2009年12月31日木曜日

嗜好

会社で後輩に、
「アバター見てんけど」と話しかけると、
「わたしも昨日見たんです」と返事。

「あの眼鏡がちょっと鬱陶しいなぁ」と言ったら、
「スリーディーで見たんですか」と言われた。


「スリーディーでって、ほんなら君は」

「じゃないやつです」

「!」


まぁ人それぞれ好みはありますが、
あの映画を2Dで見ようと思う人がいるとは。

意外過ぎて言葉が続かなかった。


今日一日かけて年賀状を作って、
ようやく今、
プリンターが1年ぶりに働いている。

元日につかない人はごめんなさい。

どの写真にしようか、
文言はどうしようか。

あれこれ考えるだけで一日の大半を費やし、
実際に作業に取り掛かったのは、
すでに日付が変わってからだった。


いくら考えても、
下手の考え。
切羽詰まらぬと動かぬ癖は変わりそうにない。

気に入ってもらえるか否かは、
その人の好み次第だ。

とりあえず自分で納得ができればよしとしよう。


というわけで本年最後のブログと相成りました。

来年も、
いや明日からも、
毎日更新でいきますよ。

よろしくお付き合いください。

2009年12月30日水曜日

極道

会社近くのドトールに入った。

ここんとこご無沙汰だった。

何も考えず奥の席に座ると、
隣に陣取ったおっさん4人の会話が耳に入ってきた。

「組長」
「親分」

マジかよ。

生ゴクセンじゃんか。


開いた本の内容は頭に入らず、
おっさんたちの会話が気になって仕方ない。

ぼくの右手のすぐ先に、
おっさんの黒いセカンドポーチがあった。

中に拳銃入ってたら。。。

勝手な妄想が頭を巡る。


でも、
話を聞いていると、
どうやら本物のヤクザというより、
テキヤ関係の様子。


年末年始の店の縄張りについてもめている、
いや、
話しあっているようだ。

あーだこーだ。

声はデカイし、
携帯は鳴るし、
賑やかなこと。


結局、
どこかの組長さんに一任ということになったようで、
全員慌ただしく店を出て行った。

テーブルの上に、
コップや皿が置きっぱなしにして。


神戸の山口組総本部が、
恒例のもちつき大会を開き、
やってきた近所の子どもに「お年玉」を配ったそうだ。

一律かどうかわからないけど、
中には3万円入っている子もいたらしい。


業界の景気はよいらしい。

来年はぼくも参加しよう(笑)


●プリンターのインクを買った。さぁ年賀状作らなきゃ(泣)

2009年12月29日火曜日

分身

「AVATAR(アバター)」(ジェームズ・キャメロン監督)を観た。

話題の3D映画ということだからか、
「タイタニック」から12年、
キャメロン監督渾身の一作ということだからか、
西宮北口の映画館は、
月曜日の午後だけど7割ぐらの入り。


3Dについては、
テーマパークなどで体験済みの人がほとんどだろうから、
特に驚きの声などはなかった。

むしろ、
目の前に物が飛び出してくるような類を期待していた人には、
肩すかしだったかもしれない。

立体効果はコケオドシではなく、
主に「奥行き感」を出すために使われていた。
途中何回か眼鏡をはずしてみて、
はっと3Dであることに気付く。

それぐらいの感じ。

「観るのではない。そこにいるのだ」

という宣伝効果は明らかに誇大だけど、
それだけ自然なレベルに昇華されているということだ。


映画の内容は、
宮崎駿とマトリックスの世界を一緒にしたような感じ?

タイタニック的感動とは全く異なるけど、
162分という長尺を飽きずに観ることができた。
それは3Dというだけでなく、
脚本が優れているからだろう。


最大の難点は、
やはり眼鏡をかけなければならぬことだろう。
ちょうどサングラスをして観ているようで、
最後まで画面が暗いと感じた。

それさえ解消されれば文句なし。
特に先日観た「2012」なんかは、
すごいことになりそうなんだけど。


さらに技術が洗練され、
眼鏡なしでOKになれば一気に普及すると思う。

「どっちが現実かわからない」

映画のセリフそのままの、
疑似世界が至る所に出現するわけだ。

●5時間ぐらいになってもいいから、完全版が観たいと思った●「タイタニック」で印象的だったセリーヌ・ディオンの主題歌。ちなみに「アバター」ではレオナ・ルイスだった(でも、エンドロールで一度流れただけ)●ちなみに料金は2100円と通常より300円高い(眼鏡代?)●さらにちなみに、前寄りの席の方がいい(3Dが効果的)とあとで知った。

2009年12月28日月曜日

選曲

バンクーバー五輪切符をかけた、
全日本フィギュア女子フリー。

既に決まっている安藤美姫を除く2枠を巡る争い。

といっても事実上「当確」の浅田真央を除いた、
中野友加里と鈴木明子の一騎打ちだった訳だけど、
結果はご承知の通り鈴木が射止めた。

僅差ではあったけど、
鈴木の演技で特に思ったのは、
この人のセンスのよさである。

音楽をかけながらスケートを滑るということを、
一番よく体現しているのは、
安藤や浅田より彼女だと思う。


にしても選曲って大事だな。

思い出されるのは4年前のトリノ五輪。

荒川静香が滑った、
「誰も寝てはならぬ」は抜群だった。

曲そのものが、
聞いているだけで心地よくなる。

「五輪ぽい」格調の高さもある。

これだけ年月がたっても、
あの曲が流れるとイナバウワーを思い出すのだから、
相当ハマってたんだ。


それに引き換え、
浅田の「鐘」という曲は、
ラフマニノフで格調は高いのだけど、
何か聞いていると悲壮感というか、
暗~い気分になってくるのはぼくだけだろうか?

いくら良い演技をされても、
見ている方は気分が沈んでいく。

あの曲をねじ伏せ、
喝采に変える演技は、
相当に至難の業ではなかろうか。

今日はさすがに真央ちゃん、
真剣だったけど。

「今年一番の滑り」があれでは、
「金」はやっぱり金か。

●中野はまたしても涙。可哀そうだけど、たぶん順当●新地「JAZZ ON TOP」で今年の歌いおさめ。ダメだったんだけど、ダメなりに納得した●明日は「アバター」を見てくるのでその報告を!

