一週間古い話だけど、
龍馬伝第2部が終了した。
幼馴染の岡田以蔵が処刑され、
武市半平太が切腹させられ、
それまで自分のなすべきことに悩んでいた龍馬が、
「日本を洗濯する」と思い定めた最後の場面。
岩崎弥太郎のナレーシションにグッと来た。
録画を見なおして、
書き起こしてみよう。
この時から龍馬は遥かな高みを見据え始めたがじゃ。
命の儚さを思い知り、
志の尊さを知り、
悲しみも、
別れも、
虚しさも、
悔しさも、
恐ろしさも、
人の情けも愚かしさも知り、
龍馬はこの時からあの坂本龍馬になって行ったがぜよ。
多くの男子諸君は、
ここで「これって俺じゃん」と思っただろう。
かくいうぼくもその一人。
自分が龍馬になったような気がした。
もちろんぼくには日本の洗濯はできない。
自分の衣類の洗濯すら母任せだ。
だからぼくの共感は、
ヤクザ映画を見た人が、
肩をいからせながら映画館を出てくるようなもんで、
そんな気になっただけかもしれない。
でも、
40年以上生きてきて、
それなりに色んな経験もし、
積もり積もった思いが沸点に達した時、
自分の何かが決定的に変質し、
人の世が、
それまでと全く違う景色に見える感じは、
きっと龍馬も同じであったと思うのである。
行動や外見として現れなくても、
やはりそれは個人的には、
変貌を遂げたと呼ばしてもらいたい。
●額の中の表彰状が3枚になりました。
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