年が五木ひろし「夜空」。歌謡曲絶頂期だな。

2009年11月21日土曜日

眠目

阪神が今年のドラフト1位指名した、
法政大学の二神一人投手のモットーは、
「年中夢求」だそうだ。

「年中無休」に引っ掛けた駄洒落だが、
なかなかうまいこと言うもんだ。


夢という言葉は「眠目(いめ)」、
つまり寝ている時に見る夢から来ているらしくて、
「将来の希望」という意味で使われるようになったのは、
比較的新しいという。


最近よく夢を見る。

というか、
見た夢を覚えていることが多い。

それはいつも眠りの覚めぎわ、
つまり最後に見ていた夢だ。


夢の中で、
自分は結構ヤバイ状況におかれているのだけど、
「でもこれって夢じゃないの?」と考え始める自分がいて、
次第に夢の中で起きていることが、
論理的におかしいことを検討しだす。

最後には「だってここはぼくのベッドの上じゃないか」と思い、
そのころにはほとんど覚醒していて、
最後に目を開けて「ほらやっぱり夢だろ」となる。

焦っている自分と、
冷静に「まてよ」と思う自分が、
同じ頭の中で同居している事態は、
我ながら興味深い。


夢中の人は我を忘れているが、
夢の覚め際って、
自分を客観的に眺める究極の状態ではないか。

スポーツ選手が「ソーン」と呼ぶ状態や、
ステージ上の歌手や役者が、
自分自身を上から眺めているような状態というのは、
そういうことなのかもしれない。

臨死体験にも似たような話があったな。


そういう風に、
いつも夢の覚め際のような感じをもてたら、
それは人生の極意かもしれない。

2009年11月20日金曜日

覚書

小学生や中学生の時に書いた自分の文書を読んで、
「こいついいこと言ってるなぁ」と感心することがある。

子供じみた空想や夢物語がほとんどなのだけど、
中には大人になった今の自分をチクリと刺すような、
そんな言葉にドキリとする。

もちろん、
書いた当時の自分は大して深く考えずに書いたわけだし、
大人には大人の思考回路や世界観というものがあって、
子どものころのように世の中は割り切れるものではないと、
今では知っているのだが、
子どもだった自分の文章には、
何も知らない分、
ある種「竹を割った」ような部分があって、
妙に「潔さ」を感じるのだ。


みたいな話をペンギンさんとしてから、
元町界隈をうろつき、
さらにジャンカラと天満じゃず家へ行った。


にしても、
何か思いついたら記録しておくということは、
結構重要なことで、
今日も歌うことに関する数週間前の思いつきというか、
覚書みたいなものを読んで、
かなり救われた。

ぼくはある一年を除いて、
日記というものをつけたことがないけど、
もし子どものころから日記の習慣があって、
しかもそれを定期的に読み返していたら、
人生大幅に違っていただろうと、
それは確かに言える。


そういえば今日は、
自分で読んだことのある本の朗読を聞いた。
もちろん抜粋だったのだけど、
今年読んだにもかかわらず、
ずいぶん(というかほどんど)忘れていて、
あらためて読み聞かされて、
「なるほど」と思うことがいくつかあった。

何よりも、
自分が何でもすぐに忘れるアホだということを、
しっかり思い出した(笑)。

●じゃず家のライブは、吉竹祐子(Vo)押領司由紀(Pf)佐々木善暁(B)水上ダンヒル洋(Dr)の面々。ライブに行くのは久々だったし、元気なパフォーマンスを楽しめた。

2009年11月19日木曜日

特撮

「THIS IS IT」を見に行ったら、
「2012」(ローランド・エメリッヒ監督)の予告編をやっていた。

地球が崩壊するという、
もうこれ以上ないというような、
大スペクタクル映像。

最近の特撮ここまで来たかと感心はしたものの、
いまどきはこんなのばっかりで、
いささか食傷気味。

もう不感症になってきて、
いまさら何見ても驚かないななんて思っていたら、
そのリーダーが日本人の若者だったと、
今日の「クローズアップ現代」で知って、
そっちの方には驚いた。


坂口亮という人で、
1978年生まれというから、
まぁ若者は言い過ぎかもしれないが、
大学在学中の1999年に渡米。
徒手空拳努力し、
今はロスアンゼルスのデジタルドメインという、
特撮(最近はVFXというらしいが)の名門に所属している。