2009年12月27日日曜日

抵抗

年齢を重ねるにつれ、
一年がどんどん短く感じられる。

30歳を過ぎたころから顕著になり、
40歳を超えた今となっては、
一週間ぐらいはあっという間。

ちょっと油断してると月が変わっていて、
一息ついたころには年末になっている。


五輪が4年に一度なんて、
子どものころは途方もない未来に思えたのに、
最近では、
「ついこのあいだやったばかりなのに」
ってな具合だ。

楽しい時間は早く過ぎるという言い方はあるけど、
別に30歳を過ぎてから、
人生が楽しくなっているわけではない。

この調子だと、
瞬く間に50歳を迎え、
そうなると60歳や70歳ごろには、
一年が今のひと月ぐらい感じになるのではなかろうか。

もちろん生きていたらの話。


昨日紹介した「日本辺境論」の中に、
ちょうどこの不思議について触れた部分があった。

 時間の長さの感覚は、生物がそれまで過ごしてきた時間の総量を分母として考量されます。5歳の子どもにとっては1年は人生の20%の時間です。50歳の大人にとっては2%に過ぎません。だから、子どもにとっての主観的時間はゆっくり流れます。1日がひどく長い。自然現象もゆっくり推移する。子どもたちは雲の流れや、海の波や、蟻の群れや、野草の花弁をじっと見つめていることがあります。あれは対象が意識野一杯に広がってしまっているのです。大人がちらりと一瞥して、そのまま記号的に処理して済ませてしまえる現象が子どもたちにとっては長い物語として経験されている。

これはⅢ「機」の思想に出てくる一文。

なぁるほど。

こんな風に考えたことはなかった。

成長するにつれ、
時の物差しの目盛が変わるわけだ。


忙しいからとか、
集中力がなくなったからとか、
ということではなく、
生物的に避けられないんだ。

安心していいやら、
焦るべきやら。


とりあえず、
これ以上一年が早くなるのは嫌なので、
毎晩寝る時に死んで、
起きたら生まれたと思うようにしよう。


●たはしろ的アンチエイジング(笑)●全日本フィギュア開催中。ぼくは断然鈴木明子を応援する●BSをつけたら、ラルク・アン・シエルがパリでライブをやっていた。日本人より圧倒的に多い欧州人の観客が、すごい熱狂しているのに驚いた●住吉のパフェも今年は食べ納め。

2009年12月26日土曜日

相応

以前誰だったか忘れたけど、
世界地図を90度傾けると、
日本はちょうど、
パチンコ台の玉受けみたいな位置にあると言っていた。

世界中で生まれた文化や文明が、
コロコロと各国を伝わり落ちて、
最後に日本に吸い込まれるのだと。

あはは。

確かにそう見える。

日本はつまり、
世界のおこぼれの受け皿というわけだ。

まぁ、
食いっぱぐれはないけど、
一番美味しいとこにもありつけない。


広島・長崎の五輪共催案が、
JOCによって潰された。

曰く、
五輪憲章には1都市開催と定められている。
仮に日本が推薦してもIOCが絶対認めない。
だから駄目だと。

こういう発想を聞いただけで、
体の力が抜けるようだ。

世界で唯一の被爆都市で平和の祭典を。

これほどの大義があるのだから、
憲章を変えさせるぐらいの勢いで勝負すればいいのにと、
ぼくなどは思うのだが。


「日本辺境論」(内田樹著、新潮社新書)を読んでいる。

「和をもって尊しとなす」。

なるほどこの国は、
その成り立ちからして、
辺りをきょろきょろ見渡して、
空気を読んできたのだなぁ。

誰かにルールを決めてもらわないと、
まともに歩くことさえできない、

たまに自分で決めると、
この間の戦争みたいなことになってしまう。

他国のおこぼれで生きている国。
親のおこぼれで総理になれる国。


おこぼれ国家ならばそれらしく、
今後も国際社会で振る舞えばいいし、
東京でもう一度五輪を開きたいなどと大それたことも、
金輪際言わないことだ。

誰かが「いいよ」と言ってくれるまでは。

それが分相応ということになる。


残念ながらぼくもそういう国に生まれ育ち、
たぶん根っこはそういう分際だ。

なのに分不相応なことを願ってしまう。

それがいけないこととは思わぬが。

●と卑下していたら、広島は単独招致を検討するらしい。いいぞ頑張れ。その意気だ。少し力が戻った。

2009年12月25日金曜日

聖夜

夕方、
住吉のジャンカラに行った。

受付には先客が一人。

背中しか見えないけど、
間違いなく若い男の子で、
よれたジャージにパーカー姿。
手にコンビニの袋だけを持っている。


「30分」

彼はそう言って個室へ向かった。


何か怪し気。

まさか硫化水素を発生させたりしないだろうなぁ、
などとあらぬ想像をしながら後に続く。


部屋は彼の真向かいだった。

すりガラス越しに、
彼がストレッチしているのが分かった。


間もなく彼の歌声が聞こえてきた。

知らない歌だったけど、
たぶんビジュアル系っぽい。
たぶん下手ではない。

感情を込めて熱唱している。
身振りも入っているかもしれない。

きっと今夜、
彼女の前でキメるのだろう。


硫化水素なんて、
馬鹿な妄想だった。

言うまでもなく、
ぼくの方がよっぽど怪しげだ。


帰宅したぼくは、
71歳の母と夕食を食べ、
人の背丈ほどあるツリーを見ながらケーキを食べた。

そして今年も明石家サンタを一人で見た。


みんな不幸を抱えながら、
笑い飛ばして明日を迎える。

そしてぼくはいつかの聖夜に、
必ず歌うと誓う。


●ファンレターを頂戴した。たはしろ初の快挙。2009Xmas。ぼくは十分幸せ者だと思う。ありがとう。

2009年12月24日木曜日

偉大

最近の歌事情に疎いのは、
ラジオを聴かなくなったことが大きい。

車に乗っていたころ、
特に仕事で車を使っていたころは、
FM802をかけっぱなしにしてれば、
流行り歌の情報は大体チェックできた。


さっき帰宅してラジオをつけて、
誰かわからないその歌に耳が反応したのは、
魅力的な歌詞だったか、
独特な節回しだったかわからないけど、
女性ボーカルにもかかわらず、
RCサクセションの歌だとピンと来た。

忌野清志郎はやはり偉大なソングライターだったのだと、
再認識させられた次第。


君が僕を知ってる

今までして来た悪い事だけで
僕が明日有名になっても
どうって事ないぜ
まるで気にしない
君が僕を知ってる

誰かが僕の邪魔をしても
きっと君はいい事思いつく
何でもないことで
僕を笑わせる
君が僕を知ってる

何から何まで君がわかっていてくれる
僕の事すべてわかっていてくれる
離れ離れになんかなれないさ

コーヒーを僕に入れておくれよ
二人のこの部屋の中で
僕らはここに居る
灯りを暗くして
君が僕を知ってる

何から何まで君がわかっていてくれる
僕のことすべてわかっていてくれる
上から下まで全部わかっていてくれる


イブの夜のぼくへの贈り物。

そんな「君」がいてくれたら、
もっと最高だったけど。

●たぶんぼくが聞いたのはLeyonaという歌手のものだったと思う。少しユーミンが入った声。素敵でした●本年最後のご挨拶にペンギンさんを訪ねよう。

2009年12月23日水曜日

試練

神は乗り越えられる試練しか与えない

20日最終話だった毎日放送のドラマ「JINー仁ー」に出てくる台詞だ。

実のところ、
ぼくはその最終回しか見ていないのだけど、
この台詞はどうやら毎回出てくる、
いわばドラマのテーマだったようだ。

最終話だけでも数回出てきたと思う。


いい言葉っぽいけど、
本当にそうだろうか?

