「コード・ブルー2」の2回目を半分見た。
実は先週の初回、
ちゃんと録画予約して確認までしたはずなのに、
できてなかった(泣)。
ということで久々に見る山下智久、
なんか病気じゃないのっていうほどに、
印象が変わっている。
新垣結衣も、
両耳から垂らしていた髪がなくなって、
別人みたいだ。
それはともかく、
「本当の自分」という台詞が頻繁に出てきて気になった。
脳にちょっと異変が起きただけで、
記憶がなくなったり、
性格が変わってしまったりするのだから、
「本当の自分」なんてあるわけないと思う。
あるとすればそれは、
「本当の自分」を探そうとする指向だ。
画家の石井一男氏が行っているのも、
言い換えれば永遠の自分探し。
ただそのベクトルは、
人並み外れて強い。
言い換えれば究極のナルシスト。
悪い意味じゃなく。
例えば今日この風景に反応して、
こういう感じに加工したのは、
今日の(厳密には今の)ぼくで、
そういう意味でこれは自画像と言える。
だがここに「意味」や「テーマ」はない。
ところで。
NHKプロフェッショナルで浅川智恵子という、
IBMの研究者を取り上げていた。
彼女は十代で視力を失った。
一番感銘を受けたのは、
目が見えなくなった彼女が、
「私にでもできること」を探したのではなく、
「私にしかできないこと」を探したということだ。
「でも」と「しか」の違い。
この指向の違いは大きい。
そもそも《わたし》は森川に会いたいのだろうか。《わたし》にとって重要なのは、「森川に会いたい」という気持ちであり、気持ちが森川の方に向いているという「指向性」そのものの方ではないか。(群像2月号、古谷利裕「わたしは知りたかった」)。
ぼくが求めているのは、
「森川」なのか、
「会いたいという気持ち」なのか。
●「あきらめなければ、道はひらける」。浅川さんのお言葉である●サカナクション「アルクアラウンド」。カッコいい♪
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