昨年、
日本人では初めてアカデミー賞の科学技術賞を受賞したというが、
そんなことちっとも知らなかった。


大学在学中に渡米という点に魅かれた。

後先考えず日本を飛び出し、
世界で頑張る若者。

たまたま彼はクローズアップされているけど、
きっと今現在も彼のように世界で頑張る若者が沢山いて、
これからも続々と生まれるだろう。

別に海外に行かなくたっていい。
要は自分のやりたいことがあれば、
突っ走れということだ。

中途半端が一番いかん。
中年男が若者に贈る最大の助言だ。


一度きりの人生だから好きなように生きろ。

物分かりよさそうに言う人に限って、
その人のキャパを超えたことをしようとすると、
意外なほどに保守的になる。

そういう大人をぼくは知っているし、
ひょっとしたらぼく自身そうなりかけているかもしれない。

それでも飛び出す若者のエネルギーに憧れるし、
無条件で拍手喝さいしてしまう。


いやなに、
保守的がいかんとは思わない。
世の中の大半の人は保守的であるべきだし、
そんなに世の中が激動ばかりされても困る。

しかし、
坂口氏のような人間を知ると、
胸がスカッとすると同時に、
そういうことが果たせなかった自分の夢を託したくなる。


迷っていたけど「2012」を観に行こうと思った。

2009年11月18日水曜日

怪力

大相撲の魁皇が幕内800勝を飾った。

「史上3人目の快挙」と言われてもピンとこないが、
「毎場所全勝しても9年かかる」といわれれば、
なるほど強いだけでなく、
丈夫でなければなし得ない偉業だとわかる。

ちなみに上の二人は、
千代の富士(807勝)と北の海(804勝)。

言わずと知れた大横綱だ。
今場所か遅くとも来場所には、
大関の彼がこの二人も抜くことだろう。


「怪力」で鳴らす魁皇だが、
意外にも得意技は「小手投げ」。
相手のひじをキメるこの技は危険極まりなく、
これまで何人もの力士を病院送りにしてきた。

今日の把瑠都戦も怪力対決が楽しみだったが、
あっけなくこの技で終わった。


800勝はすごいことだけど、
小手投げは引き技と同じで、
癖になると力士として大成しない。

魁皇にはなまじ怪力があっただけに、
力任せのこの技に頼るようになってしまった。

魁皇がもし小手投げを若いうちに封印していれば、
間違いなく横綱になっただろうと思うと、
金字塔にも素直に喜べない。


せめて今場所は優勝して、
大記録に大きな花を添えて欲しいものだ。

2009年11月17日火曜日

難問

「リーマン」と聞いて今どき思い浮かぶのは、
経済危機の元凶である米証券会社。

あるいはぼくらサラリーマン。


くだらない。

実にくだらない。


しかしながら、
数学の世界で「リーマン」といえば、
泣く子も黙る「リーマン予想」のことらしい。

Nスペ「魔性の難問~リーマン予想・天才たちの闘い~」は、
この超難問に取り組む数学者の歴史を、
かなり分かりやすく紹介していた。


ぼくなりに理解したところでは、
リーマンという数学者が150年ほど前、
素数の並びには規則性があると予想したんだとか。

一見ランダムに見える素数の並びが、
実は円周率と密接な関係にあって、
その規則性を見つけることが、
宇宙の成り立ちを解明するカギになるんだそうだ。

何で宇宙が突然出てくるかというと、
最近の原子核の研究で、
原子核エネルギーと素数についても、
密接な関係があることがわかったからだ。

ということで、
素数は「創造主の暗号」っていうらしい。

素数の謎を解けば、
万物の根源が見えるというわけだ。

これほど魅力的な難問もないでしょ。
だから数学者は躍起になるのだナ。

でも、
頑張り過ぎて精神を壊した人もいるようで、
人が創造主を理解するのは容易ではない。


にしても、
リーマンさんは、
勝手に予想だけして死んでしまったのだから、
随分と罪つくりなお人だ。

2009年11月16日月曜日

未完

「本編の存在しないメイキング」

「THIS IS IT」を観てきた率直な感想だ。


50歳のマイケルがライブなんて、
ありえないと思っていた。

だって今世紀に入ってから彼はライブを行っていない。
出来っこないと。

しかし、
これを観る限り、
本当の本当に実現間近だったようだ。


リハーサルで歌い踊るマイケルは、
「50歳にしては」というカッコ付きの次元ではなく、
往年の切れと歌唱力を保っていた。

50歳になったボルトが、
100メートルを9秒代で走れるか?