出典はどうやら聖書らしい。


コリント人への第一の手紙 10章13節 
 
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

 

なるほどね。

逃げ道もあるんだ。

神様は優しい。


それはさておき、
ドラマはなかなか面白かった。

最終回だけのくせに偉そうだけど。

きっと始めから見ていた人は、
涙涙のエンディングだったんではなかろうか。


内野聖陽は別格として、
若手俳優がとてもよく頑張っていた。
特に中谷美紀は「結構でありんす」。


主題歌はMISIAの「逢いたくていま」。

初めて出会った日のこと 覚えてますか
過ぎ行く日の思い出を 忘れずにいて
あなたが見つめた全てを 感じていたくて
空を見上げた 今はそこで 私を見守っているの? 教えて…



いやはや。
いい曲過ぎ(笑)

●曲の出だしが安全地帯の「Friend」に似ているんだよね。古すぎ?●煙草100円値上げ。民主まあまあ。買いだめすっか。

2009年12月22日火曜日

保証

お気に入りのイヤホンが断線してしまった。

プラグの付け根部分の被膜がはがれ、
金属線が剥き出しになっている。

右の音が出たり出なかったり。

そんなに乱暴に扱ったつもりはなかったのになぁ。


仕方ないので、
買ったヨドバシカメラへ行くことにした。

あそこでくれる保証書代わりの領収書なんて、
ぼくは普通、
わざわざ保管しないのだけど、
探してみたら運よく出てきた。

これで無料で修理してもらえると思ったら、
修理担当の店員の返事は「メーカーの判断次第です」。

基本的に断線を修理することは出来ないのだそうだ。

いや、
正確には出来るけど、
音質の保証が出来ないのでやらないのだそうだ。

じゃあ新品に交換してくれるのかというと、
必ずしもそういう訳ではないらしい。

メーカーが「こりゃ仕方ない」となれば、
新品と交換してくれるし、
ぼくの過失だと判断されれば、
「修理不能」ということになるという。

つまり買い替えろと。


決して安くはない買い物。
しかも買ったのは今年の夏。

それで相手に下駄を預けろなんて、
釈然としない話だ。
何のための「保証書」なんだろう。

これが国内メーカーだったら断固談判するのだけど、
海外だけにお手上げ。


いずれにせよ、
越年する話になってしまった。


●にしてもヨドバシはいつもながら凄い繁盛ぶり。それに比べ地下2階の一番奥にある修理コーナーは、売り場の喧騒とは正反対にひっそりしていた。壊れたらお終いという人が多いのかな?

2009年12月21日月曜日

手柄

松方弘樹が325キロのマグロを釣ったという話は、
ニュースにもなったほどだから本当だろうけど、
一体どんな様子だったのか知りたくて、
今夜のテレビ大阪「巨大マグロ伝説2009」を見た。


釣るポイントを決めるのはベテラン漁師の「大門さん」。
マグロが餌に食いついたあとも、
電動リールがテグスを切らないように力を調節しながら巻き上げ。

確かに松方が竿を握ってはいたけど、
あれで本人が釣ったことになるのかしらん?
松方のやったことは、
「浮き」代わりの風船を膨らませたぐらいじゃないか。


99%「大門さん」の手柄でしょ。


写真を撮るのに、
カメラは自前だけど、
撮影場所から構図から絞りから、
何から何までプロにおぜん立てしてもらって、
最後にシャッターだけ押して、
出来た写真が「自分の作品だ」と主張してるようなものだ。

ていいながら、
325キロのマグロそのものはド迫力。
「大門さん」が「怪獣」と呼んだのもうなずける。

あそこまで成長したのに、
最後に松方の手柄にされるとは。

迂闊だよなぁ。


●同じ時間帯にやっていたM-1は録画で飛ばし視聴。ぼくとしてはV2を狙ったノンスタイルが抜群に面白かった。南海キャンディーズとかハリセンボンとかは素人名人会にしか見えなかった●さらに同じ時間帯に有線大賞もやっていた。氷川きよしが大賞だったが、もはや何の感動もない。

2009年12月20日日曜日

滅私

いやぁメッシ。

すごいなぁメッシ。


今しがたまで、
サッカーのクラブW杯決勝戦を見ていた。

何のことかわからない人もいると思うけど、
世界中のサッカーのクラブチームの№1を決める大会で、
現在世界№1の選手と言われるメッシが、
決勝ゴールを決めたということ。

つまり、
WBCでのイチローみたいな感じ。


こういう場面を見るたびに、
やっぱりスターは何かを持っているみたいに人は言う。

そう言ってしまえば確かに簡単だし、
実際、
人智の及ばぬ何かがあるのかもしれない。

今の決勝戦でもメッシは、
120分間の戦いのほとんどの場面で目立ってなかった。

いるのかいないのかわからないぐらいだった。

それでも最後の最後、
ほんの一瞬だけ、
誰よりも早く、
誰よりも激しく走り、
ゴール前に上がった球に飛び込むようにして、
胸で押し込んでしまった。

その一瞬を逃さないという点が、
誰にも真似のできない、
唯一無二のスターであるということなのだろう。


こう言ってしまうと、
やっぱり彼らは特別な人ということになるが、
そこから凡人が学べることは何だろう。

メッシとて神ではない。
今の試合でも、
何度も「しまった」と思う機会はあったはずだ。

でも最後まで己を信じて諦めず、
自分の能力を爆発させるタイミングを、
ずっと待ち続けたのだと思う。

イチローだって、
最後のヒット以外はずっと苦しみ続けたじゃないか。

身体能力以外で真似ができるとすれば、
その忍耐力ということになる。


凡人のぼくは、
肝心のゴールの瞬間、
テレビの前を離れ、
煙草を吸っていた。

あぁこの忍耐力のなさよ!


