2010年12月20日月曜日

無知

ぼくは常々「好奇心」は大切だと思い、
好奇心のある人が好きだ。

しかし、
なぜ好奇心は大切なのだろう?

何かを「知りたい」というのは、
人間の根本だと思うけど、
それは実は「知らない」物事への恐怖の裏返しだとは言えまいか。

その恐怖から逃れるため、
人はむさぼるように情報を集め、
入門書を読み、
コメンテーターの発言に耳を傾ける。

ネットの時代になって、
その恐怖は減るどころか、
逆に増している感もある。

そろそろ、
その恐怖から脱しようではないか。

「知らない」と堂々と言える自由を取り戻そう。

恐怖に覆われ、
その恐怖を拭うための一生など、
つまらんではないか。

所詮、
どんなにあがいても、
世の中のすべてを知ることなどできはしないのだ。

確かに、
無知は時に災いの種ではある。

しかし同時に、
中途半端に物事を知っていることもまた、
ある意味とても危険なのである。

いやなに、
何事にも無関心で、
「そんなこと知りませ~ん」とか
「私馬鹿だも~ん」と、
開き直れといっているのではない。

まず、
自分は無知だと謙虚になること。

そして、
知らないことは教えを請い、
自分がコレ、
と思ったものは、
トコトン知るよう努力すべきだ。

だれでも知っていることを知っている安心より、
自分しか知らないことへの自信と誇りを選ぼう。

それこそ、
ぼくらが生きている意味。

無知ノススメである。

●こんなことを言うようになったのは、もう自分がアラフィフで、先が見えるようになったからだけど。

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