それほど驚くべきことだ。


彼の歌を子どものころに聞いて衝撃を受けた、
という世界一流のダンサーやコーラスの若者らと、
そん色ないどころか、
その中央で圧倒的オーラを放っている。

その鮮やかさは、
彼の回りだけ時間が止まっていたのでは、
と思ってしまうほどで、
長年一線を離れていながら、
どうやってあのクオリティを保っていられたのだろうかと、
不思議でならない。

いつやるかわからないコンサートのために、
毎日毎日、
トレーニングを重ねていたのだろうか。

だとしたら、
何で死んじゃったんだろう。


リハで彼が強調していたのは、
徹底してオリジナルを忠実にということ。
ファンが望むのはそれだと。

リハでここまで来ていたのなら、
何としても実現させてあげたかったなぁ。

つくづくそう思わせる、
あっと言う間の111分だった。


●ジョン・レノンが「愛と平和」のメッセージをぼくらに残したとするなら、マイケルの残したメッセージは「愛と環境」だ。CD買いました●Nスペ「魔性の難問」が面白かった。リーマン予想かぁ。感想はまた後日。

2009年11月15日日曜日

呪文

子どものころ、
新聞の名文コラムといえば、
朝日新聞「天声人語」と相場は決まっていた。

今でもその評価に変わりはないのだけど、
最近では読売新聞「編集手帳」もなかなか健闘している、
というのが最近の評判だ。

筆者が交代すれば、
文章の質も変わる。

匿名コラムとて同じだ。


大学生の時、
入社試験の作文用にと人に一読を勧められたのが、
「カンカラ作文術」(山崎宗次著、光文社)だ。


カンカラコモデケア


合格作文の極意として、
筆者が掲げた呪文である。

ちなみに著者は元毎日新聞記者だ。

カン=感動
カラ=カラフル
コ=今日性
モ=物語性
デ=データ
ケ=決意
ア=明るさ

呪文の方だけなぜか覚えていたのだけど、
その一つ一つの意味はすっかり忘れていた。

でも当時はこの呪文を唱え、
入社試験に合格できたのだから、
少しは効き目はあったのだろう。


その本が今でも手元にあって、
パラパラめくってみた。

昭和59年初版。

定価650円。


本の値段って、
意外に安定していることに感心した。

●ところが驚いたことにアマゾンで調べてみると、何とこの本、今や中古で4380円で売られている!「お宝」になっていたとは●このブログにあてはめると「カラ」と「ア」に欠けていることに気づいた。明日から少し注意しよう●ようやく休みだ。「THIS IS IT」を観にいこう。

2009年11月14日土曜日

隔世

24時間、戦えますか

そんな栄養ドリンクのコピーがあった。

「企業戦士」という言葉も、
もはや死語かもしれない。


「不毛地帯」(フジテレビ系)を見ていると、
昭和30年代から50年代にかけて企業の上層部だった人は、
大抵が戦争の生き残りだったのだと、
つくづく思い知らされる。

