2010年7月27日火曜日

土台

映画の粗筋を読んでも、
その映画を「観た」とは誰も言わない。

バタフライの泳ぎ方を読んだだけで、
実際に泳げるなどと信じている人は、
きっと笑われるだろう。


そんな簡単な道理なのに、
人は新聞やテレビの報道を見聞きしただけで、
世の中の事象を分かったと錯覚する。

それらはすべて、
小説の粗筋と何ら変わらない。


小林秀雄は講演で、
「分かりやすく読んではいけない」と力説する。

論文も詩歌も、
読み方は同じだと。

読み込んで読み込んで、
その文章を書いた人の人となりが透けて見えるほどになって、
ようやく文章は分かるのだと。


でも実際の世の中の出来事を、
そんなに深く知ることは、
時間的にどだい無理なのであって、
だから人はテレビで外国の風景を眺めて、
その絶景をわが目で見たような気になって我慢する。

もちろん大概の事はそういうことで仕方がないのだけど、
やっぱり人生の中で何かひとつでいいから、
詩歌を味わうように知る世界を持っていたい。


それがぼくの場合は歌であるはずなのだけど、
登りたい山を富士山に設定している今は、
まだ一合目にすら達していないことに気づく。

残された人生の時間や、
自分の足腰の具合を鑑みるに、
目標を近所の甲山ぐらいに変更した方が、
身のためなのかもしれないなぁって思いもわいてくる。


あれも、
これも、
それも、
どれも。

何でもかんでもしたいと、
貪欲に願える季節は過ぎた。

人生の土台作りは終わり、
あとは今ある土台の上に作れる物を、
見極める時なのだ。

身の丈にあった物事を、
身の丈にあったやりかたで慈しむ生き方をしている人が、
一番かっこいいと思える、
そんな年頃。

ぼくという土台の上に、
東京タワーは建てられない。

いわんやスカイツリーをや。


●なんて言いながら、身の丈に合わぬ曲を選ぶのであった。

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