2010年10月3日日曜日

邪道

またしても「先生役」が回ってきた。

ぼくがやらねばならないのは、
いってみれば「ひと月でショパンを弾く」みたいなこと。

つまり絶対不可能。

できる人がいれば間違いなく「天才」だ。

でも、
ぼくはそれを教えなければならない。

そこで思い出すのが、
前にヨッちゃんがやってたNHKのロックギター講座。
ギターど素人の芸人さんに、
3か月でスモーキーを弾かせようっていうあれ。

ショパンそのものなら10年かかっても不思議じゃないけど、
アレンジを変えに変えて、
それでもとりあえず「ショパンらしきもの」を弾かせることなら、
促成栽培でも無理ではない。

言い方を変えれば邪道も邪道。

でもそんな邪道を押しつけたのは会社だ。
堂々と大邪道を教える。
「これは大邪道だぞ」とくどいほど言いながら。

邪道を教えられる「生徒」も可哀そうだけど、
まぁ少しはこの仕事に興味を持ってくれるなら、
それはそれで意味はあるかもしれない。

ぼくらの時は(といってもたかが10年ほど前だが)、
そんな邪道は決して教えてくれず、
かといって基礎から手ほどきしてくれるわけでもなかった。

「放任主義」といえが聞こえはいいが、
言いかえればただのほったらかし。
「芸は盗め」と言わんばかり、
何にも教えられず、
出来栄えについてだけやたら怒られまくって、
その度に委縮してまた怒られ、、、

褒められることなど年に1度ぐらい。
そんなことを延々と繰り返して、
ついて来れないヤツはどんどん切り捨てられた。

それに比べれば、
邪道であっても教えてくれる今の人は、
幸せかもしれん。

にしても他人にものを教えていると、
「優しさ」と「甘さ」あるいは、
「親切」と「過保護」の違いが、
自分でもよくわからなくなってくる。

と同時に、
教えるとはすなわち、
教わることだとわかる。

要するに「教える」などという行為は本来はなく、
ただ経験年数の違う二人が、
「ともに学ぶ」という行為があるだけなのだと気付く。


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