戦場で死の淵をさまよった。
仲間を目の前で失った、
部下を死なせてしまった。

そういう壮絶な思いを背負った人が数多くいたはずだ。
彼らにとって企業活動は、
舞台を替えた戦場にほかならなかっただろう。

彼らは栄養ドリンク飲んで嫌々残業する、
軟弱サラリーマンとは違う、
正真正銘の「企業戦士」だったのだ。


敗戦後64年の今この日本で、
命がけで会社につくすなんて、
冗談にもなりゃしない。

かつての戦士からすれば、
「隔世の世」であろう。


彼らが土台を作った今の日本がいいかどうかは別として、
ドラマを見ていると、
ある種の「畏敬の念」がこみあげる。

平和は結構だけど、
平和ボケでは格好つかないなと、
そんな風に思う。

2009年11月13日金曜日

洋画

会社の後輩の女性が、
「映画は吹き替えで見る」という。

「字幕を追うのが疲れる」というので、
ぼくは少しばかり驚いたが、
すぐに「なるほどな」と思った。

シネコンの時代になって、
字幕と吹き替えの両方が楽しめる時代だ。

レンタルにしても、
DVDの時代になってからは、
両方が当たり前だ。

生の俳優の声をありがたがるより、
映像そのものをじっくり鑑賞するなら、
確かに字幕より吹き替えの方がいいかもしれない。

そういえば、
アメリカでは洋画は吹き替えが当然なのだと、
以前聞いたことがある。

もっともアメリカにおける洋画とは、
フランス映画や日本映画なわけで、
数は少ないだろうが。


その少し前、
同僚の女性が「THIS IS IT」を絶賛していた。

彼女は特別マイケルファンというわけではないそうだが、
50歳のマイケルのダンスや歌があまりに素晴らしく、
続けて2度観たそうだ。

そして感激の余り、
サントラCDまで買ってしまったという。

シネコンの時代に2度観たということは、
2倍の金を払ったということ。
さらにCDまで。

そこまでさせたマイケルは、
やはり凄いのだ。

ぼくはこの手の口コミに圧倒的に弱い。

是非観たいと思うが、
こればかりは吹き替えはなしだナ。

●明日にでも見に行きたいのだが、あいにくと今週は忙しい。

2009年11月12日木曜日

逸品

こんな商品があったらいいなと長年思っていて、
たまたま巡り合った時って、
頭の中に「!」が灯ったような感じで、
それはもう「感激」といっていいほどの喜びだ。














これは「TWINBIRD LEDベッドライト」といって、
枕元用の読書灯だ。

ベッドサイドボードに挟んで使う。


何でこれしきのものに感激などするのかと、
不思議に思われるかもしれないけど、
この商品でぼくが一番評価しているのは、
挟む板の幅にゆとりがある点だ。

ぼくのサイドボードは幅が5センチと厚めで、
これまで随分探したけど、
通常のクリップタイプのやつでは、
うまく挟むことができなかった。

ところがこの商品は最大5.5センチまでOK。

ありそうでなかった。

だから画期的なのだ。


付け加えると、
光源は流行りのLED。
熱くならないから夏場でも便利だ。
照らす方向はかなり自由に変えられ、
照度は2段階で1時間で消灯するタイマーもついている。

デザインもシンプルで、
必要かつ十分。

これで4000円もしないのだから、
まさに、
ぼくにとっては至れり尽くせりの逸品である。


かくして秋の夜長はさらに延長。。。

●市橋容疑者で世間は大騒ぎしている。外国人女性が殺され、容疑者が整形しながら逃亡と、ニュース性があることは認めるが、30男の犯罪で、何で親が引っ張り出されなきゃならんのか、さっぱりわからない。

2009年11月11日水曜日

印度

アメリカ一周旅行をしたのは、
もう四半世紀も前のことになる。

グレイハウンドという長距離バスを使った旅の途中、
ぼくより年上の、
それでも30歳にはまだなっていなかっただろう、
旅慣れた日本人男性と相席になった。

その人の名前も、
住所も聞かなかったのだけど、

「インドはいいよ」

という一言だけが印象に残り、
次に旅をするならインドだと決めたものの、
今だ実現していない。


「スラムドッグ$ミリオネア」(ダニー・ボイル監督)をDVDで見て、
もしあのころにインドに言っていたら、
確かにぼくの人生観は変わっただろうと思った。

アカデミー賞を獲ったということしか知らず、
内容については特に語ることはないけど、
とにかく子役の生き生きした演技、
そしてインドのスラム街の発するエネルギーは凄かった。

人間も所詮、
言葉を持った動物に過ぎないという、
当たり前のことに気づかされる。


「インフルエンザパンでミック」(河岡義裕、堀本研子著、講談社ブルーバックス)。

ウィルスが強い毒性を持つようになるのって、
何かウィルスに意志があるかのように錯覚するけど、
結局それも偶然性の問題で、
感染力が猛烈だから、
突然変異の起きる確率も飛躍的に高まるという、
単純に言えばそういうことなのだと納得する。


