NHK「佐野元春のザ・ソングライターズ」が再開した。
最近では第2部のことを、
「セカンドシーズン」というのが流行りだ。
「season」といえば「季節」としか理解してなかったぼくには、
どうも馴染まないのだけど、
アメリカのドラマの影響なのだろう。
何はともあれ、
セカンドシーズンの最初のゲストは、
ミスチルの桜井和寿。
この番組でいつも話題になるのは、
歌を作る時に詞が先か曲が先かっていうことで、
桜井は、
ほとんど曲だと言っていた。
曲が頭に浮かんで、
とりあえず出鱈目に歌ってみて、
その感じが何を表現しているのかってなことを考えるところから、
言葉を紡いでいくそうだ。
桜井に限らず、
いわゆるJ-POPの恐らく99%は、
曲が先、
いわゆる曲先だと思う。
作詞家のからすれば、
「邪道だ」ってなるかもしれない。
ひょっとすると、
作曲家にしても「邪道だ」って言うかも。
でも、
一人で詞も曲も書く「ソングライター」にとっては、
曲先だろうが詞先だろうが、
ほとんど関係ないと思う。
出来た歌がよければ、
それでいい。
そんな風にして出来たミスチルの曲の中で、
佐野元春が「同じソングライターとしてキラーライン」と絶賛したのが、
名もなき詩のこの部分。
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
気が付けばそこにあるもの
1996年2月発売のこのシングル。
ぼくも愛車スカイラインの中で散々歌いました。
でもキーが高過ぎ(G)て、
カラオケでは歌わなかった。
ぼくはカラオケでも原曲のキーじゃないと嫌という、
妙なこだわりを持っていのだ。
いやいや。
それはともかく。
ぼくは佐野元春とは違って、
この部分より、
出だしに感心した。
ちょっとぐらいの汚れ物ならば
残さずに全部食べてやる
「汚れ物を食べる」って、
妙にインパクトあったな。
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