子どものころの1年は長かったって、
大抵の人は思うだろう。
でも、
振り返ってみれば、
子どものころだって、
夏休みの40日間はあっという間だったし、
放課後遊んでいる時の1時間や2時間は、
ほんの一瞬だった。
子どもだって、
楽しい時間は短く感じるのである。
すると子どもの方が大人に比べて、
嫌な時間が多いということだろうか。
いや、
「嫌な」というより、
「不慣れ」といった方が正確かもしれない。
嫌な時間の過ごし方に不慣れ。
すると、
大人になって時間の経過が早く感じるというのは、
楽しい時にしても嫌な時にしても、
対応の仕方に慣れたということになる。
確かに大人になってからでも、
社会人になりたてのころは、
一日が長く感じた気がする。
社内で部署が変わった時もそうだった。
一方で、
大人になると、
1秒が長いということも知る。
仕事で本当に忙しい時には、
妙に冷静になるもんで、
そんな「ゾーン」状態になると、
「まだ30秒あるじゃん、余裕余裕」
なんて、
まじめに思うことがある。
実際にその30秒は十分に長い。
つくづく思うのは、
あんなに長く感じた子どものころの年月なのに、
今振り返ってみて、
記憶に残っているのは、
ほんのわずかな断片でしかないという事実。
「長かった」という記憶だけ残して、
具体的な事柄のほとんどは忘却の彼方である。
いろいろ考えるが結局、
大人になるということは、
時間の処し方を覚えるということなのかも。
子どものころの時間が長く感じられたのは、
別に特別充実していたわけではなく、
時間とうまく付き合えていなかっただけではなかろうか。
今がうまく付き合えているとは、
必ずしもは思えないけど、
子どものころよりはマシかもしれないナ。
だって自分が老いて死ぬ時のことまで、
一応頭の中でシミュレーションできるのだから。
こんなことを考えたのも、
ぼくの若いころについて、
ペンギンさんに質問されたからなのだが、
案外思い出せないんだよなぁ。
というか、
思い出すことができるのは、
ちょっと他人に話すのがためらわれるような事ばかりでねぇ、、、
だから行き場なく体内に留まったままなのかもしれない。
心の膿として。
●そうそう、最近内省的なことをあんまり書かなくなったって話をペンギンさんにしたから、あえてあんな質問をされたのかしらん。術中にはまったか。
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