ある意味、
人間もウィルスも、
その存在を次代につないでいくいく、
そのことだけが存在理由のような気がしてくる。

人生の意味とか、
人間の存在価値とか、
そんな大それたことは、
あまり考えまい。


NHK「プロフェッショナル」にユニクロを再生させた男が出ていて、
いいことを言っていた。

成功しても失敗しても成長する

続けること。

つなぐこと。

そういうことしかぼくにはできないし、
個人としてはそれで十分なのだ。


●天満「じゃず家」セッション。我ながら笑えるぐらい進歩が遅いと思うのだけど、それでもあきらめず、
続ける。それしかできない●森重久弥死去。号外が出たと聞いて驚いた。享年96歳。余りに大往生で、往年の活躍ぶりをあまり知らないからかもしれない。

2009年11月10日火曜日

初志

このブログは毎日更新するという、
自分なりの絶対的取り決めがある。

500回を超えたということは、
当たり前のことだが、
500日欠かさず何かを考え、
一応文章にするという作業を繰り返してきたわけだ。


それなりに感心するのだけれど、
読み返してみてもほとんどが、
本や映画やテレビや新聞でその日印象に残ったことから、
連想を膨らませているに過ぎない。

一応最低限の落ちをつけようとか、
考えていた時期もあるけど、
今はあまり考え過ぎないようにしている。


それでも時に、
どーしようもなく何も思い浮かばない日もある。

昼間、
「このネタでOK」と思っていたはずが、
深夜PCの前に座った時点で頭が空っぽ、
昼間のことさえ思い出せないような時が。

それでも続けているのは、
「いい歌手になりたい」という初志を忘れないためであり、
歌とは全く関係ないことばかり書いていても、
このブログが続いている限り、
ぼくの努力も続いている。


ところで。


ヤンキース優勝の試合の録画を見返してみた。

MVPに選ばれた松井が、
7年間を振り返り、
「苦しかったけど辛くはなかった」
みたいなことをしゃべってた。

「苦しい」は体の問題。
「辛い」は気持ちの問題。

そんな風に捉えてみると、
度重なる故障に見舞われながらも、
松井の中で「ワールドシリーズ優勝」という、
初志は折れなかったということだろう。


年齢に関係なく、
この男をぼくは心底尊敬するなぁ。


●というわけで、実は今日が何も思い浮かばない日でした(笑)

2009年11月9日月曜日

飽和

巨人は7年ぶりに日本一になり、
松井秀喜はヤンキース移籍7年目で頂点に立った。

だからというわけではないが、
7年というのは、
生物のひとつの単位なのではないかと思うことがある。

セミの寿命は7年という説があるし、
ゲーテは7年周期で躁状態が訪れたという。

「ラッキー7」の語源は、
キリスト教に由来すると言う説や、
野球で7回に逆転することが多いなど、
さまざまだけど、
「7」という数字に何かしらの感情を抱く人は多いはずだ。


そうそう、
ドラマの主要な登場人物は7人までという定説がある。

8人以上になると、
途端にストーリーが把握しにくくなるんだそうだ。
「男女7人夏物語」
「7人の侍」。。。
例を挙げるまでもない。

電話番号など、
簡単に暗記できる数字も7桁までだという。

人間はとりあえず7で何かが飽和状態になるのかもしれない。
「7年目の浮気」っていうのも、
案外そのあたりに原因はあるのかもしれない。


ぼくの個人史を振り返っても、
7歳
14歳
21歳
28歳
35歳
42歳と、
ピタリとではないけど、
それぞれ転機となるような出来事が起きた。

先の考え方を当てはめるならば、
それはぼくの身に何かが降りかかったというよりは、
ぼく自身の中で何かが飽和して、
一時に吐き出された結果かもしれない。

そうすると次は50歳前後ということになるが、
今ぼくの中で着々と何かがたまっているのだろうか?

孔子を信用するなら、
天命を知るはずなのだが。


延命を願ってたりして(笑)

