吉田松陰と高杉晋作を描いた「世に棲む日々」は、
ただいま3巻目の途中。
それより先に龍馬伝で晋作が死んだ。
本を読む限り、
晋作は松陰の弟子であるのだが、
性格は松陰が謹厳実直なのに対し、
晋作は少々無頼なところがあるようで、
かなり対象的である。
しかしながら二人に共通しているのは、
「狂」であろうとしたことであったようだ。
「狂」とはぼくの解釈では、
信念のためには命も投げ出すというということ。
「命懸け」とは今でもよく言うが、
時代は命を大切に大切にと、
命を惜しみ、
長らえさせる方向に加速している。
よく思うのだが、
世に自分の命を惜しまぬ者ほど、
恐ろしいものはない。
自爆テロなどその最たる例だ。
人間、
自分の命さえ惜しまなければ、
とてつもなく大胆な事ができるのだ。
(テロを賛美しているのではもちろんない)
確かに「命あっての物種」ではあるが、
命を惜しむ気持ちが、
人生の最大の足かせにもなりうる。
そもそも、
「命」というもののイメージが、
幕末のころと今とでは違うように感じる。
幕末のころの命、
特に志士らにとっての命とは、
花火のようなもの。
いつ、
どこで打ち上げ散らすのが効果的(印象的)かと、
ヤツらはそればかり考えている。
そんな連中が日本中に何百人もいたとすれば、
そりゃさぞかし列島は熱かっただろう。
それに対して現代の命は蝋燭のごとし。
小さな炎でもいいから、
できるだけ揺れず、
できるだけ長く、
灯し続けるのが美徳とされる。
安寧ではあるが、
決して熱くはない。
動けば雷電の如く発すれば風雨の如し
伊藤博文は晋作の死後、
彼をこう評した。
●久々北新地「JAZZ ON TOP」のセッションに。珍しく参加者が少なく、4曲歌った。成果も課題もあった。行ってよかった。
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