2010年8月14日土曜日

中庸

ぼくのこの机がある場所に、
かつて亡き親父のベッドがあった。

だからといって、
ブログを書く時にいつも親父を思い出しているわけではない。

っていうか、
全く思いだしていない事がほとんどだ。

今日はお盆だから特別。


その親父の葬式だか通夜だったか、
参列してくださった女性が、
「お父さんは本当に偉大な方でした」っておっしゃった。

ぼくはその時、
「偉大?それちょっと持ちあげすぎ」と思ったことを、
正直に告白する。

その女性が親父の人生とどんな関わりを持ち、
どういう側面を見て「偉大」と言われたのか、
知るよしもないのだが。


ぼくが親父を一言で形容するなら、
「中庸」に尽きる。

松竹梅なら竹。
上中下なら中。

万事ほどほどの安全運転。

悪く言えば十人並み。

巨人、
大鵬、
卵焼き。

そこが、
息子のぼくには、
はっきりいって物足りなかったし、
「ああいう生き方はしたくない」と強く思った。


今になって思うのは、
「中庸」って案外難しいということ。

だって、
世間の価値観が急速に変化する中で、
真ん中をキープするということは、
常に自分も動いていなければならないんだもん。

じっとしていれば、
自分は変わっていないと思っていても、
そして実際変わっていなくても、
いつの間にか世間の端っこに飛ばされてしまう。

親父は宗教に頼らず、
人生大体において中庸であり続けた。
矛盾する言い方になるが、
頑固なまでに中庸であった。
「偉大」かどうかはともかく、
人生における優れたバランス感覚を持っていた。

と、
こんなところでいいでしょうか、
親父様(笑)

●ちなみに親父は右耳が聞こえなかった。

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