2009年11月8日日曜日

探訪

実家が震災で半壊し、
建て直さねばならなくなった時、
ぼくは親父に設計士に頼むようアドバイスしたのだが、
親父はさっさと大手住宅メーカーに依頼してしまった。

可もなく不可もなく。

これまた親父らしい選択だったのだと、
今では思うけど、
当時は歯がゆくて仕方なかった。


TV朝日系列の番組「渡辺篤史の建もの探訪」が、
放送20周年なのだそうだ。

以前はよく見ていたのだけど、
いつのころからか遠ざかっていた。

ここ数週間、
再び見るようになって、
色んな人がこだわりを持って建てた家を、
拝見させていただいている。


最近は窓の少ない家が多いようだ。
プライバシー重視というか、
外見はそっけないのに中は広いとか、
思った以上に明るいとか、
様々な工夫に感心する。


ぼくはといえば、
買ったマンションも売り払い、
今は親父の残した家に母と二人で住む。

PCを置いたデスクも親父のお下がりだ。

親父は一人で2度家を建てたが、
ぼくは恐らく1度も建てることはないだろう。


でも住めば都。

ここでの暮らしは悪くない。
家は結局のところ器でしかない。


要は住まい方だ。

個性的な家は、
探訪だけで我慢しよう。


●巨人日本一奪回。そして原監督は名将となった●このブログが500回を超えたことに今日気づいた。

2009年11月7日土曜日

語呂

「アラカン」と聞いて、
まず嵐勘十郎が浮かぶ人は相当の御年輩。

ひょっとすると、
そう思う人がまさに「アラカン」かもしれない。


「アラサー」

「アラフォー」

なかなか上手いこと言うと思うのだけど、
50歳前後を指すこの手の呼び名がない。

「アラフィフ」じゃ確かに語呂が悪い。


「シー・オブ・ラブ」(ハロルド・ベッカー監督、1989年)をDVDで。
人に薦められたのだけど、
主演のアル・パチーノがいい。

彼は1940年生まれだから、
この映画のころは50歳前だということになる。


まったくの偶然なのだが、
先日の「恐怖のメロディー」と並んで、
この映画も一種のストーカーもので怖かった。

彼は離婚歴ありの中年デカ役。
酒をあおって別れた女房に電話してしまう情けない男。

目に浮かようぶでしょ(笑)


アル・パチーノといえば「ゴッド・ファーザー」シリーズ。

1970年代、
彼はこのシリーズで一躍世界的スターになったのだけど、
略歴を見ると、
その後しばらく映画では役柄に恵まれず、
主に舞台で活躍していたとか。

今回の「シー・オブ・ラブ」は、
映画では久々のヒット作だったらしい。


身長167センチ。

高いとは思ってなかったけど、
ぼくより低いとは少々驚き。


老境の域に達してもなお、
男の悲哀フェロモン全開である。


●やぁペンギンさん久し振りって感じの元町はとっても爽やかいい天気だった。

2009年11月6日金曜日

安堵










この誇らしげな松井秀の表情はどうだろう。

Wシリーズ第6戦、
DHで出場した彼は2ランホームランを含む6打点をたたき出し、
ヤンキースを9年ぶりの優勝に導くとともに、
日本人で初めてMVPに輝いた。


苦節何年という言葉があるが、
巨人からヤンキースに移籍して以来の7年は、
彼にとってまさに苦節の日々だったと思う。

甲子園での5打席連続敬遠に始まって、
ミスターがクジを引き当て巨人入り。
順風満帆、
不動の4番に成長しての大リーグ行きは、
本人にとって夢への一歩であると同時に、
日本球界に背を向けることに対して断腸の思いで一杯だったはずだ。

