2010年1月23日土曜日

読者

このブログを始めたのは2008年6月8日。

「はじめました」というタイトルである。


だがその8か月ほど前の、
2007年10月7日から、
このブログの前身となるものを始めていた。

今は閉鎖してしまって僕以外はだれも見れないけど、
ぼくのブログの本当の意味での第1回の、
記念すべきタイトルは、

「正義感の適量」

ぼくはこんなことを書いていた。


 大阪のコンビニ店員が万引きした少年に刺し殺された。店外まで追いかけ取り押さえようとした勇気には頭がさがる。でも、命を懸けるほどのことはなかった。ナイフで逆襲されるとは思わなかったのだろうが、いまどきのことだ。切れた少年は何をするかわからない。犯人の少年も予想外に手ごわい店員に恐怖を感じたのだろう。正義感を出し惜しみせよというわけでもないが、適量はあるように思う。


超真面目(笑)


でも懐かしい。

このころは、
ブログを始めたことなど誰にも知らせてなかった。

一言で「瓶詰めの手紙」。

糸電話に向かって喋っているけど、
その糸の先がどうなっているのかわからないような、
そんな気持ちだった。


今ではその糸の先が何人かに届いていることを知っているし、
そのうちの何人からは感想を聞かせてもらうことができる。

見返りなど何も求めてはいないが、
やはり直接の手ごたえがあるというのは、
嬉しいものだ。

その熱心な読者の人を意識して、
小細工というか、
「わかる人にはわかる」ネタを書くこともある。


一方で、
未来の読者を漠然と想像することもある。

ネットというものが存在し、
ぼくが閉鎖しない限り、
このブログは半永久的に地球上に公開され続けるわけで、
100年後、
いや1000年後にだって、
たまたま何かを検索しているうちに、
弾みでこの文章を読む人がいるかもしれない。

そんなに壮大に構えなくても、
「はじめました」と書いている時のぼくにとって、
今これを書いているぼくは「未来の読者」だ。


そしてXXXX年に読んでくれているあなた。

「はじめまして」

ぼくはもう地球にいないけど、
読んでくれてありがとう。

こんな男が昔いたのです。


●ペンギンさんに約束していたブツを忘れてしまった。笑顔で「いいよいいよ」と言ってくれたが、目は「次忘れたら校庭10周」と言っていた(嘘)

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