●一応画面は見ていたけど、だいぶ遠目だった●今宵の冷え込みは特に激しく、住吉のホームは本当に寒かった。

2009年12月19日土曜日

休刊

学生時代決まって読んでいた雑誌は、
漫画を除けば「朝日ジャーナル」だった。

「硬派」
「左寄り」

様々な捉え方があったけど、
本当に世の中への目を開かしてくれる雑誌だった。


「Forsight」は久々の定期購読雑誌で、
今度は世界に目を開かせてくれると期待していた矢先だったから、
休刊は本当にショックだ。


同誌の創刊は1990年3月。

何とぼくが社会人になった翌年のことだ。
新潮社の文庫本なんかに、
宣伝のチラシが入っていることが多かったので、
ずっと気になっていた。

20年たってようやく踏み切ったところ、
いきなり休刊だもの相当に参った。


「Forsight休刊のお知らせ」というメールが来たのは16日のこと。

その中で理由が3点上げられていた。

(1)厳しい出版状況に直面する中で、全社的な事業の再編、特に雑誌部門の見直しが避けられなくなったこと
(2)二十年間の健闘はあったものの、今後の収支改善の見通しが立たないこと
(3)インターネットの普及で、国際政治経済情報を扱う月刊誌の役割が大きく変化したこと



新聞報道によると、
発行部数は2万2000部余りという。
一冊1000円だから、
2200万円で一号作られている計算になる。

それが採算に合うレベルなのかどうかは、
ぼくにはちっとも分からないけど、
恐らく赤字だったのだろう。

20年まで持ちこたえたのは、
大手出版社だということと、
それなりの矜持があったものと思う。


にしても、
こうした良識ある雑誌がなくなるのは、
なにか取り返しのつかないことではないか。

例えば岩波書店の「世界」が休刊するとしたらどうだろう。
朝日新聞社の「朝日カメラ」が季刊になるとしたらどうだろう。


優れた雑誌は言うまでもなく「文化」だ。
公的資金を投入しても、
とは極論にしても、
何か方策はないものだろうか。

何事にも潮時というものがあって、
紙媒体も本格的に退潮の時が来たのだなと実感させられる。


●両誌に共通するのは広告が少ないという点だ。その視点から見ると、次に読むべき雑誌は「週刊金曜日」しかない。

2009年12月18日金曜日

醜聞

品行方正

完全無欠


そんなタイガー・ウッズの醜聞。

一連の騒動はそれだけで十分に意外だが、
それ以上に、
これまで一切表に出てこなかった女性スキャンダルが、
なぜ今になって堰を切ったかのように報じられるのか。

むしろその点に驚く。


そもそもアメリカ人は有名人の下ネタに意外に寛大だ。

最たるものはクリントン元大統領だろう。
現職大統領とホワイトハウス実習生の不倫。

日本の総理ならそれだけで一発退場だろうが、
クリントンは乗り切ってしまった。

ケネディ元大統領もしかり。

どうやら彼の国には、
人間的欠点と職業的能力を、
はっきり分けて考える習慣があるようだ。


もっとも、
その寛大さも本人が誤りを認め、
悔い改めることが条件のようにも思われる。

その意味でも、
タイガーは出来るだけ早く自分でマスコミに出て、
正直ありのままを告白することが、
復帰への一番の近道といえそうだ。


そんな最中、
マイケル・ジャクソンの少年虐待疑惑のテレビ番組を録画で見た。

彼は一貫して否定したものの、
その一方で25億円も払って和解したものだから、
ずーっと死ぬまで引きずってしまった。


番組はマイケル側に立っているので、
いかにマイケルが「はめられたか」に焦点が当たっていた。

それにしては、
肝心の性的虐待を受けた少年(今は青年)に、
なぜ取材しないのだろうと思った。


それはともかく、
ウッズに対するのと同じぐらいに、
不倫を報じられたら意外な日本人なら誰だろうと、
同僚に尋ねたら、
しばらく悩んで「松岡修造」と返答された。

日本、
スケールちっせー。


●先生でもないのに、なぜか忙しい終末を迎える。ということで、関係各位よろしく。

2009年12月17日木曜日

移籍

松井秀喜のエンゼルス移籍が正式決定した。

日本球界への復帰を秘かに望んでいた、
というより大いにありうると思っていただけに、
ちょっと寂しい。

松井自身は守備もしたいと考えているようだけど、
両膝に爆弾を抱えている以上、
球団はやはり彼をDHとして使う可能性が高い。


巨人からヤンキースに移籍して、
7年がかりで悲願のワールドチャンピオンになり、
しかもMVPにまで選ばれて、
彼はこれ以上メジャーで何を求めようとしているのだろう。

イチローと違い、
松井には今更目指せるような記録はない。

最高の結果を手に凱旋し、
残り数年(であろう)野球人生を、
日本球界への恩返しに使おうという気はなかったのだろうか。

そういうのが松井らしいというのは、
ぼくの勝手な思い込みだろうか。


エンゼルスでの年俸は、
ヤンキース時代の半額の5億7000万円とか。

それぐらいなら日本の球団に払えない額ではない。

巨人とはいわない。
たとえ阪神でも、
いやパ・リーグでも、
何とかならなかったのかなぁ。

返す返す惜しい(泣)

