ぼくは常々「好奇心」は大切だと思い、
好奇心のある人が好きだ。
しかし、
なぜ好奇心は大切なのだろう?
何かを「知りたい」というのは、
人間の根本だと思うけど、
それは実は「知らない」物事への恐怖の裏返しだとは言えまいか。
その恐怖から逃れるため、
人はむさぼるように情報を集め、
入門書を読み、
コメンテーターの発言に耳を傾ける。
ネットの時代になって、
その恐怖は減るどころか、
逆に増している感もある。
そろそろ、
その恐怖から脱しようではないか。
「知らない」と堂々と言える自由を取り戻そう。
恐怖に覆われ、
その恐怖を拭うための一生など、
つまらんではないか。
所詮、
どんなにあがいても、
世の中のすべてを知ることなどできはしないのだ。
確かに、
無知は時に災いの種ではある。
しかし同時に、
中途半端に物事を知っていることもまた、
ある意味とても危険なのである。
いやなに、
何事にも無関心で、
「そんなこと知りませ~ん」とか
「私馬鹿だも~ん」と、
開き直れといっているのではない。
まず、
自分は無知だと謙虚になること。
そして、
知らないことは教えを請い、
自分がコレ、
と思ったものは、
トコトン知るよう努力すべきだ。
だれでも知っていることを知っている安心より、
自分しか知らないことへの自信と誇りを選ぼう。
それこそ、
ぼくらが生きている意味。
無知ノススメである。
●こんなことを言うようになったのは、もう自分がアラフィフで、先が見えるようになったからだけど。
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