2010年1月2日土曜日

涙籤

今年も寝正月を決め込むつもりが、
姉一家の買い物に付き合うことになった。

周囲に山と田畑しかない田舎道を、
姪の運転する車に乗って1時間ほど走ると、
突如巨大なショッピングセンターが現れた。

三田市にあるアウトレットモール。

そういえば前に、
テレビで紹介していた。

駐車場待ちをする車と、
すごい人。


いやぁ実に場違いな場所に、
場違いな男がいるなぁと笑そうになりながら、
建ち並ぶ店をのぞいているだけで意外に面白い。

結局、
だれよりも沢山の買い物をしていた。


車中、
「いきものがかり」のYELLの話になり、
そういえばあの歌詞何かに似ていると思ったら、

さよならは別れの言葉じゃなくて
再び会うまでの遠い約束


そう、
薬師丸ひろ子が歌った「夢の途中」だと気付いた。


ところで、
今日の読売新聞のコラム「編集手帳」がいかしてた。

 年の瀬の商店街で親子連れとすれ違ったとき、小さな男の子が「ナミダクジ」と言った。手をひいたお母さんが「ア・ミ・ダ…」と笑った。(中略)そういう言葉はないが、無理に漢字をあてれば「涙籤」だろう。真ん中を選んだつもりが、予期せぬ横棒1本に邪魔されて端っこにたどり着いたり、逆に、思いもよらぬ幸運にめぐり合ったり、人の世の浮き沈みは涙籤かも知れない。
 あの人に出会わなければ、別の仕事を選んでいた。この町にいなかった。甘い酒の味を、あるいは苦い酒の味を、知らずにいた。誰しも過去を顧みれば、人生の曲がり角に「あの人」が立っている。年賀状という風習の成り立ちは不勉強で承知していないが、自分を今いる場所に連れてきてくれた“横棒たち”に再会する意味もあるのだろう。(後略)


思わずうなった。


人間だれしも死ぬまで夢の途中。

これからも多くの角を曲がり、
思いもよらぬ世界に導かれるに違いない。


残りの賀状をようやく投函。
名文に影響されて、
枚数が増えた。

●帰宅して年末ジャンボの当選番号をチェックしたが、想像通りまたも「涙籤」(泣)●バースデーカードを頂いた。心のこもった文面を読み、その時だけは年をとるのも悪くないと思った。

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