●イチローとの対決は楽しみではあるけど●Forsightが来年4月で休刊になるんだって!いやはや、間の悪い男だよ、ぼくは。。。

2009年12月16日水曜日

伴走

天満・じゃず家で長らくセッションアシストを務めていた、
ピアニストの押領寺さんが今日で最後だった。

「アシスト」であるからには、
ボーカルからインスト、
古今問わず色んな曲を知っているのは当然ながら、
その他様々な苦労がある。

誰でも自由に参加できるのであるから、
びっくりするほど上手い人もいれば、
その逆もある。

ぼくを含め、
不正確な楽譜を持ってくる人もいれば、
自分の好き勝手に「アレンジ」してしまう人もいる。

日によってドラマーがやけに多い日や、
ボーカルが5人もいる日もある。
チェロやタップにピアニカ、
楽器だって様々だ。

そうした様々な状況を把握し、
なおかつ参加者に気分よく帰ってもらえるよう、
組み合わせや順番を考えるわけだ。


最初にじゃず家に行ったのはおととしの12月。
親父が死んでまもなくのことだった。

その時から、
月に何回か彼女の伴奏で歌を歌い、
たまに彼女が出演しているライブに行き、
歌わせてもらったこともあった。

彼女は大きく成長し、
これからは伴奏ではない仕事を増やすのだろう。

2年間、
ぼくの挑戦に伴走してくれたことに勝手に感謝しながら、
いつもの3割増ぐらいの勢いで歌った。

●今日初めて女性のジャズギタリストに出会った。

2009年12月15日火曜日

最悪

イラク戦争を批判した「華氏911」や、
銃社会に異議を唱えた「ボウリング・フォー・コロンバイン」で知られる、
映画監督マイケル・ムーア氏が来日していた。

新作「キャピタリズム」の宣伝のためだ。

彼がNHK「クローズアップ現代」に出演していた時、
「資本主義は悪だ」と言い切っていた。


その昔、
イギリスの首相だったチャーチルは、
「民主主義は最悪」とも言っている。


資本主義は悪

民主主義は最悪


そう悪態をつきながらも、
とりあえず「資本主義」で「民主主義」であるのは、
単にぼくたちがそれよりマシな政治態勢を、
考え出せないということに過ぎない。

ベルリンの壁が崩壊した時、
資本主義の社会主義に対する勝利だと、
ぼくは心底思ったわけではないが、
冷戦という厄介な荷物がようやく降ろせたのだとは感じた。

だって社会主義は窮屈で暗く、
資本主義は自由でハッピー。
そんな教育しか受けてこなかったのだから。


あれから20年たって思うのは、
人間の叡智の最新の到達点が「最悪」ならば、
人間の存在そのものが「最悪」なのかもしれないということだ。

それは言い過ぎだとしても、
これから起きるであろう変化が、
必ずしも良い方向であるという保証はどこにもない。


少なくともそういうことに自覚的になった分、
ぼくは成長したかもしれない。

2009年12月14日月曜日

義賊

ジョニー・デップが主演しているという、
ただそれだけの理由で「パブリック・エネミーズ」(マイケル・マン監督)を観た。

1930年代のアメリカで、
「公共の敵」と呼ばれた実在のギャングと、
FBIとの追いつ追われつを描いた作品だ。


日曜の午後とあって映画館はほぼ満席。
実際かなり期待していたのだけど、
ぼくは途中で腕時計を見てしまった。

それぐらいの出来に思った。

やはり実話に引きずられるというか、
色々なエピソードを詰め込みすぎていて、
どれもが消化不良に陥ってしまったようだ。


それはともかく、
ジョニー・デップ扮するデリンジャーの恋人役が、
最初顔を見てもわからなかったのだけど、
声を聞いているうちに「エディット・ピアフ」でピアフを好演した、
マリオン・コティヤールだと気付いた。

それから劇中、
「BYE BYE BLACKBIRD」がスローバラードで流れる場面があって、
すごいいい声の歌手だなぁと思っていたら、
場面転換の間際、
ダイアナ・クラールが映っていた。


実在のデリンジャーは義賊みたいな存在だったようで、
大衆は彼とその仲間たちの犯罪の鮮やかさに、
喝采を贈っていたらしい。
日本でいえば石川五右衛門みたいなものか。

当時は世界恐慌の真っただ中。
世界中が暗かった。
犯罪といえどデリンジャーらはヒーローで、
彼らに出し抜かれるFBIは間抜けな引き立て役だった。

だからFBIは「公共の敵」なんてあえて名付けて、
威信をかけて彼らを追い詰めた。
ブッシュがイラクを「悪の枢軸」と呼んで、
戦争を正当化したのと少し似ている。


石川五右衛門は釜ゆでにされる時、
「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と、
辞世の句を詠んだとか。

デリンジャーも死ぬ間際、
ある言葉を言い残す。

そこは明らかに脚色なのだけど、
それにぼくは少しグッときた。

●キムタクが海パン一丁になって熱湯風呂に入るシーンを目撃した。ちょっと驚いた。

2009年12月13日日曜日

受容

新型インフルエンザやラカンに関する新書を読んでいて、
最近相当に頭が凝ってきているのに気づいた。

衝動的に柔らかい小説を読みたくなって、
元町の海文堂に入る。

とりあえず面白いものをと思い、
まず奥田英明の新刊が浮かんだのだけど、
バッグが重くなるのが嫌でパス。

次いで、
ほとんど思いつきで、
「終末のフール」(伊坂幸太郎著、集英社文庫)を買った。
彼の作品なら面白いという点では、
まずハズレないだろうという読みだ。

果たして思惑通り「当たり」だった。
2日で一気に読み終えた。


8年後に小惑星が地球に衝突することが判明して、
それから5年後の仙台という設定だ。

つまり3年後に人類は滅亡するという訳で、
先日見た「2012」を思い起こさせる。

そんな状況で生きる人の姿を、
仙台のヒルズタウンという住宅街を舞台にして、
「○○の○ール」という短編8つで構成してある。


本当は内容のことに触れようと思っていたのだが、
最後の解説がとても面白かったので紹介する。

末期患者の死に対する心の動きは5段階に分けられるそうだ。

まもなく死ぬことが信じられず(否認)、なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向け(怒り)、次にどうにか生き続けることはできないかと何かにすがろうとした(取り引き)のち、死という現実の前になにもできなくなり(抑鬱)、最後にはそれを受け入れる(受容)、というプロセスである。


小説に即して言えば、
全人類が末期がん患者状態に陥るという状況を、
小惑星が衝突という設定に置き換えているわけだ。
5年の間に人類は「否認」から「受容」へと、
一気に進む。

登場人物たちは、
町を襲った略奪や暴力が収まって、
小惑星の衝突まであと3年という「受容」の状況にあり、
それぞれの残された「生」に向き合う。


「否認」から「受容」へというプロセスは、
末期がん患者や小惑星の衝突という事態でなくても、
ぼくらの人生では起きうる。

ぼくの場合に当てはめてみれば、
3年でこのプロセスは進んだ。

「受容」という今の心境の中で、
ぼくはこれからの余生をどう過ごすだろう。

●ちなみに先の5段階という分類は「死ぬ瞬間ー死とその過程について」(E・キューブラー・ロス著、中公文庫)からの孫引きだそうだ●タイガーの醜聞は目に余るが、どうしてこれまで見過ごされてきたのか、それが最大の不思議だ。

2009年12月12日土曜日

関心

ぼくの今の仕事には残業がない。

決められた時間に出社して、
決められた時間まで仕事をして、
それでおしまい。

報告書や企画書を書く必要もなければ、
その日の仕事が片付かないということもない。

というより、
時間までには必ず片づけなければならない。


ほかの社員と世間話をすることはあるけれど、
仕事を終えて一緒に食事することもないし、
当然互いの家を訪問しあうということもない。

自分の仕事がすべてであり、
それ以外のことには全く無関心だ。

きっと社長が変わっても気付かないだろう。


もちろんそれはぼくに限った話であり、
社員の中には職場外での付き合いをしている人もいるし、
倶楽部活動なんていうのも一応あって、
別の部署同士の人間が仲良しという場合も珍しくない。

