ぼくのこの机がある場所に、
かつて亡き親父のベッドがあった。
だからといって、
ブログを書く時にいつも親父を思い出しているわけではない。
っていうか、
全く思いだしていない事がほとんどだ。
今日はお盆だから特別。
その親父の葬式だか通夜だったか、
参列してくださった女性が、
「お父さんは本当に偉大な方でした」っておっしゃった。
ぼくはその時、
「偉大?それちょっと持ちあげすぎ」と思ったことを、
正直に告白する。
その女性が親父の人生とどんな関わりを持ち、
どういう側面を見て「偉大」と言われたのか、
知るよしもないのだが。
ぼくが親父を一言で形容するなら、
「中庸」に尽きる。
松竹梅なら竹。
上中下なら中。
万事ほどほどの安全運転。
悪く言えば十人並み。
巨人、
大鵬、
卵焼き。
そこが、
息子のぼくには、
はっきりいって物足りなかったし、
「ああいう生き方はしたくない」と強く思った。
今になって思うのは、
「中庸」って案外難しいということ。
だって、
世間の価値観が急速に変化する中で、
真ん中をキープするということは、
常に自分も動いていなければならないんだもん。
じっとしていれば、
自分は変わっていないと思っていても、
そして実際変わっていなくても、
いつの間にか世間の端っこに飛ばされてしまう。
親父は宗教に頼らず、
人生大体において中庸であり続けた。
矛盾する言い方になるが、
頑固なまでに中庸であった。
「偉大」かどうかはともかく、
人生における優れたバランス感覚を持っていた。
と、
こんなところでいいでしょうか、
親父様(笑)
●ちなみに親父は右耳が聞こえなかった。
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