だから彼はWBCも辞退し、
ただひたすらWシリーズ優勝だけにかけてきたのだと思う。

それだけが、
日本の野球ファンに対して、
彼が出来る感謝の表し方だったはずだ。


そしてヤンキースは、
その最短距離にあるはずのチームだった。

なのに皮肉なことに彼が入団して以来、
チームは優勝を逃し続ける。

その間、
彼は選手生命の終わりともいえる手首の骨折があり、
今や満身創痍で守備にもつかせてもらえず、
DHとして黙々とバットを振り続けた。


契約最終年の今年、
チームはやっとの思いで2度目のWシリーズ切符を手に入れ、
そしてその大舞台で松井は、
これ以上ないという活躍で悲願を達成した。

イチローの偉業には「スゲエ」と天才ぶりに驚かされるが、
今回の松井は「よかった」としみじみ安堵させられるものがある。


そしてこの言葉を再び思いだすのだ。

夢をもつかぎり 努力するかぎり 夢は遠くない

まさに松井のためにあるような言葉だし、
こういう言葉や松井の姿が日本人にこだまして、
また新たな夢が紡ぎだされるに違いない。


ありがとう松井。

君は日本人の誇りだ。


●これで晴れて日本球界に復帰して、まさか阪神に入ったりしないだろうな‼●巨人は終盤の奇跡的追い上げでついに王手●いろんな意味で今日は良いことが続いた。

2009年11月5日木曜日

読書

インフルエンザ予防に効果的なのは、
うがいよりも圧倒的に手洗いなのだそうだ。

マスクにしても、
風邪にかかっている人がするのは有効だけど、
かかってない人は人ゴミではまぁ役立つかな、
というくらいなのだそうだ。

先日ちらっと見たNHKの「爆笑学問」で、
東大医科学研の河岡義裕教授が言ってたから、
たぶんそうなのだろう。


となるとついつい出不精になる日々。


「地図にない道」(須賀敦子著、新潮文庫)をパラパラめくる。

この人の名前は福岡伸一氏の本で初めて知って、
闇雲にアマゾンで何冊か注文したものの、
全然読んでなかった。

戦後間もなくヨーロッパに留学、
イタリア人と結婚した芦屋のお嬢様の随筆だ。

書き始めたのが60歳ごろからと、
「アラカン」のはしりのような方で、
文章は一言で「端正」。

穢れた世界を描いても、
上品に感じられるのは生まれのせい?
と思うのは先入観だろうか。

でも行間に陰鬱な精神世界が漂うのを感じるのは、
若くして夫と死に別れ、
自身も70歳を前にガンでなくなった、
決して幸せとはいえない人生を知っているが故の、
深読みだろうか?


立花隆氏は10万円。

佐藤優氏は20万円。


ひと月にかける本の購入代だそうだ。

ぼくは読書を趣味だとは認めないけど、
彼らは空気を吸うように本を読んでいる。

先日も紹介した、
「ぼくらの頭脳の鍛え方」では、
必読書として計400冊の本が紹介されているのだけど、
読んだことのある本は「バカの壁」ぐらいだ。


ぼくと彼らとの間にあるのが、
「バカの壁」だナ(泣)

●ということで、先日の誓いはあっさり破り、アマゾンで本を注文してしまった●日本シリーズ2勝2敗同士に。これでハムは札幌に戻れることになった。日本シリーズの過去の戦績をみると、○●○●ときたチームは必ず次も負けている。

2009年11月4日水曜日

興亡

細川政権の誕生から自民党の政権奪還、
そして民主党政権の誕生までの16年間を、
関係者の証言で追ったNスペ「永田町・権力の興亡①~③」が、
滅茶苦茶面白い。

まだ②の途中までを録画で見ただけなのだけど、
掛け値なしの面白さだ。

NHKの底力、
NHKでなければ作れない番組だ。


主役はもちろん小沢一郎。

この人は田中角栄の「弟子」、
つまり自民党のDNAを最も強く受け継いだはずなのだけど、
なぜか自民を飛び出し、
自由党やら新進党やら、
新党を作っては壊すことを繰り返してきた。

でもその根っこにあったのは、
55年体制の打破、
つまり政権交代可能な政治システムへの変革であったことに、
今更ながら気付かされる。


与野党含めた慣れ合いの構図を打破しようという、
その道のりは平たんではなく、
本人も認めているように、
時には失敗もあった。

そのあたり、
将棋の対局に似ている。
第三者の目には悪手に映っても、
渦中にいる人間には、
その時々「それしかない」と判断しているわけだ。

時に明らかな悪手を放ちながらも、
小沢氏は16年がかりで宿願を果たした。


しかしながら以前にも指摘したように、
民主党政権が誕生したことは、
政権交代の半分が実現したに過ぎない。

本当に政権交代可能なシステムが日本に根付くには、
民主党の成長とともに自民党が体質改善し、
健全なる対抗政党にならなければならない。

残念ながら、
それは小沢氏の手には余る仕事だ。


4年かせいぜい8年に一度、
政権交代する国になるには、
まだまだ長い年月がかかる。

●細川護煕や武村正義に野中広務。。。なかなか懐かしい顔ぶれじゃないか。早朝のラジオ体操をする村山富市など、どこにでもいる爺さんっぽくて笑えた●いきなりわが家にファンヒーター復活。