あくまでぼくがそのような状況を作り出しているのであり、
決して職場がギスギスしている訳でも、
口をききたくないほど嫌な奴ばかりという訳でもない。

勝手にぼくがバリアを張っているのだ。


そんなぼくのところに先日、
20歳代の後輩がやってきて、
「私もForesifht取り始めたんです」と言う。

Foresightとは新潮社の発行している月刊誌で、
書店では売られていない。
中身は海外ネタ中心で、
値段も一冊1000円する。
年間購読のみで代金は前払いだ。

今時セクハラと言われそうだけど、
少なくとも若い女性が興味を魅かれる雑誌ではない。


そういえば相当前、
会社で読んでいた時に、
彼女に「何を読んでいるんですか」と尋ねられたことがある。

恐らくその時に興味を持ったのだろう。


「セーターの一枚でも買った方がいいのに」と、
咄嗟に思った言葉は胸にしまって、
「好奇心旺盛なのは結構なことだ」と、
木で鼻をくくったような返事をしてしまった。

本当は褒めてあげるべきだった。


そしてお礼を言いたかった。

「関心を持ってくれてありがとう」と。


●その一言が言えないんだよなぁ●片やペンギンさんは残業でお忙しそうだ。ペンギンもペタペタ走る師走かな●来春、ジェフ・ベックが尼崎にやってくる♪珍しくチケットを申し込んだ。

2009年12月11日金曜日

差異

第一話

用事のドタキャンがあったからという訳ではないが、
JR住吉駅前のジャンカラに再び行った。

10歳もサバを読んだあの店だ。

今日受付にいたのは、
この前の黒ぶちメガネ君ではなく、
ぼくは正直に年齢を書こうとしたのだが、
手が勝手にサバを読んでしまった。

この店ではそういうことにしておこう。

そういえば、
元町のジャンカラには、
ドリンクコーナーにこのような張り紙がしてある。











実際には試していないのだけど、
こういう話はよくある。

飽食の時代とはいえ、
人の口はいとも簡単に騙される。
普段口にするもので香料や人工甘味料の入っていないものなんて、
たぶんほとんどない。

ぼくらはフェイクの世界に生きている。



第二話

それに先だって行った歯医者では、
前回撮ったレントゲン写真を見せてくれた。
「ここの黒いところが。。。」と先生は説明してくれるのだが、
ぼくにはどの黒い部分かわからず、
結局丁寧に歯磨きをするようにという部分だけ理解できた。

同じものを見ていても視点が違うと、
全く別のものを見ている、
あるいは何も見えていないことがある。



第三話

家に帰る途中にTUTAYAに立ち寄ると、
「余命一ヶ月の花嫁」(廣木隆一監督)が目にとまり、
借りてさっき見終えた。

実話の感動とフィクションの感動は、
別物なのだと思った。

どちらが上とか下とかいうんじゃなくて、
あくまで質の問題として。


フェイクとフィクションの違い。
それは創造性の有無だろう。



●にしても、なっちゃんオレンジ+ホワイトウォーター=ポプラ味ってどんな味?●住吉のジャンカラは、門口は狭いのだが中が意外に広く感じがいい。特に階段が広いところが気に入った。カラオケと関係ないけど●依然風邪の兆候なし。

2009年12月10日木曜日

引退

阪神・赤星の突然の引退発表には驚いた。

今年9月12日の試合でダイビングキャッチした時、
以前から痛めていた頸椎を悪化させ、
場合によっては命にかかわると診断された上での、
無念の決断だったそうだ。

今や生え抜きのスター選手が少なくなった阪神において、
彼の存在は、
ここしばらく強かった猛虎の1番打者として、
強い存在感を放っていた。


彼はその「致命傷」となったプレーについてこう言っていた。

後悔はしていない。野球人の本能としてやった。ダイブした後、両足がまったく動かなかった。グラウンドで死ねれば本望というが、それが本望とは思えない恐怖心があった。今でも夢にあのシーンが出てくる。

33歳。

まだまだこれからという年齢での引退は、
余りにも惜しいけど、
こればっかりは仕方がない。

騙し騙しやっていくという道も、
あるにはあっただろうが、
彼はそれを潔しとしなかった。


人生を戦にたとえるなら、
「勇気ある撤退」と言えるだろう。

プロ野球人生はたった9年間だったけど、
「レッド・スター」は鮮烈な印象を十分ぼくたちに残した。

2009年12月9日水曜日

風邪

月曜日に出社すると、
ぼくの隣に座っている上司が、
マスクをしてひどくせき込んでいる。

新型インフルではないただの風邪だそうで、
医務室でもらった薬を飲んでいた。

ゴホゴホゴホゴホゴホゴホゴホゴホゴホゴホゴホ。。。

仕事の間中、
ずーっと咳をしていた。

辛いだろうけど仕事柄、
上司は途中で帰る訳にはいかない。

元気なぼくは言うまでもない。


インフルの予防注射はしてはいるが、
それでも気になってしょうがない。

出勤時してきたマスクを、
もう一度しようかとも考えたが、
どうにも気が引けた。

しかしただ手をこまねいていたわけではない。
出来るだけ席を空けるようにして、
こまめに手と鼻を洗った。


これでぼくが風邪をひいたら、
十中八九この上司が感染源だけど、
責任は上司とぼくの両方にあるだろう。

一方、
大丈夫だったら、
「予防注射+鼻洗い」の不敗神話は、
より強固なものとなる。

なにせあのせきの嵐は、
かつてない危機的状況だった。


丸一日たった現在異常はなし。

潜伏期間は1~2日が目安というから、
まだ勝利宣言は出せないけど、
ささやかな人体実験の結末は、
かなり楽観的にとらえている。


●「天使と悪魔」(ダン・ブラウン監督)をDVDで。「人は見かけによらぬ」というお話。

2009年12月8日火曜日

間際

「死ぬ前に後悔すること25」(大津秀一著、到知出版社)

こんな題名の本の新聞広告が目に入った。

著者は緩和医療の専門医らしく、
「人は死ぬ間際にこんなことを後悔しています」
とある。

1 健康を大切にしなかったこと
2 たばこを止めなかったこと
3 生前の意思を示さなかったこと
4 治療の意味を見失ってしまったこと

5 自分のやりたいことをやらなかったこと
6 夢をかなえられなかったこと
7 悪事に手を染めたこと
8 感情に振り回された一生を過ごしたこと
9 他人に優しくしなかったこと
10 自分が一番と信じて疑わなかったこと

11 遺産をどうするか決めなかったこと
12 自分の葬儀を考えなかったこと
13 美味しいものを食べておかなかったこと
15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
16 行きたい場所に旅行しなかったこと

