2010年1月19日火曜日

指向

「コード・ブルー2」の2回目を半分見た。

実は先週の初回、
ちゃんと録画予約して確認までしたはずなのに、
できてなかった(泣)。

ということで久々に見る山下智久、
なんか病気じゃないのっていうほどに、
印象が変わっている。

新垣結衣も、
両耳から垂らしていた髪がなくなって、
別人みたいだ。


それはともかく、
「本当の自分」という台詞が頻繁に出てきて気になった。

脳にちょっと異変が起きただけで、
記憶がなくなったり、
性格が変わってしまったりするのだから、
「本当の自分」なんてあるわけないと思う。

あるとすればそれは、
「本当の自分」を探そうとする指向だ。

画家の石井一男氏が行っているのも、
言い換えれば永遠の自分探し。

ただそのベクトルは、
人並み外れて強い。

言い換えれば究極のナルシスト。

悪い意味じゃなく。












例えば今日この風景に反応して、
こういう感じに加工したのは、
今日の(厳密には今の)ぼくで、
そういう意味でこれは自画像と言える。

だがここに「意味」や「テーマ」はない。


ところで。

NHKプロフェッショナルで浅川智恵子という、
IBMの研究者を取り上げていた。

彼女は十代で視力を失った。

一番感銘を受けたのは、
目が見えなくなった彼女が、
「私にでもできること」を探したのではなく、
「私にしかできないこと」を探したということだ。

「でも」と「しか」の違い。

この指向の違いは大きい。


 そもそも《わたし》は森川に会いたいのだろうか。《わたし》にとって重要なのは、「森川に会いたい」という気持ちであり、気持ちが森川の方に向いているという「指向性」そのものの方ではないか。(群像2月号、古谷利裕「わたしは知りたかった」)。

ぼくが求めているのは、
「森川」なのか、
「会いたいという気持ち」なのか。


●「あきらめなければ、道はひらける」。浅川さんのお言葉である●サカナクション「アルクアラウンド」。カッコいい♪

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