2009年11月3日火曜日

五感

五感を失った人からは意識もなくなるはず。

そういう文を書いた覚えがあって、
ブログを「五感」で検索してみたのだけど、
どうにも見当たらない。


というのも、
「ぼくらの頭脳の鍛え方」(立花隆、佐藤優著、文春新書)に、
こんな立花隆の記述(正確には対談なので言葉)があったからだ。


人間から視覚を奪い、聴覚を奪い、あらゆる皮膚感覚を奪っていくと、自分と自分を取りまく世界とのつながりが失われていき、自分がある客観世界に属した存在であるという一切の感覚が失われ、世界が崩壊します。それとともに自己の存在感が失われ、自己が失われ、幻覚世界の中に自己が溶けだしていくような感覚におそわれます。それと同時に、いつのまにか意識が失われ、眠りに入ってしまいます。


どうしてそんなことが分かるのかというと、
認知科学に感覚遮断実験というのがちゃんとあるそうだ。

立花氏はこの実験をもって、
カントのいう「純粋理性」は存在しないと言う。


想像でしかないけど、
たぶんそうだと思う。

仮に脳だけを取り出して保存する方法があったとしても、
その人の自我は保存できないだろう。

同様に、
仮にぼくの脳を誰かの体に移植したとして、
その体は「ぼく」だろうか。

SFに出てきそうな話だけど、
きっとそれは「ぼく」ではない。


そういうことを突きつめると、
現在ある「ぼく」という意識の根源みたいなものが、
いかに薄弱なものかがわかる。

「ぼく」の同一性は、
生物としての体の連続性によってのみ、
担保されているわけだ。


●塩分濃度の高い水に浮かんで、音や光を遮断する「アイソレーションタンク」というのが、その実験に近い状況を与えてくれるらしい●クリント・イーストウッド初監督作品「恐怖のメロディ」をDVDで。非常に面白いというか、怖かった●それにしても寒い。みなさん体調に気をつけましょうネ。

2009年11月2日月曜日

納骨

親父の納骨をした。

母の心配をよそに午前中は青空が見え、
気温も暖かかった。

伊丹の寺にある墓石は、
亡くなった親父が建てたもので、
大きからず小さからず。

いかにも親父らしい。

震災の時に倒れて、
2か所欠けた部分は今もそのままだ。


骨壺の中の親父の骨は、
「山盛り」と表現するのがピッタリなほど一杯で、
それを麻袋に移し替えたのだが、
用意した袋は大きいサイズだったのに、
それでもパンパン状態になってしまった。

花や線香を供える部分をゴリゴリ動かすと、
納骨するための穴があらわれて、
そこから入れるのだが、
袋に対して穴が小さすぎて、
無理やり押し込むように入れた。


その袋も、
中の骨も、
いずれ雨水が溶かし、
きれいさっぱり土に還るのだという。

そういえば、
震災の時亡くなった祖母の骨は、
影も形もなくなっていた。


●天気予報通り、午後には空は一変、嵐のような雨が降った●日本シリーズ、ダルビッシュ快投。故障していてなお強力G打線を2点に抑えたこの男は、間違いなく日本のエースだ●「翼のない天使」(M・ナイト・シャマラン監督、1998年)をDVDで。

2009年11月1日日曜日

散骨

藤沢秀行名誉棋聖の遺骨が先日、
故人の生前の希望通り周防灘に散骨された。

「磊磊(らいらい)」や「一期一会」などの文字が記された紙に包み、
弟子らの手で海に投げ入れられたという。

「無明居士」と自ら戒名をつけた藤沢さんらしいと思った。


その記事に触発されて、
間もなく3回忌を迎える父の納骨にあたり、
その一部を手元に残すことにした。

父も生前、
「骨はゴールデンゲートブリッジからまいてくれ」と言っていたのを、
思い出したからだ。

この橋があるサンフランシスコは、
亡き父が海外赴任していた思い出の場所なのだ。


いつの日か必ず、
この手で希望をかなえてあげようと思う。

それにしても、
「巨人、大鵬、卵焼き」的な生き方をしてきた父が、
そういう考えを持っていたことに、
いまでも意外感が拭えない。

思いのほかロマンチストだったのだ。


実はぼくも死んだら、
骨はどこかの海にばらまいて欲しいと思っている。

やっぱり父の子なのだと、
改めて思う。

●日本シリーズ巨人先勝。もし連勝すれば、データ的にシリーズを制する確率は約8割だ。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...