17 会いたい人に会っておかなかったこと
18 記憶に残る恋愛をしなかったこと
19 結婚をしなかったこと
20 子供を育てなかったこと
21 子供を結婚させなかったこと

22 自分の生きた証を残さなかったこと
23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
24 神仏の教えを知らなかったこと
25 愛する人に「ありがとう」を伝えなかったこと


一項目ずつ興味深く読んだ。
これだけで十分いろいろ考えさせられた。

もう実際の本は読まなくていい気がした。

2009年12月7日月曜日

反面

親父の三回忌でわが家に久々の客人というか、
親戚一同が集った(といっても8人なのだが)。

その中の叔母の家に、
ぼくは21歳の時にお邪魔したことがあって、
その時ぼくが覚えたての煙草を吸っているのを見た、
叔母の当時小学生だった息子二人が、
「ぼくはあんなもの吸わない」と、
後日話していたというエピソードが、
歓談の合間に出てきた。

叔母曰くぼくは「良い反面教師」になったという。


こう書くと、
その叔母が意地悪い性格のようにとられるかもしれないが、
実際は非常に教養豊かで理性的でぼくは大好きだ。

この時の話しぶりもユーモワたっぷりだったことを、
叔母の名誉のためあらかじめ付け加えておく。


ところで、
叔母の息子二人は今では立派な成人になり、
ぼくから得た教訓を守って煙草は吸わないそうだ。

だれもがそのように、
子どものころの教訓を大人になっても守り続けられたら、
世の中は大そう平和だろう。

ぼくだって子どものころは、
大人の吸う煙草は不快に感じたものだ。
一体煙草の煙を吸って気持ちよいと感じる子どもなど、
この世にいるわけがない。


にもかかわらず、
子どもにとっての「正しさ」の多くは大人になって守られないことが多い。

どうしてそのような事態が起きるのかと考えてみたとき、
ぼくは言語能力の発達が影響しているのではないかと思う。

つまり思考が複雑になるということだ。

子どもの単純な言語力の中では、
生理的に受け付けないもの=嫌で完結していたものが、
複雑な言語体系を獲得する中で、
「今は不快だけど、続ければ快感に変わるかもしれない」みたいな、
体と頭のかい離が起きてしまうわけだ。


たまたま煙草の例ではあるが、
それは煙草に限らず、
人が大人に成長していく重要な過程であると思う。

つまり好奇心だ。


好奇心は人間の証だと思う。

目も耳もふさいで、
あるいは一方向にしか向けないで、
その他をシャットアウトすれば、
そりゃ誰だって道を踏み外さない。

でもそれじゃ人生面白くないじゃないか。


何もかもが順風満帆に過ぎて行って、
そのまま死んでしまう人生なんて、
どれほどその人が成功しようと、
ぼくには死ぬほど退屈に思える。

だってそれってつまり、
ずっと他人の意に沿う生き方をしてしまうってことじゃないか。


「ぼく的」にはあり得ない。

これだけ人生の失敗を積み重ねても、
なおかつあり得ないと断言する。


こんなことを言っているから、
いつまでも反面教師のままなんだナ。

●そういえば煙草は最低40円値上げになるらしいが、その程度じゃあねぇ。

2009年12月6日日曜日

申告

JR住吉駅前にジャンカラがあると知ったのはつい最近のこと。
今日初めて行ってみた。

受付には黒ぶちのダテ眼鏡をかけた青年がいて、
ぼくが携帯に保存してある会員割引の画面を見せると、
それを確認してからこう言った。


「学生さんですか」


確かにその時のぼくはテキトーな普段着で、
髪はボサボサ、
マスクもしていたとはいうものの、
これほど酷い勘違いをされるのは、
生まれて初めてだ。

もちろんぼくは否定したのだけれど、
申込用紙に年齢を記入する時に迷った。


実年齢を書くと青年を驚かせ過ぎやしまいか。

とはいえ20歳代を書くのも余りに図々しい。

しかも青年はぼくをおちょくっているだけかもしれない。

青年も自分も納得できる年齢はいかほどか?


一瞬のうちにこれらのことを検討した後、
ぼくは10歳サバを読むことにした。

人生最大のサバ読み。
書く手が心なしか震えた。

でもなんかそう書いただけで、
自分が実際にその年齢のような気になったから不思議だ。


そういえばペンギンさんは、
28歳以後歳をとらないのだそうだ。

若さを保つ秘訣として、
サバ読みは有効かもしれない。


癖になるかも(笑)

2009年12月5日土曜日

弔辞

他人の話をうつらうつらと聞いていたら、
不意に名前を呼ばれ、
「次はお前がしゃべれ」と言われた。

100人ぐらいの人がアトランダムに喋っているのだから、
まったく当たることがないと高をくくっていたわけではない。

かといって当たるかもしれないと、
何がしかの心の準備をしていた訳でもない。

つまり完全な不意打ちだった。


パスするという選択肢も、
歌うという裏ワザも思い浮かばず、
条件反射のように前に進み出てマイクを握った。

これほど無防備な状態のぼくが何を喋るのだろう。

自分に対する好奇心だけがあった。


果たして内容はとりとめなく、
声は抑揚を欠き、
さっぱり精彩のない散々な結果となった。

がしかし、
それでもさして混乱することもなく、
この口をついて出た言葉は、
一体ぼくのどこから湧いてきたのだろうか。


遠ざかる、
いくつかの自分の姿が頭に浮かんだ。

笑えるほどに愚かな自分の思惑。

泣けてくるほど哀れな行動。


わずか数分のスピーチは、
そんな在りし日のぼくへの、
現在のぼくからの弔辞だったのだ。


●ペンギンさんは「THIS IS IT」を予約したというではないか。先を越された!●W杯組み合わせ抽選。日本の初戦はカメルーン。オランダ、デンマークと一緒のE組だ。これで文句を言ったら罰が当たるだろう。

2009年12月4日金曜日

落胆

煙草が一本あたり1円値上げになりそうだと聞いて、
心底がっかりした。

一箱1000円になればやめられたのにとか、
500円だったら減らせたのにという、
私ごとで言っているのでは絶対になーい。

民主党にがっかりしているのだ。


「戦後政治の大掃除」とか大上段に構えておいて、
出てくる話がみみっちすぎる。

冗談じゃない。

もし一箱1000円にしていたら、
猛反発もあっただろうが、
煙草を吸わない人はもちろん、
喫煙者の中にだって、
「民主やるな」と思う人がいたはずだ。


痛みを蒙ろうと、
自民党ではできないことに手をつける。
そう期待していた人は多いはずだが、
今のところ全くの肩すかし。

特に長妻厚労相がいただけない。

会社の労働組合で頑張っていた人が、
幹部になって手のひらを返されたような、
「あっち」の人になっちゃった感がある。


「君子豹変、小人革面」(くんしはひょうへんし、しょうじんはおもてをあらたむ)という。

君子は時に応じて、豹の毛が生え変わるように、鮮やかに変化する。
これに反して、小人は上の人に従う顔つきだけはする。

真に、ひとかどの人物であれば、変化、変革を恐れない。
必要であれば、あるいは過ちとわかれば、
がらりとやり方、態度を変えたりもする。

ところが小人は、表面上、それを受け入れる素振りをしつつも、
旧来のやり方やメンツにとらわれ、古いやり方や、
いったん口にした自説にこだわってしまう。
(ブログ「中国古典の名言名句1000選」より)



