2010年8月6日金曜日

展開

さて、
演歌「音信川(おとづれがわ)」の続きの話だ。

じゃ一回それを聴いてみようと、
YouTubeを検索したら、
演歌の「音信川」以外に、
同名の歌を根岸とし江という人が
歌っていることが分かった。

この人、
実は女優根岸季衣。

70年代フォーク色全開の、
こっちの歌がツボにはまった。


音信川(作詞・作曲:大津彰)

扉をあけて出てきなよ
その部屋にもうなにもないじゃない
バスを送るよ 
もう追いかけはしないさ

メソメソするのはよしなよ
お前が泣いたら
俺は泣けないじゃない
そうだよ
お前が好きさ
お前を愛してる本当さ

せめての願いだ
あのバス停まで
川向こうにまぶしいお前の姿
あの日をもう一度抱きしめて

流れる音信川に
灯をともしてもう幾年
春も夏も秋もそしてまた冬も
過ぎてゆく

最後の願いだ
あのバス停まで
過ぎた日の悲しい笑顔に
ただ手をふるだけだから

流れる音信川に
雪はとけて仔犬がはしゃいでる

明日のない足跡が
二人の後ろに続くのか


この曲を作った大津彰氏は根岸の前夫。

ウィキるとこうある。

 山口県長門市仙崎出身。山口県立水産高等学校を経て慶應義塾大学法学部卒業。大学時代に慶應の一年先輩であったつかこうへいと出会い、つかこうへい劇団で数々の舞台劇中歌の作詞・作曲を手がける。

 大学卒業後もつかこうへい劇団での劇伴を中心とした音楽活動を継続していた(このころ、つかこうへい劇団に所属していた女優の根岸季衣と結婚している)が、1982年に中村雅俊に提供した『心の色』がヒット(第15回日本作詞大賞・大衆賞を受賞)し、これをきっかけにして本格的に作詞家としての活動を始める。

 以後、中村の他、高橋真梨子・矢沢永吉・中森明菜をはじめとする数多くのミュージシャンに歌詞を提供した。1997年、直腸ガンにより47歳の若さで死去。現在は実家のあった山口県長門市に眠る。


音信川は山口県長門市を流れているのである。

生死不明の100歳の話から、
思わぬところにたどり着いたなぁ。

●「インセプション」(クリストファー・ノーラン監督)を観た。ライブが終わるまで我慢していたのだ。案外意味はわかったけど、だから特に面白いってわけでもなかった。どーしても「マトリックス」がかぶる●三宮「グレート・ブルー」のセッション。ライブの時イマイチだった「MOONDANCE」に再挑戦。やっぱりイマイチだった。曲は格好いいのに

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