1年通して大河ドラマを見たのは、
「龍馬伝」が初めてだ。
1回も欠かさなかった。
つまり、
とっても面白かった、
で終わってもいいのだけれど、
やっぱり一言二言残しておきたくなるのが人情、
というか「オレ流」。
一言、
主役は坂本龍馬=福山雅治だけど、
主演は岩崎弥太郎=香川照之だった。
香川がいたからこそ、
後半失速気味のドラマが、
何とか最終回まで持ったのだと思う。
香川の演ずる岩崎弥太郎の造型は見事で、
他の出演者の演技の方向(テンション)を決定づけるほどだった。
にもかかわらず、
ドラマの失速度は、
目を覆いたくなるほどだった。
終盤なんかは、
それまでの「付き合い」がなければ、
とても見ていられなかった。
龍馬の実人生が盛り上がりを見せるほどに、
ドラマが失速したということは、
たぶん関係がある。
前にも書いたけど、
本来は史実に虚構を加え、
ドラマチックにしたかったはずが、
いつのころからか、
史実に引きずられ、
ついには史実に寄りかかってしまった。
あるいは寄りかからざるを得なかった。
全くの推測なのだが、
近代モノの難しさがこの辺にあるのでは?
つまり、
事実がはっきりしていることが多いが故に、
あるいは解釈が多岐にわたっているが故に、
色々外野の声が入ってきて、
フリーハンドが縛られちゃったみたいな。
視聴者(プラス会社内部)の声が、
糧(かて)ではなく枷(かせ)になってしまったのではあるまいか。
このあたりが、
全部作ってから公開する映画や、
単発ドラマと違うところだろう。
それとも、
大河ドラマって毎回こうなの?
初めて通して見たくらいで、
いっちょ前の事言うなってか、、、
要は、
「奔放」ってのは、
それほどにムツカシイのである。
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