たぶんみんな、
自分は君子になったつもりなんだろうけど、
結局たいてい小人なんだよな。

自戒を込めてそう思う。

2009年12月3日木曜日

節目

もう一週間ほど前のことになるけど、
職場で来年の手帳とカレンダーが配られた。

例年なら「もう一年たったのかぁ」と思いながら持ち帰るところだが、
今年はそれに加え、
「うちの会社にもまだそれぐらいの余力はあるのだ」という感慨もあり、
そう考えると何やら有難く思えてきた。


仕事柄、
今日が何日で何曜日かということに気が回らない。
それでなくても夜か昼か曖昧な生活。
いつの間にか月が替わっていたなんてこともしょっちゅうだ。

そういう句読点のない文章のような日常を送る身にとって、
一年の終わりだけは、
かろうじて節目らしさを保っている。


それには元日が誕生日だという個人的事情も大きく絡んでいる。

元日の誕生日なんて、
迎春ムードとともにドサクサ紛れに過ぎていくので、
子どものころはちっとも有難くなかったが、
今となっては、
そうでもなければ自分の誕生日さえ気がついたら過ぎていた、
なんてことも十分ありえる。


この時期、
恒例の十大ニュースなんていうのが、
新聞で取り上げられだした。
流行語大賞は「政権交代」だった。
今年一番の国内ニュースだったことは間違いない。

しかしその流行語の生みの親鳩山首相は、
故人献金に続いて母親からの不可思議な9億円で揺れる。

週刊誌の見出しに、

「非課税 9億円の子ども手当て」とあって、

思わず「上手い」と手をたたいた。


政権交代が流行語のレベルなら、
飽きられるのも案外早いかもしれない。

●ちなみに親父の誕生日も元日だった。日本中でこんなお目出度い父子は何組ぐらいいるのだろう。

2009年12月2日水曜日

中華

Nスペの「チャイナパワー」を見ていると、
中国の勢いはとどまるところを知らないようだ。

中国が今最も接近しているのがアフリカ諸国で、
その狙いは、
この大陸に住む7億人の人々と、
地下に眠る資源なのだという。

何せ10億人の国である。
経済発展を続けるには、
内需だけでは全然足りないのだ。

「世界の台所」から「世界の工場」になり、
今や地球上の資源を食いつくそうとしている。

携帯電話会社がエチオピア全土に通信網を張り巡らしたり、
不動産会社がなぜかザンビアの銅山開発に乗り出したり、
民間会社が国家財政の後ろ盾を得て、
遮二無二触手を伸ばしている。


その様はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いなのであるが、
しかしNスペではついこの間「ドバイが熱い」と持ち上げ、
その舌のねも乾かぬうちに、
今はドバイはバブル崩壊でテンヤワンヤになってしまった。

世間で「中国、中国」と言われるようになったということは、
逆にもう下り坂に差し掛かった証拠なのかもしれない。

大体、
マスコミが「ブーム」と取り上げるころには、
本当のブームは下火になっていることが多い。
知っている人はずーっと前から知っているのだが、
感度の悪い記者は相当遅れて気がつく。

「新聞」も確かに前日あった出来事は載っているが、
トレンドとか先読み情報になると、
実は全くの「旧聞」であることは、
ほとんど常識でもある。


ちゅうか、
五輪の時にも書いたのだけど、
一体いつから「中国4千年の歴史」は「中国5千年の歴史」に変わったの?
一気に千年もサバを読むとは大した度胸だけど、
ちょっとインフレに過ぎないか?

王将のCMも作り変えなきゃ。


●天満「じゃず家」セッション。久し振りの顔に再会できただけで心が和んだ。

2009年12月1日火曜日

味方

大学生の時にバイトしてい東京のステーキ屋さんで、
当時高校生だった男の子と親しくなった。

彼はバイクが大好きで中型を乗り回していた。

決して暴走族ではなく、
峠を攻めるとか、
昔の漫画「バリバリ伝説」のような世界の男だった。


その彼のバイクの後ろに乗せてもらったことがあった。
ぼくも若かったけど、
彼はもっと若かった。

深夜とはいえ車が普通に走っている青梅街道を、
ヤツは時速140キロぐらいで車を追い抜きながら平気で突っ走る。
後ろに乗っていたぼくは、
マジで「コイツはアホか。こりゃ死ぬ」と思い、
ヘルメットの中で「やめろー」と絶叫していた。

中年になった今でもその時の加速感や恐怖感は覚えていて、
そんなに長いこと記憶に刻まれる感覚って、
そうはないと思うと貴重な体験ではある。


NHKの「スポーツ大陸」でレーサーの伊藤真一氏を取り上げていた。

現在42歳の彼は現役最年長だそうで、
2年前には大たい骨の粉砕骨折という大けがを負った。

270キロでカーブに突っ込んだのだそうだ。

九死に一生を得た彼は、
それでも現役に復帰したのだから、
もう筋金入りの「スピード狂」だ。


彼は番組で、
「こんな生活をしている人間が家族を持っちゃいけないんだと思うんですけど、味方が欲しいんですね」
みたいなことを話していた。


亀田と内藤の一戦の後、
勝利した亀田が、
バッシング中にも応援してくれたファンに感謝していた。


我が身を振り返ると、
亀田家のことをあれこれ言えたもんじゃない。
どーしようもない人生を送ってきた。

多くの人がぼくの元から去って行った。
それはそれで仕方ないことだった。
でも、
そんな冬の時代でも、
味方になってくれる人はいた。

味方がいるということがどれほど有難いか、
試練の時こそ知るのだとつくづく思うし、
そういう人こそ本当の味方なのだと痛感する。


●「キャンディ」(ニーム・アームフィールド監督)をDVDで。ヒース・レジャーが出ているというだけで借りたのだが、「高相夫婦物語」みたいだった●「THIS IS IT」の予約が始まったのだが、DVDにするかブルーレイにするかで悩み、結局ブカレストライブを申し込んだ。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...