2010年8月8日日曜日

代役

今年もなにわ淀川花火大会のチケットを買ったものの、
ぼくは仕事になってしまい、
母と姉夫婦らに「代役」として行ってもらった。

ぼくが行けなくても、
代わりに見てくれれば、
それだけで意味がある。


去年の8月9日付けで、
ぼくはこう書いた。

ぼくにとって花火は今や、
自分自身の成り立ちを写しだす走馬灯だ。
多くの失ったものを、
これでもかこれでもかと、
見せつけてくれる。

美しいけど、
はかなく残酷な芸術。

でもぼくにはそれが必要だ。
たぶんこれからもずっと。



思い起こすんですよ。

この花火大会に行くと。

視界を覆い尽くす火花と、
腹の底を打つような爆発音は、
ぼくにとっての「けじめ」。

花火大会の日は、
ぼくにとっての「終戦記念日」だ。


昨年だったか、
もう70歳を超えた母に聞いたことがある。

こんな音を聞くと空襲を思い出して怖くないん?

そんなんもう忘れたワ。

母が能天気なのか、
人間とは本来的にそういうものなのか、、、

そのあたり、
よくわからないんだよなぁ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...