2010年7月4日日曜日

曲先

NHK「佐野元春のザ・ソングライターズ」が再開した。

最近では第2部のことを、
「セカンドシーズン」というのが流行りだ。

「season」といえば「季節」としか理解してなかったぼくには、
どうも馴染まないのだけど、
アメリカのドラマの影響なのだろう。


何はともあれ、
セカンドシーズンの最初のゲストは、
ミスチルの桜井和寿。

この番組でいつも話題になるのは、
歌を作る時に詞が先か曲が先かっていうことで、
桜井は、
ほとんど曲だと言っていた。

曲が頭に浮かんで、
とりあえず出鱈目に歌ってみて、
その感じが何を表現しているのかってなことを考えるところから、
言葉を紡いでいくそうだ。

桜井に限らず、
いわゆるJ-POPの恐らく99%は、
曲が先、
いわゆる曲先だと思う。


作詞家のからすれば、
「邪道だ」ってなるかもしれない。
ひょっとすると、
作曲家にしても「邪道だ」って言うかも。

でも、
一人で詞も曲も書く「ソングライター」にとっては、
曲先だろうが詞先だろうが、
ほとんど関係ないと思う。

出来た歌がよければ、
それでいい。


そんな風にして出来たミスチルの曲の中で、
佐野元春が「同じソングライターとしてキラーライン」と絶賛したのが、
名もなき詩のこの部分。

愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
気が付けばそこにあるもの


1996年2月発売のこのシングル。

ぼくも愛車スカイラインの中で散々歌いました。

でもキーが高過ぎ(G)て、
カラオケでは歌わなかった。

ぼくはカラオケでも原曲のキーじゃないと嫌という、
妙なこだわりを持っていのだ。


いやいや。

それはともかく。

ぼくは佐野元春とは違って、
この部分より、
出だしに感心した。

ちょっとぐらいの汚れ物ならば
残さずに全部食べてやる


「汚れ物を食べる」って、
妙にインパクトあったな。

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